童話「お人形のミラベル」風カカイル(ご、ごめ…)


草臥れ果てた外套をはためかせ、カカシは久方振りに帰った木の葉の里を歩いた。
長期任務を終え、家に帰る途中だった。街の外れにある古ぼけた一軒家がカカシの家だ。
辺りには他に民家はなく道行く人々の喧騒も無い、静かな場所だ。そして孤独な場所でもあった。
そんな場所に帰る事が淋しい時もあったが、

街中にいるよりは幾分ましだ…

カカシはそう思っていた。
当たり前の様に灯りのともる家に帰る人々の中で暮らす事は、より自分の孤独を際立たせる。
だからこれでいいんだとカカシは自分に言い聞かせた。
久し振りの我が家は僅かに黴の臭いがした。冷蔵庫の中は空っぽだがカカシは気にしなかった。任務の際の携帯食を口に放り込むと水で流し込む。そして早々に布団の上に体を投げ出した。

明日から休暇か…

考えてカカシは嘆息する。休暇なんてとるつもりは無かった。
任務漬けのカカシを心配する火影が、労働基準法がなんたらかんたらと屁理屈を捏ねて、無理矢理休暇をとらせたのだ。
「少しは任務以外の楽しみを見つけたらどうじゃ?」
花街遊びでも何でもいい、何かあるじゃろう。若いのに情けない。
火影は大いに嘆いていたが、カカシには火影の言葉がよく理解できなかった。

別に任務も楽しいわけじゃない。…それしかすることが無いだけだ。

カカシは寝転がったまま、ふうと大きな溜息をついた。

明日から暫くの間、何をして過ごそう…忍術の鍛錬もしないように厳しく言われてるし…

傍らでは吹き付ける風に戸がガタガタと音を立てている。どうやら雨も降ってきたようで、ざあざあと屋根を激しく叩く音が聞こえる。その音に混じって、とんとんと誰かが控えめに戸を叩く音がした。

こんな遅い時間、しかもこんな町外れに人が…?

不審に思いながらもカカシが玄関の戸を開けると、そこには雨に濡れた老婆が立っていた。
「こんな夜分にすみませんが、少しだけ雨宿りをさせてくれませんかねぇ…」
家に帰りつく前に雨に降られてしまって、と老婆は体を震わせながら言った。
老婆からは忍独特のチャクラは感じられず、民間人だと知れた。どうしようかと惑う心は咳き込む老婆の姿にすぐに掻き消えた。
「あがっていいよ、」
カカシはそう答えると、すぐに老婆にタオルを持ってきた。震える老婆の為にストーブの火をつけると、薬缶に湯を沸かす。
「お茶くらいしかないけど、」
少し変色した茶葉を見て顔を顰めながらも、大丈夫かと茶をいれると、カカシは老婆に湯飲みを差し出した。「ありがとうよ、」と嬉しそうに茶を啜る老婆を見詰めながら、カカシは自分自身に驚いていた。誰か見ず知らずの他人を家に上げるなんて事は、今まで無かった事だ。

それだけ、今日は疲れてるのかもしれない…疲れているから少しだけ。人恋しいのかも…

そんな自分を心の中で笑いながら、
「休みたかったら休んでもいいし、」
カカシは一組しかない布団を指し示した。老婆はふふふとおかしそうに笑った。
「あたしがそこで寝ちまったら、あんたは何処で寝るんだい?」
一組しか布団が無い事を知っているような老婆の言葉にカカシは吃驚した。
「別に。俺は何処でも眠れるし。実際昨日までは木の根元で寝てたしね。婆さんが気にするような事じゃないよ。」
素っ気無い態度でそう答えると、老婆はなおも笑いながら言った。
「その必要はないようだよ。どうやら通り雨だったようだ。」
老婆の言葉に耳をすますと、何時の間にか雨音は止んでいた。こんな夜中に帰るつもりかとカカシが心配すると「家族が心配してるだろうしね、」と老婆が言った。

家族。

その言葉は引き止めるカカシを黙らせた。
老婆は帰り際にカカシを振り返り、
「これはお礼だよ。」
カカシの手に何かを握らせた。そっと手を広げてみるとそこには何かの種が乗っていた。
「俺に園芸でもしろっての?でも、ま、ありがとね。」
老婆は急に真面目な顔をした。
「いいかい?大切に育てるんだよ。水は毎日コップに一杯。それ以上は決してやってはいけないよ。そして花が全て咲くまでは、決して抜いてはいけないよ。」
「ハイハイ、」
カカシが苦笑すると、老婆は今度は優しい笑みを浮かべて言った。
「きっとあんたが欲しいものが手に入るよ。」





翌日は日の光にも恵まれたいい天気になった。

カカシは荒れ放題だった庭の片隅を掘り返していた。昨晩老婆に貰った種を蒔く為だ。
『きっとあんたが欲しいものが手に入るよ。』
そんな言葉を勿論信じちゃいない。
ただする事がなかっただけだった。単なる気紛れと暇潰しだ。休暇は始まったばかりだというのに、カカシはもう飽き始めていた。

不思議な感じの婆さんだった…俺は欲しいものなんて何も無いのに…
何もかも見透かしているような目で俺を見て。

いつもは用心深い自分なのに、昨晩のなんと警戒の薄かった事か。カカシは苦笑いしながら、柔かくなった土の寝床にそっと種を横たえた。
高々種一粒。
けれども生命をいつも奪ってばかりの自分が、生命を育むのだと思うと何処となく気分が高揚した。そんな自分が信じられなくて、

馬鹿馬鹿しい、

心の中でその感傷を笑う。
カカシは種の上に土の布団を被せてやりながら、『水は毎日コップに一杯。』という老婆の言葉を思い出し、慌てたように家の中に引っ込んだ。
再び庭先に姿を現したカカシの手には、なみなみに水の注がれたコップがあった。カカシがその水を植えられた種にかけると、信じられない出来事が起こった。
水をかけた瞬間、なんと土を押し上げて、黒いものがひょこりと顔を出したからだ。

え…ええ…っ!?もう芽が出た…?そ、そんな、幾らなんでも早すぎるでしょ…!?

驚くカカシの目の前で、黒い芽のようなものが更ににょきにょきと土から伸びる。その姿にカカシはアッと小さな声を上げた。

芽なんかじゃない…これは…人間の髪の毛じゃないか…?

よく見ると、芽だと思ったものは、人間の黒髪を括ったもののようだ。だがまさかそんな事があるだろうか。カカシは少し薄気味悪くなっていた。

だけど、とうもろこしだってちょっと人間の毛みたいなのついてるよな…そんな種類なのかもしれないし…

カカシは思いなおしてもう少し世話をしてみることに決めた。そしてまた翌日に庭先を覗いて見てカカシは更に驚いた。

何と種を植えた場所に体半分を埋められた黒髪の男の姿が在ったからだ。
男の目は閉じられていたが、死んではいない証拠に頬が薔薇色に染まっている。時々吹く風がその頬をやさしく撫でると、その男は気持ちよさそうに口元を緩めた。
その表情にカカシはドキリとした。

なんだってこんなところに人が埋まって…

不審に思って、急いでその回りの地面を掘ってみてカカシはギョッとした。地面に埋まった男の体の部分には下半身のようなものはなく、根のようなものがはっていた。

ま、まさか…

カカシは土を埋め直すと、恐る恐るコップに汲んできた水をかけた。すると男が嬉しそうに鼻をひくつかせる。
カカシは確信していた。この男はあの種から生えたものなのだ。しかし。

この後…一体どうなるんだろう?
これは植物なのかなんなのか。何か禁術の類なのか。いずれにせよ、火影様に報告した方がいい。
婆あめ、変なもの掴ませやがって…。

カカシは心の中で悪態をつきながらも、男をしみじみと見詰めた。男は何故か木の葉の忍の服を着ていた。それが緩く笑みを作る口元と酷く不釣合いに見えた。

忍にはみえないな…この瞳一体どんな色をしているんだろう?
もっと水をかければ、早く成長するだろうか…?見たいな…

そんな事を考えて、カカシは首を横に振った。一日に水はコップ一杯。言いつけを守るようにきつく注意された。ただでさえこんな面妖なもの、何が起こるかわからない。カカシは溜息をつきながら、男の髪の毛や顔につく土をそっと指先で拭った。




その夜カカシはなかなか眠りに就く事ができなかった。
自分が軽い興奮状態にある事をカカシは気付いていた。原因も分かっている。あの不可思議な種子の所為だ。
本当ならば、根を引き抜いたり焼き払ったりした方がいい。可能ならば、大事になる前に自分の手で杞憂の芽は摘み取るべきだ。
火影様の手を煩わせるまでもない。そう思うのに、

もう少し様子を見てからでもいいか、

そんな信じられない事を考えている自分がいる。

あの黒髪……

カカシはずっと以前の事を思い出していた。
それはずっとずっと昔。全てを失った夜の事を。自分に温もりを与えてくれる者が全て喪われてしまった日の事を。
涙も出なかった。回収された肉片を前に立ち尽くすだけで。
あの時、すぐ側で無残な肉塊に縋って泣きじゃくっていた少年。
大人たちが密やかな声で、二親を亡くしてあの子は身寄りが無いそうだ、可哀想に、と悼む様な視線を向けていた。

俺と同じ、ひとりぼっちになってしまった少年…
まるで泣けない俺の分も、泣いてくれているようだった…

あの時の少年も黒い括り髪をしていた。種から生えたあの男の様に。
その少年と会ったのはその時一度きりで、名前さえも知らない。もう十年以上も顔を合わせた事は無く、勿論その行方をさがした事も無い。それなのに何故だろう、男の姿はカカシの心を酷く締め付けた。

あの時の少年に、似ている気がして。

成長した少年は、今頃こんな感じなのではないだろうかと愚の骨頂めいた事を考え、苦笑する。

……どうして今頃、こんな事が気に掛かるんだろう…

カカシは自分が不思議でならなかった。
高揚した気持ちのまま、カカシは朝日が差すと同時に我慢の限界とばかりに寝床を飛び出していた。
すると庭の隅っこには膝のところまで体を地面の上まで出した男の姿があった。
「昨日より成長してる…」
カカシは独り呟きながら、目を閉じた男の顔を見詰めた。
男は嬉しそうに昇り始めた太陽へと顔を向けていた。まだ夜の翳りを残した空をきらきらと光が舞い降りる。その光を受けて、男の艶やかな黒髪や黒い睫を縁取るように光の粒が溜まっていく。
その光の粒を掬うように、カカシはそうっと睫に指先を伸ばした。

見てみたいな、

カカシは思っていた。この瞳が開くところを見てみたい。そしてこの唇が奏でる声音を聞いてみたい。
だが、果たしてそんな事はありえるのだろうか?高々植物に?
そう思いながらも、男の胸に耳を寄せてみると、とくとくと心臓の鼓動のような音が聞こえた。
それはやはりこの男が単なる植物ではないと証明しているようで、カカシはなんだかとても嬉しくなった。
カカシは大急ぎでコップに水を汲んでくると、地面に向かってそれをかけてやった。

この分だと…明日には体が全部地面の上に出てくるんじゃないか…?

そうしたらどうなるんだろう、とカカシは腕組して考えた。
抜いてしまっていいものなのだろうか?それとも、抜いてしまったら枯れてしまうものなのだろうか?
抜かずとも花はいつか枯れる。この男もいつか枯れて土に還ってしまうのだろうか?

何ともいえない重い気持ちがカカシの胸を塞ぐ。
「ねえ、あんた」
カカシは男に向かって言った。
「どうしたらいいのか知っているなら、俺に教えてよね。」
言いながら世も末だ、と自分の滑稽さに笑いが込み上げた。何時になく、真剣になっている。
カカシはそのうち男が喋りだすのではないか、一瞬でもその目を開けるのではないかとその日一日中縁側で過ごした。
しかし、男は変わらずに目を閉じたまま、土の上にじっと立ち尽くしていた。
その事に多少がっかりしながら、カカシはまた寝床に着いた。

明日は。明日こそはきっと。

そんな期待にまた寝付く事が出来ずにいると、ポツポツと降り出した雨が雨戸を叩く音が聞こえた。

雨か…

ぼんやりとしたカカシの頭に突然、
『一日に水はコップ一杯』
老婆の言葉が浮かんだ。

あ…っ、

雨はどうなんだろう、とカカシは嫌な予感に跳ね起きて、庭先へと急いだ。
そして懐中電灯の先にうつされた光景に息を呑んだ。
男がぐったりと地面の上に身を横たえていた。



雨でぬかるんだ地面をばしゃばしゃと蹴って、カカシは倒れた男に駆け寄った。
助け起こした男の体は冷雨に凍て付き、その顔色は白蝋のようだった。まるで生命の温もりが感じられない。
「冗談でしょ…?しっかりして、」
カカシは咄嗟に男の胸に耳を当てていた。胸の鼓動を確かめる為だった。冷静に考えれば、植物相手に馬鹿らしい。
しかしその時のカカシは真剣そのものだった。耳を当てた瞬間、とくん、と微かな鼓動を感じた。
それは鼓動ではなく、地下茎が水を吸い上げる音だったのかもしれないけれど。

…生きてる、

その音が何であれ、カカシに生命の脈動を伝えた。

…大丈夫だ、生きてる…まだ間に合う…

束の間の安堵に顔をほころばせたカカシは、しかしすぐに難しい表情を浮かべた。
どうしたらいいか分からなかった。男の事を一刻も早く助けたいのに、どうしたらいいのか。

水のやりすぎがいけないなら、鉢植えか何かに植え替えて家の中に運ぶのはどうだろう?

その考えを打ち消すように、カカシはすぐに頭を振った。

駄目だ、間に合わない。一度地面を掘ってみた時、広い範囲で根がはっていた。掘り起こす間に根は更に水を吸い上げ、男を弱らせるだろう。一晩中傍らで傘を差してやっても、地面に吸い込まれていく雨を防ぐ事はできない。

どうしたらいいんだ…!?

カカシは混乱しながらも寝巻きの上着を脱ぎ、濡れる男の頭から被せた。そんな事をしても大して意味はないだろうが、冷雨に濡れる頬がまるで涙の跡のようで、カカシが居た堪れなかったのだ。いい考えの浮かばぬまま、カカシは無心に上着で男の顔を擦った。試しにその頬を軽く叩く。
「ねえ、どうしたらいい…?あんた死に掛けてるんだよ?助かりたいなら何か返事して、」
勿論男から返事は無い。無造作に投げ捨てた懐中電灯が男の足元を照らしていた。その時カカシはハッとした。

体が全部…地面の上に出てる…!

日没後の僅かな間にまた少し成長したのか、いまや男の全身が地面の上に現れていた。

今なら…引き抜いても大丈夫なんじゃないだろうか?

カカシはゴクリと唾を呑み込んだ。
頭ではこの男が植物だと分かっている。引き抜いたら枯れてしまうんじゃないかと。
分かっているのに、男の姿は何処からどう見ても人間でしかなかった。だから。

大丈夫なんじゃないか…?引き抜いても…他の植物の様に枯れたりしないんじゃないか…?

カカシはそんな風に思ってしまった。どうせこのまま雨に打たれていたら男は死んでしまうのだ。僅かな可能性にでも縋るしかなかった。
それに迷っている時間もないと、腕の中でどんどん冷たくなっていく男の体がカカシを急かす。
カカシは心を決めると、根で地面と繋がる男の体を引き抜いた。ぶちぶちと根の千切れる音が断末魔の喘ぎにも似て、今更ながらにカカシは体を震わせた。
だが怖気づいている暇は無い。
カカシは男を背負って家の中に駆け込むと、まず濡れた男の服を脱がせた。丹念にその体をタオルで拭ってやる。うつ伏せにして背中を拭おうとして、カカシはギクリと体を硬くした。男の背中には真新しい無残な傷跡があった。傷口こそ塞がっているが、その跡を覆う表皮はまだ薄い。倒れた時にでも傷がついたのだろうか。思いながらカカシは首を傾げる。

だけど…忍服は破れていなかった…これは一体どういう訳なんだろう…?

幾ら考えてみても分からない。分からないけれど痛々しい。カカシは思わずその傷跡を指先でそっとなぞった。カカシの手の下で男の体がピクリと震えたような気がした。

な、何をしてるんだ俺は…?

カカシは慌てて男に自分の寝巻きを着せてやった。唯一の布団を男に明け渡しストーブに火を入れると、温度が戻ってきたのか男の顔に赤みがさす。それを見てカカシは少しだけホッとした。自分も服を着替えると、薄い毛布で身を包み男の枕元に腰を下ろす。男の体に温度が戻っても、まだどうなるのか分からなかった。

目を離した隙に…枯れてしまっていたら。

そう考えただけで自分でも吃驚するほど胸が乱れた。

そうならないように、起きて見張っていなくては…

見張っていたからといって枯れ行くものを止める術を持たない。だが、とても眠ってもいられなかった。
まんじりともせず一晩を過ごし、カカシは朝の訪れと共に急いで雨戸を開けた。雨は止んでいた。

日の光に緩い笑みを浮かべていた…はやく朝日を浴びさせてやりたい…!

カカシがガタガタと派手な音を立てて雨戸を全て開け切ると、闇を隅へ遠い遣るように部屋中を柔らかな朝の光が満たしていく。
昨日見たように。眠る男の輪郭を光の粒が縁取る。その様をカカシがぼんやりと見詰めていると、不意に男の黒い睫から光の粒子がぱたぱたと零れた。それが瞬きだとカカシが気付いた時には、目蓋を開けた男の瞳が自分をジッと見詰めていた。




続く