蓮は咲き乱れる

始めに

このお話は5万打企画として、WEB連載されていたシリアスもの「蓮は迷い咲く」のギャグ版です。

5万打企画連載は読者様参加型企画で、翌日UPのお話の展開をアンケートで決めていくという、RPG風味な連載でした。

シリアスの「蓮は迷い咲く」はアンケートで一番投票数が多かった項目を採用とし、書き上げたものですが、今回の「蓮は咲き乱れる」はアンケートで一番投票数が少なかったものや、お遊び項目という、絶対に在り得ないような内容のものを採用とし、また新たなお話を書き上げてみました。

連載は全十五回でしたが、アンケートの都合上、第一回目だけは「蓮は迷い咲く」と全く同じ出だしです。

選択する項目によって、天と地ほども違った展開をみせながらも、決められた最後に行き着く様を楽しんで頂ければと思います。(私の強引な力技も楽しんで頂ければ…)


その花が咲くのを見たのは何年後の事だっただろうか。

朝陽に揺り起こされて、そっと柔らかな花びらを開き金色の花弁を覗かせる。

 白蓮の姿は酷く可憐で。

 ああ、綺麗だ。

 微笑みながら、ずっと昔の事を思い出していた。

 まだ花開く前の、迷い咲きの白蓮の姿を。

 

 

 

 女はイルカの姿を一目見るなり、予感していたのかもしれない。イルカ自身もその為に無粋にも忍服を着てきたようなものだった。客ではない、と知らしめるように。

「…随分可愛らしい坊やだ事。そんなに体を固くして…狭斜で遊ぶのは初めてかい?」

 からかうように嫣然と微笑みながらも、女の動揺を伝えるように煙管を握る手が微かに震えている。

 その指先の爪が桜貝のような色をしているのを、綺麗だな、とイルカは思った。

 イルカは無言のまま懐から袱紗の包みを取り出すと、そっと女の前に差し出した。

「…頼まれました…今わの際に貴女に届けて欲しいと。」

 告げるイルカの声も震えていた。

 女の顔から微笑が消え、その視線が袱紗に注がれる。女は暫くの間それに手を伸ばさなかった。

 沈黙がイルカと女との間に落ちる。

 イルカは何も言う事ができずに、肩を落とす女の背後をただじっと見詰めていた。

 窓辺に置かれた水を張った桶の中に、見事な白蓮の花が一輪浮いていた。薄暗い行灯よりも明るい白光を放つその花に、イルカの注意は引き寄せられた。しかし、惜しいかなまだ蕾のままでその花弁を覗く事はできない。

 …明日の朝には咲いているんだろうか。きっと綺麗だろうな、

 イルカはぼんやりと見詰めながら、そんなどうでもいい事に思いを馳せた。

 部屋に吹き込む夜風に白蓮が、ゆらゆらと楽しげに水の上を揺蕩う。その姿が酷く可憐で。

 開けられた窓からは客引きをする男の声や女の媚を含んだ嬌声が聞こえているというのに、イルカは一瞬、ここが何処なのか、自分は何をしに来ているのか、忘れてしまいそうになる。

 それをふいに呟く女の声が現実に引き戻した。

「遺品は無いと思っていたのに…」

「……」

 女の言う事は尤もだった。忍は死ぬ時にその骨をも残してはいけない。禁忌を犯している自覚はあった。

 だがまだ十六歳の中忍になりたてのイルカは、その深刻さを本当には理解していなかった。

 俺は託されたんだ…あの人の最後の願いを…

 ただそれを叶えたい一心で。

 それがどういった事態を引き起こすかも分からなかった。

 女はイルカの目の前で漸く袱紗の包みを広げた。

 中から出てきたのはクナイだった。手入れの行き届いたクナイは使い込まれた風合いをしながらも、鋭い輝きを放っていた。

 どうしてこんな物騒なものをと思うが、事切れる寸前に咄嗟に手にしたものがクナイだったのだろうとイルカは考えていた。

 ある意味、男と常に共にあったその武器は、男が遺すに一番相応しいものともいえた。

 瞬間大きく体を震わせた女に、次には声を上げて泣き崩れるであろう事を予想してイルカは身構えた。

 しかし。意外な事に、女はうっすらと。

 微笑んだようだった。

 え…?

 見間違いかと目を瞬かせるイルカの目の前で。

「…嬉しい…これで漸く一緒になれる…」

 うっとりと呟きながら、女が手にしたクナイを己の首筋に押し当てる。

 それは一瞬の出来事だった。

 躊躇う事無く横に引かれたクナイに、女の喉元から血飛沫が上がった。止める暇もなかった。

 茫然とするイルカの頬を次々に生暖かい飛沫が打ち付け、赤く濡らしていく。イルカは目の前で起こった出来事をすぐに理解する事ができなかった。どさりと崩れ落ちた女の顔には至福の表情が浮んでいた。

 禍々しき血の赤に汚れながらも、とても美しい。

「あ…っ」

 イルカは突然追いついた現実に体を震わせた。

「あ…あぁぁ…っ、」

 俺はなんていう事を…!

 今更ながらにクナイを形見に遺した男の意図が分かった。

 追って来いと。女に自分の後を追って来いと、そういうつもりで男はクナイを託したのだ。

 自分がこの女に死を運んできた。自分が死なせてしまった。女も。そしてこの形見を遺した男も。自分が殺した。

 そう、俺が殺した。同じ里の上忍をこの手で。俺が…

罪悪に苛まれる心が、イルカに遺品を運ばせた。せめてもの罪滅ぼしのつもりに。

 それが、こんな…

「ごめんなさい…っ、」

 どうしたらいいのか分からなかった。もうこれ以上どうしたらいいのか。

「ごめんなさい…ごめんなさい…ごめ…ごめんなさ…っ」

 イルカは手のひらで顔を覆い何度も叫んだ。

 答えるべき声は無いのに、何度も何度も。

 その時イルカの背後で、ガラリと無造作に襖が開いた。

「血臭がするから何事かと思えば…あ〜また派手に死なれたもんだねえ…痴情の縺れ、ってわけでもなさそう…ということは、あんた任務中?」

 吃驚してイルカが振り返ると、そこには着流し姿の銀髪の男が立っていた。いかにも放蕩息子風のその男はあまりイルカと年が変わらないように見えた。年にして二十歳手前。この凄惨な光景を前に眉一つ動かさず、造作の整った顔に笑みさえ浮かべている。そこが尋常でなく、何処か恐ろしい。

「初任務は失敗…ってトコ?俺も今任務中なの…だから同じ木の葉の忍に、あんまり派手な事件起こして欲しくないんだよね…」

 男は口の端を吊り上げ、酷薄な笑みを浮かべながら、

「ここは俺が何とか始末しておくから、あんたは窓から出ていって。目に付かないよう迅速に、ね。」

 分かった?とイルカの目を覗き込んだ。矢継ぎ早に捲くし立てられて、イルカは目を白黒させた。

 ただでさえ頭は混乱しているというのに。この男は一体何者なのか。

 しかし、その答えをイルカは男の瞳に見出した。

 男の赤々と燃える左目に浮ぶ雷の如き紋様。

 写輪眼…!

 それは木の葉の優秀な忍である、うちは一族に現れる血継限界の印、写輪眼だった。

 写輪眼の持ち主が関る任務は、難易度の高い極秘任務である事が多い。イルカはゴクリと唾を飲み込んだ。

なんて運の悪い。

「出てってくれるよね…?」

 男の物言いは柔らかいのに、抗いを許さない剣呑さを含んでいた。言外にこれは命令だと臭わせて。

 掴まれた肩にめり込む指先に、骨が軋んで痛みを訴えていた。

「う…っ、」

 男の言葉に従うべきか否か。

 イルカは痛みを堪えながら、自分はどうするべきか考えていた。極秘任務の邪魔をするのはまずい。

だけど…それとこれとは話が別だ…!

怪しい男の登場に、返ってイルカは本来の落ち着きを取り戻した。

「これは俺の個人的な問題です…!任務は関係ない、あんたが出てってください…!」

生来負けん気の強いイルカは少しも臆する事も無く、部屋に入って来ようとする男の肩を、ドンと叩いて押し戻した。男は明らかにムッとしたようだった。

「何言ってんの?これは上官命令でしょ…」

滲ませる殺気に忍としての格の違いを見せ付ける。

だがイルカは怯まなかった。幾ら上官の命令といえど、筋違いの話には頷く事はできない。

ここは命を張って、『もしどうしてもというならば、俺を殺してからにしろ、』と啖呵を切り、己の覚悟の程を見せるところだろう。

だがしかし。

イルカは物騒な殺気を放つ、目の前の男をちらと見遣った。

…でもそんな事言ったら、こいつ「あっそう、」とあっさり俺を殺しちゃいそうだよなあ…

血塗られた凄惨な現場を前に眉一つ動かさない。血や殺人が日常の忍相手に『殺せ』と言ったところで、あまり心に訴えかけるようなものがなさそうだ。それでは命を張る意味がなかった。

『殺せ』っていう言葉よりももっと、俺の覚悟を伝えるような…相手が絶対に退くような事ってなんだろう…

即座に頭を働かせ、これだと思う結論を弾き出したイルカは、

「命令でも聞けないものは聞けません…もしどうしてもというならば、俺を…俺を犯してからにしてください…!」

どうだとばかりに高らかに言い放った。

『男が男を犯す』

絶対にありえないし、自分だったら真っ平ゴメンだ。死ぬよりも酷いし、自分で言っておいて気持ち悪くて鳥肌が立つ。

目の前の男もきっと同じような気持ちだろう。

畳み掛けるなら今だ。

イルカはそう思いながら、挑戦的にベストをバサリと脱捨て、上半身裸になった。

「さあ、犯せるものならさっさと犯しやがれ…!」

槍でも鉄砲でも持って来いと謂わんばかりに、イルカは威勢よく叫んでそのまま畳の上にごろんと大の字に寝転んだ。当たり前だが、色気も何もあったもんじゃない。

するとイルカの覚悟が伝わったのか、男がフーと溜息を吐きながら静かに言った。

「…分かった〜よ、」

えっ、本当に…!?

イルカが喜んだのも束の間、男は実に淡々と恐ろしい言葉を続けた。

「犯せばいいわけね、」

いいよ、犯してあげる。

「は…?」

理解を超える言葉に、一瞬イルカの頭の中は真っ白になった。

犯すって…犯すって…えぇ…っ!?

茫然としている間に、なんと男がクナイを握っている事に気付き、イルカはギョッとした。

ま、まさか俺を殺すつもりか…!?

「ちょ、ちょっと、何するんだ!?

刃先を避けようと、思わずイルカが身を捩ると、

「うわ、危ない…っ!急に動かないでよ…目算が狂うでしょ?怪我しちゃったらどうするの、」

男は怒ったように言いながら、振り下ろしたクナイでイルカのズボンをスパスパッと鮮やかに切り裂いた。鋭い切っ先に綺麗に分断された布地が、はらりと畳に落ちる…下着ごと。

その下の肌を、僅かに傷つける事もない手並みは見事だったが、今はそんな事に感心している場合ではなかった。

「ちょちょちょ、ちょっとあんた何して…!」

イルカは慌てて、スースーする下半身を手で覆い隠そうとしたが、男はそれを許さなかった。

「今更焦らすのはナシね。」

着物の帯紐で男はイルカの腕を手早に縛り上げ、抵抗を奪うと、イルカの体をうつ伏せにさせて腰を高く抱えあげた。そのまま尻を左右に広げられて、イルカは想像を絶する羞恥に大恐慌を来たした。

「や、やめろ…っ!」

自由になる足で前に這うようにして逃げると、今度は足首を一纏めに縛られた。

いよいよ抵抗する術を喪ってイルカは青褪めた。

背後から伸し掛かった男が、イルカの耳の後ろを好き放題に舐めながら、内股の敏感な部分を揉むように撫で回すと、おぞぞ〜とイルカの背筋に悪寒が走った。

考えたくないが、なんだか硬くて熱いものが尻にあたっている。

こ、こいつ俺の事を犯る気だ…!まさか男も大丈夫な奴だったなんて…!

遅蒔きながら、イルカはようやく己の危機的状況を悟った。確かに犯せと言ったのは自分だが、まさかそんな無茶苦茶な言葉に、頷く輩がいるなんて思ってもみなかった。

初体験が男相手な上に、自分が死に至らしめてしまった血みどろの死体の側なんて、濃過ぎる。

その後の男としての人生に、大きな影を落としてしまいそうだった。

恐怖に震えるイルカを勘違いして、

「震えちゃって…か〜わいい…あんた慣れてなさそうだもんね、」

大丈夫、気持ちよくしてあげるから、と男があまり嬉しくない事を請け負う。

どうなってしまうのかと恐れ戦いていると、押し広げられた尻の狭間に、ぺちゃりと何か濡れた感触がした。

な、なんだ…?

イルカが苦しい姿勢のまま、ちらと後ろを見遣ると、自分の尻の狭間で揺れる銀髪が見えた。

その時になって初めて、そんな場所を舐められているのだという事に気付いた。

う、嘘だろ…?

頭が羞恥で焼き切れそうだった。ぴちゃぴちゃと淫猥な水音は途切れる事無く続いている。許容を遥かに超えた事態に、イルカは思わず大声を張り上げていた。

「やめろっ、この変態野郎―――――――!!!!!!」

向こう三軒両隣に響き渡るような大声に、空気がビリビリと震えた。

勿論その叫びを店の者たちが聞き逃す筈もなく、

「お客様、一体どうなさいました…!?

慌てたように叫びながら、廊下を駆けて来る幾つもの足音が聞こえた。

男の行動は実に素早かった。

ちっと小さく舌打ちすると、

「続きはまた今度。こっちの任務しくったら責任とってよね、」

イルカのこめかみにちゅっと軽く口づけて、店のものが駆けつける僅かな間に姿を消した。

「ちょ…俺の手足の拘束を解いていけ―――!!!!」

イルカは叫んでみたが時既に遅し、「大丈夫ですか、お客様…!」と背後ですぱんと襖が開けられる音がした。

その後は上を下への大騒動となった。

発見時のイルカの格好が格好だけに、花魁の死は行き過ぎたSMプレイの上での、花魁自身による過失致死という事で片付けられた。あんまりだが仕方がない。それが一番差し障りがなかったのだ。

中に入ってくれた火影は、花魁の名前を知ると僅かに顔を顰めたが、

「色事は奥が深いが、まだ基本も極めぬうちにあまり変わった事ばかりするものでないぞ、」

何事も基本が大切じゃと軽口を叩くだけで、項垂れるイルカに何も聞かなかった。

そんな火影の気遣いに、

火影様…心配かけてすみません…

己を反省しつつも、何処か心が温もるイルカだった。

花魁の手にあった筈の遺品のクナイは、何故か姿を消していた。その代わり、近くには別のクナイが残されていた。

それは銀髪の男がイルカの衣服を切り裂く時に使ったクナイだった。

あの男が姿を消す時、取り違えたんだ…

男が持ち帰った変形型の独特のクナイは、知る人が見れば誰のものかすぐに分かってしまう。

不味いな、とイルカは己の無用心さに舌打ちした。

忍の遺品を密かに所有していた事で自分が罪に問われるのは構わないが、その遺品に関する事で、あれこれと第三者に余計な詮索を受けるような事態は避けたい。折角苦労して隠蔽した真実を、嗅ぎ付けられないとも限らない。

そんな事になったら蜂巣が…

イルカの脳裏に、不安そうな表情を浮かべた親友の姿が浮かんだ。

あのクナイを取り戻さなくては…

イルカはそう思ったが、何だかとても憂鬱だった。できればあの男に二度と会いたくない。

『続きはまた今度。こっちの任務しくったら責任とってよね、』

立ち去り際の男の甘ったるい声が、まだ耳に残っていた。



つづく