最終回 

 

 

カカシが大賀の死の真実をイルカの口から聞いたのは、翌日二人で競馬に行った時の事だった。

イルカが話したくないなら、この件についてはもう何も聞かずにいようとカカシは思っていたが、イルカの方から話したいと言ってくれた。場外馬券売り場の前の噴水の縁に座り、競馬新聞に赤丸をつけながら、イルカはぽつぽつと喋りだした。それはカカシの予想していたものとかけ離れたものだった。

「十年前、大賀上忍を殺したのは確かに俺です。」

イルカは静かに話を続けた。

「ハッチと俺はその日簡単な文書の運搬任務についていました…危なげの無い任務の筈でした。…空に昇る、救援を求める緊急の狼煙を見るまでは…」

 先に気付いたのは蜂巣だった。兄の大賀の任務が近くである事を知っていた蜂巣は、血相を変えた。

「急ぐぞイルッチ…!」

駆けつけた自分達を待ち受けていたのは、想像を絶する光景だった。

 上忍の中でも誉れの高い大賀が、同じ里の仲間にクナイを突き立てていた。大賀に喉笛を掻き切られた木の葉の忍が、断末魔の喘ぎを漏らす事さえ叶わず、空を掴むようにして力なく崩れ落ちる様を、茫然と見詰めていた。とても信じられなかった。

 大賀は一瞬大きく目を見開いて、

「どうしてこんなところに…もう少しだったのに…くそっ、」

 悪態をつきながらもクナイを構えた。クナイを向けられても蜂巣はまだ茫然としていた。

「嘘だ…っ、嘘だ嘘だ嘘だ…っ兄さんがこんな事…嘘だ…っ」

 肉親で無い分だけ、イルカは正気に返るのが早かった。

目の前でびゅっと大賀のクナイが唸りをあげた。

その不吉に輝く鋭利な切っ先が、蜂巣を狙う。

迷っている暇なんてなかった。

「ハッチ…っ!」

 大賀のクナイが蜂巣の喉笛を切り裂く前に、夢中で引き抜いた脇差しの刃が大賀の急所を貫いていた。

「今思えば…大賀上忍も実の弟を前に非情になりきれなかったんです…だから躊躇いに隙が生じた…そうでなければ俺如きに殺られる訳が無い…いえ、ひょっとすると…わざと避けなかったのかもしれません…」

大賀は今わの際にイルカに向かって頼んだ。蜂巣は酷く取り乱していたので、イルカに頼むしかなかったのだ。

 図々しいとは分かっている…だが後生だから、このクナイを木の葉の狭斜「泡沫」の女郎、浮舟に渡してくれ…

 強い力でイルカの腕を掴み止め、クナイを押し付ける大賀に、イルカは非難がましく言った。

「ハッチには何も無いんですか…?」

 瞬間大賀は薄く笑った。それは見るものの心に痛みを齎す、悲しげな笑みだった。

「…ちすに…れを、」

最後の気力を振り絞って、大賀が何か胸ポケットを探っていたが、目的の物を取り出す前に力尽きた。

イルカは代わりに大賀の胸ポケットを探ってみたが、「いちゃいちゃパラダイス」といういかがわしい本しか見つからなかった。大賀はそれを捜していたわけじゃないだろうと、イルカはそれを再びもとの場所に収めた。きっと大賀は捜す場所を間違っていたのだと思う。

それが大賀の最期だった。結局大賀が蜂巣に何を残そうとしたのかは、永久に分からず終いとなった。

里を裏切った男に蜂巣を思う気持ちが残っていた事が、イルカにクナイを仕舞わせた。女に届けてやるつもりで。初めて殺めた命への罪悪の気持ちも強かった。

 イルカの傍らでは蜂巣が幼子の様に泣きじゃくっていた。

それを見ても忍失格とは思わなかった。自分達はまだ十六歳と年若く、中忍になったばかりで人の死に慣れていなかった。

唯一の肉親の裏切りの場面に出くわし、その刃を向けられ冷静でいられる方がおかしい。

その上この事実が露見すれば蜂巣は忍の道を閉ざされる。忍の罪は一族連座制で、蜂巣もその罪を負う事になるからだ。

同胞殺しの罪は重く、例え忍を辞めたところで里から爪弾きにされる事は必至だった。

特に信頼の厚かった大賀の裏切りともなれば、人々の憎しみは倍増する。蜂巣は一瞬にして全てを失ってしまうのだ。

「どうしよう…イルッチ…俺は…忍を辞めたくない…辞めたくないよ…」

 お前と一緒に上忍になろうって言ってたのに、と泣く幼馴染を放って置く事なんてできなかった。

 蜂巣とはオムツをしていた時からの付き合いだ。

 小さい頃から蜂巣が苛められれば、イルカがその相手をぶっ飛ばし、イルカがその所為で罰として親にご飯を抜かれれば、蜂巣がそっとお握りを持ってくる、そんな関係だった。

だからその時もイルカはすぐに守ってやろうと思った。蜂巣ををずっと守ってやろう。躊躇いはなかった。

「だから火影様に頼んだんです…俺達だけでは騙し通せる訳が無いですから…」

 大賀の裏切りを伏せて、その死の責任を全てイルカが被ると。『どうか蜂巣の将来を閉ざさないでください、』と頼んだのだ。

 火影はイルカの熱意に負けた形で、渋々それに頷いた。

敵の術に操作され、誤って大賀を殺してしまったイルカ。

用意した幾分強引な筋書きに、異議を唱えるものはいない。

真実はイルカと蜂巣と、そして火影の三人の心の中だけにあった。

イルカと蜂巣は、他の忍に大賀の死について僅かでも不審を抱かせない為に、表面上は袂を分かった様に振舞った。

適当な理由をこじつけても、実兄を殺した事に変わりないイルカと蜂巣が懇意にしていては、おかしいと思ったからだ。

そうやって今まで茶番を演じて過ごしてきた。

蜂巣を、守る為に。

「それが全てです…」

イルカの話を黙って聞いていたカカシは、

…大賀とできてたわけじゃなかったんだ…よかった〜よ…ま、何となく、最初に犯った時初めてだって分かっていたけど…

長年心を煩わしていた問題が晴れて、気持ちがスカッとした。

だが、どうもよく分からない事がある。

カカシはぽつりと一つだけ尋ねた。
「大賀は…どうして里を裏切ったの…?」

その問いにイルカは何処か痛ましげに僅かに顔を歪めた。
「火影様に聞いた話によると…恋人の女郎浮舟の身請けの為です。浮舟は有力な大名が側室として身請けする話が持ち上がっていたそうです。それを何とか阻止したい大賀上忍の足元を見て、店側が法外な身請け金を吹っかけてきたんです。勿論、店は始めから大賀上忍に浮舟を渡すつもりなんて無い…所詮無理な話だったんです、」
 それでも大賀は我武者羅に働いて。間に合わないと分かってからは、情報を敵に横流しして。最後は運搬護衛の金子に手をつけ、持ち逃げしようとした。

駆け落ちをして逃げても、大名の雇った忍に連れ戻される事が目に見えていた。

「だから大賀上忍は必死だったんだろうと、火影様は言ってました。」
「そう…」

  それこそ一番、らしくない意外な話だった。

 あの移り気で下半身にだらしのなかった大賀がねえ…

 一人の女に全てを捧げるとは。

 大賀がクナイを遺品に残した女。黄泉の世界へと道連れにしたいほど、特別な女だったのだろう。きっと唯一本気の。

 不思議と大賀の裏切りに対する、怒りや絶望は感じなかった。

 今はその気持ちが分かる気がした。

 イルカを知った今は。自分もきっと同じ事をする。

 …師弟揃って、意外にジュンアイ路線だ〜よ…

 ハメ死んだんじゃないかとか思って、ごめ〜んね大賀…

 カカシは心の中でそっと謝った。

 黙ったままのカカシの手に、イルカが不意に赤ペンを握らせた。

「さ、レースが始まっちゃいますよ、予想予想。」

 明るい調子で言いながら、カカシを励ましているのが分かる。

 大賀の裏切りに、カカシが落ち込んでいると思っているのかもしれない。とても分かりやすい。

「レースあてたら、慰めてくれますか。」

 それにつけ込んで、カカシがわざと憂え顔をして強請れば、

「…あてなくても、慰めてあげますよ。」

 イルカが柔かく唇を重ねてくる。イルカからそんな事をしてくれるのは初めてだったので、もっともっとと何度も強請ったら、最後は丸めた新聞紙で殴られた。

その後カカシはイルカと二人で慰霊碑に向かい、初めて大賀に手を合わせた。

十年の歳月を経て、カカシの中で絵空事のようだった大賀の死が現実のものになる。少し胸が痛んだが、惚れた女と一緒らしいから、大賀的には大往生だったと思う。

イルカは大賀に、持って来た美しい白蓮の花を手向けた。

大賀の惚れた遊女の部屋に、蓮の花の蕾があったのだという。

「こんなに綺麗な花が咲くとは、俺知らなくて。あの花魁も、大賀上忍も、見たかっただろうなあと思うんです。」

 見ていてくれてるといいなとイルカが呟く。

「カカシ先生は何を持ってきたんですか?」

 イルカの問に、カカシはサッといちゃいちゃパラダイスの最新刊を取り出して見せた。「また、そんなものを…」とイルカは呆れた顔をしたが、それが大賀への最高の手向けだとカカシは知っている。

「でも、イルカ先生との毎日の方がずっと刺激的で、イチャパラなんかメじゃないですけどね〜」

「何言ってんですか、神聖な場所で」

 カカシ先生、頭に花が咲いてんじゃないですか、と揶揄するようにイルカが笑う。

 そうかも、とカカシは至極真面目にそう思った。

 慰霊碑の前で揺れる白蓮の純白さに、自分のイルカへの思いを重ねる。そんな思いが自分の胸に咲くとは、思っても見なかった。

 自分の胸いっぱいに咲き乱れる白蓮の花を感じて、カカシはそっと微笑んだ。

(終わり)