裸の上忍様

(その1〜5)



昔々、まだ四代目火影がご存命だった頃の話です。
四代目火影のカヤク様にはそれはそれは優秀な教え子がいました。
その教え子の名前ははたけカカシ。
任務中に亡くなった仲間の写輪眼を左目に移殖し、その仲間の命の分までも頑張ろうとする健気な子供でした。
自慢の教え子でしたが、ただひとつ問題がありました。
それは戦闘中敵にかけられた破廉恥な術の所為で、衣服を着ているのに、何故か全裸に見えてしまうのでした。
口布や、足元の靴はちゃんと見えるのですが、身体の部分だけはどうしても透けてしまうのです。
しかも不思議な事に、カヤク様や三代目火影様、カカシの仲間のリンなどにはカカシがちゃんと衣服を着ているように見えているものですから、カヤク様はしばらくこの事実に気がつきませんでした。
上忍のひとりが、「なんだあいつは。真っ裸じゃないか!」と驚いたように叫んだ事で露見したのです。
どうやらカカシを心から思う者や清らかな心を持つ子供にはちゃんと衣服が見えるようなのでした。
だけど、そんな人間は一握りです。
カヤク様はその術を解いてやろうと懸命に手を尽くしましたが、遂に解術には至りませんでした。
なにしろ、あまり前例がないのです。
「こんなの、どーって事ないです」と強がるカカシが不憫でした。
真っ裸で街中を歩いているように見えるなんて、変態でしかありません。
町を歩く度に警吏に捕まるカカシに、目頭が熱くなるカヤク様です。
腕は立つので誰かに乱暴される心配はないでしょうが、ちゃんとした結婚はできるのでしょうか。
周囲は早くもカカシの事を「裸上忍」だの「フリチン上忍」だの、嘲笑混じりに言いたい放題です。

カカシ君の事をちゃんと理解してくれる人が、将来現れるといいんだけど…

「きっといつか術が解ける日が来るよ」
カヤク様の優しい励ましに、カカシは悲しげな笑みを浮かべるだけでした。
やがてカヤク様は戦いでお亡くなりになり、術の解けぬままに十三年の月日が流れました。
カカシは立派な青年に成長していました。





「おい、あのはたけ上忍が里に帰ってくるらしいぞ!」
「ええっ、本当か?」
「なんでも、あの九尾の狐憑きの子供の上忍師になるとか…」
「で、何時帰ってくるんだ…?」
アカデミーでは朝からはたけカカシ帰還の報で持ちきりでした。
普段はあまり噂話に首を突っ込まないイルカですが、ナルトが関ってくると話は別です。
イルカとは、アカデミーで教師をしている25歳独身の中忍の男の事です。
皆が口にしている「九尾の狐憑き」とは、イルカがアカデミーで目を掛けていた教え子うずまきナルトの事でした。
九尾の狐という恐ろしい魔物を腹に封印されたこの子供が、何か差別を受ける事がないか、イルカはいつも気にしていました。
「はたけ上忍って、一体どういう人なんだ?」とイルカは口を挟みました。
するとみんなは、信じられない、とまるで天然記念物を見るような目をしてイルカを見ました。
「はたけ上忍の事を知らないのか?」と尋ねられて、イルカは素直に頷きました。
イルカは世の中の流れというものに、非常に疎かったのです。
「信じられない…!『はたけカカシ条例』っていう法律もあるくらいなのに」と言われてイルカは吃驚しました。
はたけカカシ条例とは何かと尋ねると、同僚はそのあまりに奇妙な内容について教えてくれました。

一、はたけカカシが通る時、中忍以下の身分の者はその場に伏し、決して面を上げてはならない。
一、もし万が一面を上げた場合、決して笑い声をあげてはならない。また奇声を発する事も禁ずる。
一、はたけカカシを見てしまった者は、決してその身形について他言してはならない…

などなど、ちょっと聞いただけでもとてもおかしな内容でした。
そしてその条例を破ったものには、思い罰が科されていました。
ちょっと笑っただけで、禁錮三年の刑に値すると知った時には、驚きのあまり目が飛び出してしまいそうでした。

あわわ…俺、笑い上戸だからどうしよう…

イルカはナルトの上忍師になるカカシに、是非挨拶をしたいと思っていたのですが、このままだと牢屋行きのような気がしました。
そんな条例を設けられる、はたけカカシとは一体どういう人物なのか。
ますます気になったイルカが再度同僚に尋ねた時、返事を聞く前に、緊急のドラの音がドオオオンと鳴り渡り、
「はたけカカシ上忍のおなーりー…」と先払いの声が聞こえてきました。




受付に緊張が走り、皆忍ならではの素早さでその場にザッとひれ伏しました。
皆の真似をしてイルカもその場に伏してはみましたが、何しろはたけカカシ条例の全容を把握していないので、
何処か間違っていないか、まだ他に注意すべき点はあるのか、気が気ではありません。
思わず頭を上げて辺りをきょろきょろ見回していると、
「馬鹿っ、何してるんだイルカ!?はやく頭を下げろ!二度とお天道様が拝めなくなってもいいのか…!?」
隣りの同僚が切迫した声を上げて、イルカの頭を無理矢理床に押し付けました。
間一髪、丁度その時ドオオンと一際大きい銅鑼の音が近くで鳴って、受付の戸がガラリと開きました。
「皆のもの控えおろう、はたけカカシ上忍のおなりになるぞ…!」
どやどやと入ってくる従者達の足音に、イルカは今更ながらに肝を冷やしました。
同僚が頭を押さえていてくれなかったら、今頃は条例違反で連行されていたかもしれないのです。

あ、危ないところだった…!

イルカが同僚に感謝しながらホッと胸を撫で下ろしていると、伏した視線の先に従者がさっと道をあける様が見えました。
その間をゆっくりと進んで来る忍足を見止めて、イルカはごくりと喉を鳴らしました。
水の上を滑るような見事な足運びは誰あろう、噂の上忍はたけカカシに違いありません。

ナ、ナルトの事で挨拶したいけど…ど、どうしよう…顔を上げなければ挨拶は可、なのか…?

条例に疎い自分が悔やまれましたが、どうしようもありません。
イルカがひとりオロオロしていると、
「みなさん、お忙しい時分に申し訳ありません。今日は私はたけカカシが担当する事になった下忍候補生の恩師の方に、ご挨拶に伺いました、」
海野イルカ先生はどちらですか?と、なんとやんごとなき上忍様のほうから名前を呼ばれてしまったのです。

な、なんて事だ…!普通は身分が下の俺から先に挨拶をするところだろうに…!

慌ててしまったイルカは、
「お、俺…い、いえ私です。私が海野イルカです…!」と条例も忘れ思わず顔を上げてしまいました。
そして次の瞬間、目に飛び込んできた銀髪、斜め額当て、口布という上半身のパーツにイルカはハッとしました。
その3点セットにイルカは見覚えがあったのです。

この人はまさかあの時の…!?

イルカは視線を下へと向けて、間違いない、と確信しました。

この人は俺が捜し続けていたあの人だ…!絶対に間違いない…!他にこんな格好の人はいない…!!!

目の前のはたけカカシはイルカが捜し求めていた人物と同じ、黄金のパンツ一丁という姿をして、きらりと眩い光を放ちながら立っていました。




三代目火影様は苦悩していました。
はやくもはたけカカシ条例に違反する者が出たからです。
数ある条例中、はたけカカシ条例は罰則が最も厳しいものとして有名で、その恐ろしさが浸透した今となっては、違反する者は滅多にいませんでした。
だから安心して長年遠方勤務に出していたカカシを里に呼び戻したのです。
それなのに…。
しかもその違反者たるや、自分が実の息子の様に目をかけているイルカだったのですから、火影様の心労は並々ならぬものでした。
イルカはカカシを前にしながら面を上げてしまったばかりでなく、三分以上もカカシの姿を凝視して、カカシに心理的プレッシャーを与えてしまったのです。
「三分以上の凝視」は罪が重く、このままだとイルカは裸で市中引き回しの刑を受けた上、一年間獄中で過ごさねばなりません。

猫可愛がりし過ぎて、少し浮世離れしたボンヤリに育ってしまったのが災いしたか…
いやいや、それよりもカカシ条例の罰則を厳しく設定し過ぎたか…

火影様は己を悔いましたが、今更どうしようもありません。
連行されてきたイルカの姿に溜息をつきながら、火影様は形ばかりの尋問を執り行いました。
まず最初にカカシがどんな姿に見えていたかを確認するのが決まりです。
子供にはカカシがちゃんと衣服を着ているように見えるものですから、ひょっとしたら大人にもそんな目を持つ者がいるかもしれない、という配慮からでしたが、今までのところそんな者はいませんでした。
大人でも火影様のようにカカシを心から思う者はちゃんと衣服が見えるのですが、初対面でいきなりカカシを心から大事に思ってくれる者などいるはずもありません。
だからてっきりイルカも「はたけ上忍は全裸でした」と答えるものと思っていたのですが…
「ああ、はたけ上忍は額当てに口布をして…それから、それは素晴らしい黄金のパンツを穿いてらっしゃいました。
あれは異国から取り寄せた特別な金糸を編んで作ったものなんでしょうか…?見た事もないほど神々しい輝きを放ってたなあ…」
子供のように興奮した様子でそう言うイルカに、火影様は耳を疑いました。

お、黄金のパンツじゃと…?

今までにないケースです。
さては罪を逃れるための嘘かと、火影様は根掘り葉掘りイルカに尋ね、果ては術や薬まで使って確かめてみましたが、なんとイルカの発言に嘘はないようなのです。
火影様はその事実に途方に暮れました。

これは一体どういう事なのか…
子供から大人へと微妙な年齢に差し掛かった者達の中には、ズボンやパンツといった、カカシの衣服の一部だけが見える場合が珍しくないが…
しかしその場合は実際にカカシが着ている衣服の一部が見えておるのに…
どうしてイルカには実際カカシが穿いていない黄金のパンツが見えるんじゃ…?

そうなのです。衣服の全部が見える場合も衣服の一部が見える場合も、カカシがその時着ている物が見えているわけなのですが、カカシはイルカが言うような黄金のパンツなんて穿いていませんでした。黄金のパンツなんて見えるはずがないのです。
あるはずのないものがイルカには見えているというのはどういう事でしょう。
火影様は不思議でなりませんでした。
兎に角、こんな事態は初めてです。
火影様は困惑しながらも、イルカに刑罰を与えるのはしばらく保留にして、様子を見る事にしました。
解決の目途のないカカシの問題に、イルカが何か変化を齎してくれそうな気がしていました。




表向き、九尾の狐憑きうずまきナルトの元担任として、今後もカカシと接触する機会が頻繁にあると思われるという理由から、
イルカには特別措置が適用される事になりました。
特別措置には面を伏す事の免除、一部禁止用語を除いた会話の自由、三分以上の視線の固定の許可などが盛り込まれています。
その特例を与えられた印として、イルカは〇に特と書かれた銀色の腕章を渡されました。
それは先払いの従者や、イルカをひっ捕らえた暗部もしていたものでした。

な、なんだか大袈裟だなあ…

イルカは腕章をつけながら、不思議な気持ちでいっぱいでした。
というのも、どうしてカカシの姿を見てはいけないのか、その理由がサッパリ分からなかったからです。
世の中の流れに疎いイルカは、世間ではカカシはなんと呼ばれているのか、カカシがどんな風に見えているのかを全く知りませんでした。
だから自分と同様、皆にもカカシの黄金のパンツ姿が見えているものと信じて疑っていませんでした。

プロレスラーだってパンツ一丁だし、相撲取りだってまわしのみだ…
忍も格闘家といえなくないし、はたけ上忍の格好は特殊とはいえ、条例で姿を見るのを禁止するほどのものとは思えないけど…

それともあの黄金のパンツに何か機密が?とイルカは眉間に皺を寄せ色々考えました。
イルカは黄金のパンツ一丁姿のカカシに、露ほどの疑問も感じていませんでした。
幾ら黄金といえど、パンツ一丁で里内を歩き回る輩など、普通に考えれば変態でしかありません。
しかし初めてカカシに会った時の状況が状況でしたので、イルカには黄金のパンツ姿がすんなりと受け止められるのでした。
それは四、五年前の事だったでしょうか。
イルカ達教員はアカデミーの子供達を連れて、合同野外演習に出ていました。
その時ふと目を離した隙に子供達の何人かが足を滑らせ、川に落ちてしまったのです。
前日に雨が降った事もあり、川はいつもよりも水嵩が増し、流れが早くなっていました。
イルカはすぐさま川に飛び込んで、一番近くにいたひとりを助けました。
他はどうなっているのかと辺りを見回すと、イルカと同じように次々に飛び込んだ教員達がそれぞれに助けた子供達を抱えていました。
しかしなんという事でしょう。
ひとりだけ助けられる事もなく、水面をあっぷあっぷと見え隠れする子供の姿を見止めて、イルカは凍りつきました。
浮き沈みを繰り返し遠くなる、金色の頭。
それはナルトでした。
落ちた人数に対し教員の頭数が足りなかったといえばそれまでですが、残ったのがナルトという事実に、イルカは何か衝撃のようなものを受けていました。
生徒がひとりまだ流されかけているというのに、他の教員達の目には焦りの色がありませんでした。

このままではナルトが…っ!

イルカは助けた子供を岸辺に返すと、夢中になってナルトの後を追いました。
他の教員達の動揺した声が水を掻くイルカの耳に途切れ途切れに聞こえてきます。
「ナルト…っ!」
ようやくナルトの腕を掴んだと思った時には、大きな滝が口を開け間近に待ち構えていました。
岸辺に向かって泳ぐ時間などありませんでした。

もう間に合わない…!

イルカは覚悟を決めて、しがみ付くナルトの体をギュウッと抱き締めました。
ドドドと恐ろしい瀑布の音を聞きながら、その時イルカの視界に何か銀色の影がシュッと走るのが見えました。

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