写輪眼に珍しい銀髪。
特徴ある男の行方は、容易に追う事ができると思ったが、しかし郭の件から十日ほどが過ぎた今でも、イルカはその男について何の情報も得られていなかった。
こんなに八方手を尽くしているのに…幾らなんでもおかしい…
ひょっとしてあの男は暗部だったのかと、イルカはここに来てようやくその可能性に気付いた。
命の危険性から、暗部はその氏素性が全て極秘扱いだ。上忍ならいざ知らず、新米の中忍如きが暗部の行方を追える筈もなく、また接触するような機会も滅多にない。
厄介な事になったぞとイルカは頭を抱えた。
これじゃクナイを取り返したくても、取り返す事なんてできやしない…一体どうしたらいいんだ…?
八方塞の状態にイルカは鬱々とした。実を伴わない焦りだけが空回る。
こんな時は…あれで憂さ晴らしをするしかない…!
仕事帰り、イルカは迷う事無く雀荘へと足を向けた。
木の葉では十六歳から賭け事が許されている。麻雀は小さい頃隣家に住む、かつて流れの博打打だったらしい爺さんに教わった。爺さんは身寄りがなく、イルカに自分の持てる賭け事の妙技全てを教え込む事を、生甲斐としていた。将棋や囲碁を教わる感覚で、イルカは麻雀や賭け事を覚えた。
「ここぞという場面に大勝負に出られない奴に、ツキなんざ端から回ってこねえ。」
それは爺さんの口癖だった。
「負けを気にせず大きく打っていけ、ツキは必ずやって来る。」
爺さんの言葉は、幼いイルカの骨に刻まれた。
くよくよした時に大胆に牌を振り込むと、小さな事に悩んでいた自分が馬鹿らしく思えて来る。停滞しているように見えても、流れはいつかこちらにやって来ると、信じる事ができるのだ。
馴染みの雀荘の扉を開け、
「フリーで打ちに来たんだけど、」
イルカが店員に声をかけると、
「ああ、丁度良かった。海野さんが来てくれたお陰で四人揃いましたよ、」
早速店員が奥の卓へと案内した。
既に席についている他の面子を、イルカは何気なく見回し、瞬間驚きに目を丸くした。
何故か獣面を被った男が不穏な空気を漂わせながら、堂々と席についていた。男の纏う白装束は全く汚れていないのに、辺りには濃厚な血の匂いが立ち込めている。
おそらく、任務帰りの暗部だ。
獣面の下から聞こえる、くぐもった荒い息遣いは野獣の唸りにも似て、男の気持ちの昂りをひしひしと伝えていた。
雀荘の一角を全く異質の空間に変えてしまっている暗部の姿に、イルカは茫然と立ち尽くした。
任務での気持ちの昂りを、遊郭で発散して鎮めるという話は聞いた事はあるけど…麻雀で発散するっていうのもアリなのかなー…?
何にせよ、はた迷惑な事だと思いながら、イルカは気の毒なぐらい縮こまってしまっている、他の面子二人に同情の眼差しを送った。
あーあ、こんな殺気の中で気持ちよく麻雀を打てる訳ないよ…真っ直ぐ家に帰っていればよかったなあ、
今からでも遅くはない、席に座る前に帰ってしまおうか。そんな考えがイルカの頭を過ぎる。
そうしたら、今日の夕飯はどうしようかな…今なら商店街のタイムセールに間に合うんじゃないか…?
早くも帰る方向で話を纏め始めるイルカに、
「さっさと座ったら?皆待ってるでしょ、」
暗部の男が冷ややかに言い放った。
その聞き覚えのある声音にイルカはハッとした。聞き覚えがあるどころか、ずっと捜し求めていた声音だ。
まさかこの暗部…あの時の遊郭の…
よく見ると、暗部の男も同じ銀髪をしている。そんな都合のいい事があっていいものだろうか、単なる偶然かと思いながらも、高まる期待にイルカの胸の鼓動は速まった。
もしこの暗部が、あの時の遊郭の男だったら…この機会を逃したら、またいつ会えるとも分からない…絶対にクナイを取り返さなくちゃ…!
意気込みのままにギュッと堅く拳を握ってみるも、肝心のクナイ奪取の方法が思いつかない。第一今この男が例のクナイを携帯しているかも怪しいものだ。
どうやって探りを入れようか、と考えつつも、取り合えずイルカは、「す、すみません」と慌てて席に座った。
俺の事覚えていないのかな…?
じゃらじゃらと牌を掻き混ぜながら、イルカはちらちらと男の様子を窺った。
フリー打ちの捨て牌の手は早い。男が気になって流れを止めがちなイルカに、
「おたく、パスするの?」
他の客が苛立った声を上げる。
「す、すみません、」
イルカは謝ってばかりだった。
しっかりしろイルカ、とりあえず今は麻雀に集中するんだ…!
気を引き締め直して、よしとばかりに牌に向かう。
「そのチュン、ポンです!」
雀卓の上の裏返された牌の一部が輝いていた。その輝きはツキが回ってきたイルカにだけ見えるものだ。牌がイルカを呼んでいるのだ。勝ち手はこの牌だと知らせるように。
「ポン、」
「ポン、」
「すみません、それロンです、」
暗部の男が捨てた發牌に素早く哭いて、イルカは牌を返し上がり手を見せた。途端に雀卓を囲む面子から驚嘆の声が上がった。
「ツウイーソー大三元のダブル役満じゃねえか、しかも裏ドラか…!」
当たられた暗部の男は勿論大損だ。
「…なかなかやるじゃない、」
暗部の男は余裕綽々といった感じで言ってみせたが、纏う殺気は正直にズンと重さを増した。
その後もイルカの快進撃は続いた。
「リーチ一発ツモ、清老頭ドラドラです!」
「ロン!四暗刻で上がりです、」
役満続きのイルカに、負けの込んできた暗部の男は苛々と殺気を放ち、周りの空気をどんどん重いものにする。その鬼気迫る様子に、勝負に夢中になっていたイルカも流石にハッと気が付いた。
よく見ると、一般人の二人はワナワナと震え、最早まともに麻雀を打てていない。道理でチョンボが多い筈だ。
次はちょっとばかり手を抜いて、俺の親を流した方がいいな…
イルカはそう思ったが、ツキの方がイルカを離さなかった。
「あ…ッ、」
次の配牌を手前に返した瞬間、イルカは思わず小さく叫んでしまった。
「て、テンホーです…」(配牌だけで既に上がっている状態。麻雀におけるホールインワン。)
おおおー!と暗部の男を抜かした面子が、イルカの手元を覗き込む。
「役満のテンホーなんて初めて見たよ…!」
他の卓の客達も物珍しさに、なんだなんだと押し寄せてきて、イルカの回りには一気に人だかりができてしまった。
その様子を一人遠巻きに見詰めながら、暗部の男がなにやらズボンの左ポケットをごそごそ探っている事にイルカは気付いた。
なんだろう…?
ぼんやり見詰めていると、男はポケットから目にも鮮やかな真っ赤なスカーフを引っ張り出そうとしているところだった。
ま、まさか血濡れのスカーフか…!?
イルカは一瞬ギョッとして視線が男の手元に集中した。
だから見逃さなかった。
ぐいと勢いよくスカーフを引っ張り出した拍子に、カシャン シャン…と音を立てて、ポケットから床に転がり落ちた物の姿を。
転がり落ちたものは一つだけではなく、幾つかあった。
一つは何故かおしゃぶり。
ええっ!?こ、この人若そうに見えるけど、こ、子持ちだったのか…?
暗部子持ち説を裏付けるように、床に散らばった物の中には、玩具のモンキーバナナも混じっていた。コードのようなものがついているが、動いたり何か仕掛けのある玩具なのだろうか。如何にも子供が喜びそうだ。
他にも手錠、痔軟膏と、馴染みのないものばかりが転がっていたが、その中になんと例の形見のクナイを見つけて、イルカは心の中であっと大声を上げた。
あのクナイを、あんなに無造作にポケットに入れて持ち歩いていたなんて…!
暗部の男は何食わぬ顔で、落とした物をササッと拾い上げポケットに仕舞い直すと、真っ赤なスカーフでこっそりと獣面の下を拭き始めた。
やはり部屋の中で面をつけていると、かなり汗をかくものらしい。カトレアの花びらのようにドレープが美しかったスカーフは、見る影もなくしにゃしにゃになっていた。
う、うわー…親父臭い…スカーフで拭くか普通…?
やっぱりこの男は子持ちかもしれないと、イルカは改めて思った。赤いスカーフというのが、またなんとも前時代的で親父臭がする。
い、いや、今はそんな事よりも遺品のクナイだ…!クナイがあのズボンの左ポケットにあるのは分かった…後はどうやってそれを抜き取るかだ…
考えを巡らせながら、じいっとズボンの左ポケットを見詰めていると、突然暗部の男がすっくと立ち上がった。
「ちょっと席をはずすよ、」
ひらひらと手を振りながらトイレへと向う暗部の後姿に、イルカは千載一遇のチャンスが訪れた事を知った。
クナイを取り戻すには今しかない…!
「お、俺もトイレ…、」
暗部の男を追うようにして、気配を殺しこっそりとトイレに忍び入る。幸い他に人影はなく、暗部の男はまさに用を足そうと無防備に背中を晒していた。
今だ…!
イルカは夢中になって、背後から暗部の腰にしがみつくと、そのままポケットに手を突っ込み、クナイを捜してあっちをさわさわ、こっちをごそごそと、荒々しくポケットの中を弄った。
だが男のポケットの中は四次元ポケットのように混沌として、なかなか目的の物が見つからない。
これかと思ってニギニギすると、硬くなったり大きくなったりと、何だか得体の知れないものだったりする。
「うわ、ちょっと待って…」
暗部の男は多少驚いたような声を上げながらも、何故か抗うような素振りは見せなかった。
それどころか、
「あんた、そんなにこれが欲しかったの…?」
いけない人だねと意味ありげに囁いて、クックッと笑い声を上げる。
俺の欲しいものって…この人…例のクナイに何か勘付いてる…?
瞬間ひやっとしたものがイルカの背筋を走った。
驚愕に大きく見開いたイルカの眼を、いつの間にか獣面を上にずらし、素顔を晒した暗部の男が覗き込んでいた。
血の結晶のような赤き写輪眼が禍々しき雷を放ち、男の端正な甘い顔を鬼のそれへと変貌させていた。
美しいのに空恐ろしい。
全てを見透かすようなその瞳に射竦められて、イルカは一瞬全ての動きを止めた。
男の問にどう答えていいのか分からない。
中途半端に手を止めたまま黙っていると、
「なんで止めちゃうの?あんたの欲しいものがここにあるのに、」
男は嫣然と微笑んで、続けるようにと促した。
ど、どうしたらいいんだ?畜生…っ、
イルカは男の瞳を探るようにジッと見詰めてみたが、男はにやにやと笑うだけで、その真意を読み取る事はできなかった。
男はあのクナイが誰の物かを知っているのだろうか。
知っていて、そのクナイをイルカに取ってみろと言っているのだろうか。
この世に唯一残る、罪の証を。手に取って、己の卑劣さを、罪の在処を告解しろと、そう言って…
幾ら考えてみても分からない。
だが何にせよ、あのクナイは取り戻さねばならないのだ。自分の為ではなく、親友の、蜂巣の為に。
こいつがどういうつもりか知らないけれど、遠慮なく取ってやる…!
イルカは心を決めると、キッと暗部の男を睨み付け、再びポケットの中をごそごそし始めた。
「ん…っ、んん…っ!そこじゃない…もっと、こっち…」
暗部の男はなにやら熱い息を吐きながら、イルカの手をズボンの布地の上から握って、半ば強引に誘導した。熱くて硬い物がイルカの指先に触れる。
「そう、それ…あんたの欲しいものだよ、」
うっとり囁く暗部に、
「え?いや…これ、俺の欲しいものじゃ…」
イルカは戸惑いを隠せなかった。
確かに手の中の物はクナイと同じく棒状をしているが、太過ぎるし、第一クナイはもっと硬くて鋭い刃先を持っている筈だ…
そんなイルカに、暗部の男は力強く頷いて見せた。
「大丈夫、間違ってない〜よ、この前よりちょっと大きいかもしれないけど…まどろっこしいから直接触って確かめてよ、」
男は訳のわからない事をいいながら、ズボッとイルカの手をポケットから引き抜くと、迷う事無くズボンのファスナーを下げて、そこから飛び出したものを握らせた。
「ひいいいい―――…!あ、あんた何するんだああああ―――――っっっ!!!???」
怒張してそそり立つナニをいきなり握らされて、イルカは悲鳴を上げた。離したいのに、暗部の男が上から押さえていて上手くいかない。
しかも男の先っぽから既に汁が垂れていて、イルカが暴れれば暴れるほど、汁は肉幹を伝い落ちてイルカの手を汚している。失神しそうなイルカに暗部の男は嬉しげに言った。
「あんたこれが欲しかったんでしょ?」
「は…?」
聞き間違いかとイルカは目が点になったが、男はあくまでも本気のようだった。
「あんた、さっき俺の股間をじっと熱い眼差しで見詰めてたでしょ?俺が気付かないと思った…?いきなり背後から股間を弄られて吃驚したけど、俺もこの前の続きするつもりだったし…とりあえず一回ここでしておこっか?」
男の言葉をイルカは戦慄と共に、何処か遠くに聞いていた。
…何言ってんだ、この人…?ここで何をするって…?
許容を超えた事態に茫然としていると、
「実は俺もあんたと犯りたくて、任務を早く終らせて来たんだ〜よ…こんなところで会えるなんて、まさに運命ってやつ?」
男にズボン越しにさすさすと尻の窪みを撫でられ、イルカはハッと正気に返った。ゾゾゾと恐怖に総毛立つ。
「な、ななな、何すんだ…!?お、俺はそんなつもりじゃ…、」
己の身に迫る危機に激しく狼狽しながらも、イルカは逃げるべきか否かまだ躊躇していた。
だって、クナイを取り返すチャンスだ。もうこんな機会はないかもしれない。きっと、ない。
そう思うと、空いた方の手で、ついついポケットをごそごそしてしまう。
「んっ、口ではそんな事言っておいて、あんた何処触ってんの…」
嬉しそうな男に耳朶をかぷりと甘噛みされて、イルカはいよいよ追い詰められた。
今逃げないと不味い気がする…だけどクナイが…
「違う…ッ、やめろ俺に触るな…んっ、ぁあ…っ、」
もう駄目だと思った瞬間、イルカは無我夢中で思わず叫んでしまっていた。
「俺が欲しいものは違う…ッ、俺の欲しいのはあんたのポケットにある、変形型のクナイだ…!」
イルカの叫びに、暗部の男が動きを止めた。
「あんたがどうしてあのクナイを…?」
男の不思議そうな呟きに、イルカはぎくりとした。
「まさか…大賀を殺したのって…あんた?あんたが海野イルカ?」
イルカの身体が瞬時に硬く強張った。心臓がぎゅっと縮こまって、詰める息に一瞬鼓動を忘れる。
変形型の独特のクナイは、見るものが見れば、誰のものだかすぐに分かる。軌道を操るのに技のいる、しかし破壊力の大きいクナイ。そのクナイの使い手はこの里に一人しかいない。
上忍れんげ大賀以外には。
任務を共にしたものならば、誰でも知っている筈だ。
だけど…この人は大賀上忍を呼び捨てにしてた…俺の名前も知って…きっと大賀上忍と親しい間柄の人なんだ…
そう思うと足が震えた。
次に男がどんな言葉を口にするのか聞くのが怖いのに、耳を塞ぐ事すらできない。
細められた男の目に剣呑な色が宿る。濃度を増す殺気がイルカの心臓を圧迫する。
最早身動ぎ一つできないイルカに向かい、男は止めを刺すように言った。
「あんたと大賀って…できてたの?」
正直に答えないと酷いよ、と異形の目を赤々と滾らせながら。