第十八回 

 

 

なんでこんな事に…

イルカは自分の家の卓袱台の前に当然のように座り、「おかわりください」と茶碗を差し出すカカシを困惑気味に見詰めた。

一週間前何故だかカカシに押し倒されて、セックスしてしまった。

その時イルカは大賀上忍の師の真実を巡り、詰問するカカシと揉めていた。何も答えないイルカにカカシは確かに腹を立ていた筈なのだが、二人で蓮池に落っこちた後、どういう心境の変化か、カカシは突然こう言ったのだ。

「もう、大賀の事は聞かない〜よ…」

優しい微笑さえ浮かべて。

つい先ほどまで、苦悩も露わにイルカに切々と真実を請うた口で、そんな事を。

イルカは茫然としてしまった。

どうしてそんな風に言えるんだ…?あんたは本当は真実を知りたくて仕方がない筈なのに…

それなのにどうしてそんな晴れやかな顔をして。もう聞かない、だなんてそんな事。

まさか…何も答えられない俺の気持ちを思い遣って…?

ふと浮んだ考えに、まさかとイルカは首を横に振る。

だけど、その考えが頭から離れない。

いつもふざけていて、本心がよく分からない人だけど、本当は酷く優しいところがあるから…

他人のイルカに無理強いするよりは、自分が諦める方を選んだんじゃないだろうか。きっとそうだ。

どうかしていると思った。カカシはどうかしている。真実を沈黙する卑怯なイルカを許すなんて。

そんな…あんたは本当にそれでいいのか…

答える事もできないのに無責任にもそんな事を考え、イルカは唇をきつく噛み締めた。何だか胸が痛い。

良かれと思って自分が決めた事が、全て酷く間違っているような気がして、イルカはカカシの顔をまともに見る事はできなかった。

だから、イルカの家で蓮池の泥を洗い流している時、カカシに押し倒されても、なんとなく本気で抗う事ができなかった。

どうしてカカシが自分にそれを求めるのか分からなかったが、カカシがしたいのならそれでいいと思った。

求められても差し出せない真実の代わりに。カカシがそれで少しでも慰められるならと。

…確かにそう思ったけど…あの時限りだと思ったんだよなあ…あの時のカカシ先生、全てを諦めるような発言をして、心が弱ってるみたいだったし…

一時の慰めみたいなのを求めてるんだと思ってたんだけど…

イルカは差し出された茶碗にご飯を盛りながら、カカシをちらと見遣って溜息を吐いた。

なんでかなー…あれからずっと、カカシ先生俺の家に入り浸りなんだよなー…

身の回りの物を時々取りに帰る以外、カカシはずっとイルカの家にいる。

「只今帰りました〜」と当たり前のようにカカシはイルカの家に帰って来て、一緒にご飯を食べて、一緒にテレビを見たりだらだらして、一緒に風呂に入って、そして一緒に寝ている。

これではまるで同居してるみたいだ。最後の項目はセックスも込みなので、同棲と言うべきか…

最初有耶無耶なままに受け入れちゃったから、なんか今更拒めない雰囲気だし…一体どういうつもりなんだろう…

困惑気味にカカシを見詰めていると、

「心配しなくても、これ、すっごく美味しいですよ〜」

カカシが見当違いにもイルカお手製コロッケを箸でつまんで、にこっと笑ってみせる。思わず見惚れてしまうような笑顔だ。

「そ、そうですか、ハハハ…」

イルカは弱々しく笑いながら、何故だか熱くなった頬をごしごしと擦った。

気を取り直して、俺もコロッケを食おうとイルカがソースを手に取ると、中身が殆ど残ってない事に気付いた。ソースをかけないコロッケなんて、青海苔を振らないたこ焼きや、大根おろしを添えない秋刀魚のようなものだ。決め手に欠ける。

「俺、ちょっとその辺までソースを買いに行って来ます、」

慌てて立ち上がるイルカに、

「え。ソースなんてなくてもいいじゃない、もう夜なのに、そんなわざわざ買いに行かなくても。」

コロッケには何もかけない派のカカシが吃驚した声を上げる。

「俺には絶対ソースが必要なんです!」

譲らないイルカに、やれやれとカカシも箸を置いて立ち上がった。

「俺も一緒に行きます。」

「ええ…!?な、なんでカカシ先生が…。あの、ちょっとひとっ走りして、ソースを買ってくるだけですよ?」

「だってひとりで食べてるの、ヤです!」

今度はカカシの方が譲らず、結局二人で近くのコンビニへと出かける事になった。

大の男が隣り合って降りるには幅の狭過ぎるアパートの外付階段を、ぎゅうぎゅうと体を押し付けるようにしながら、カカシが無理矢理一緒に降りようとした。

「カカシ先生危ないですよ、縦一列でお願いします。」

イルカがそう言えば、「は〜い」と今度は背中に伸し掛かられる。そういう事じゃないんだけどなァとイルカは嘆息しながらも、なんだか面倒だったので、そのまま引き摺るようにずるずると階段を下りた。すると。

「カカシさん、あんた何やってんだ…!?イルッチから離れろ…!」

そこには蜂巣が憤怒の形相で立っていた。

「ハ、ハッチ…!」

驚きのあまりその場に固まるイルカの姿に、蜂巣は一瞬辛そうに顔を俯けたが、すぐにまた顔を上げると、射るような眼差しでカカシを睨みつけた。

「最近イルッチの様子が艶っぽ…いや、何処かおかしいと思って心配になって来てみたら…!カカシさん、何て事をしてるんです?廊下は走らない、階段ではふざけない、そんなの基本でしょう!?イルッチが怪我をしたらどうするんだ…?」

怒りを露わに食って掛かる蜂巣に、カカシはしゃあしゃあと言った。

「い〜んだよ、怪我したら俺が手厚く看病してあげるし、」

「そ、そういう問題じゃ…」

抗議の声を上げたのはイルカだった。

「なんで?下の世話もOKよ?今更恥ずかしがる間柄じゃないでしょ。恥ずかしい場所全部見てんのに。」

「カ、カカシ先生…っ!」

かあっと顔を赤くするイルカとは反対に、さあっと蜂巣が顔を青褪めさせる。

「ああああ、あんたイルッチになんて事を…恥を知れ…っ!」

錯乱した蜂巣が突然カカシに襲い掛かり、その股間を蹴り上げようとしたが、爪先は僅かに性器の一部を掠めただけで、カカシは素早く後方に飛んでその攻撃をかわした。

しかし爪先が僅かに掠めただけでも、場所が場所なだけに物凄い衝撃だ。

じんと痺れにも似た激痛が性器に走って、「う…っ、」とカカシは股間を押さえながら、思わずその場に片膝をついた。

「ハッチ、カカシ先生に何をするんだ…!?

イルカは悲鳴のような声を上げて、血相を変えてカカシに駆け寄った。

「しっかりしてください、カカシ先生…」

カカシは脂汗を額に滲ませながら、

「どうしよ…俺のが役に立たなくなっちゃったら…イルカ先生をもう喜ばせられない〜よ…」

すんとは鼻を鳴らし弱々しく呟いた。どうやら本気でそう思っているらしい。

…んなわけねえだろ、何なんだよそれは…!?

心配していた分、その馬鹿馬鹿しい呟きにイルカは脱力すると共に、猛烈に腹が立った。

「そんなものなくても…いや、あった方がいいんだろうけど、」

気がつくとイルカは大声で叫んでいた。

「俺はカカシ先生の息子が役に立たなくなっても、カカシ先生と一緒にいれるだけで嬉しいです。一緒に飯食ったりだらだらしたり、あんたが笑っているのを…見ているだけで、俺は…っ、」

自分の口から飛び出す言葉に、イルカ自身も吃驚した。

…一緒にいるだけで嬉しいって、それってどういう意味だ…?カカシ先生と飯食ったりだらだらしたりして…俺は嬉しかったのか?

ちょ、ちょっと待て。な、なんかこれじゃ俺、まるでカカシ先生の事…

…好きみたいじゃないか。

そう気付いた瞬間イルカはかあっと顔を赤くした。突然胸が忙しく早鐘を打ち始める。

嘘だろ?とイルカは自分で自分が信じられなかったが、

「…俺もイルカ先生と一緒にいられるだけで嬉しい…」

カカシが蕩けるような笑顔を浮かべて、イルカと同じ事を言ったのにはもっと驚いた。

いつの間にお互いそんな事になっていたのだろう。

でも、自分はずっと以前からそうだったのだろうとイルカは思った。カカシに蓮の蕾を渡された時、蕾がぱっと花開いたように見えた。咲いたのは蓮の花ではなく、多分カカシへの思い。もうあの時にはきっと好きだった。気が付かなかっただけで。

カカシ先生はどうだか知らないけど…

いつかその事を聞いてみたいなと思いながら、イルカはようやく大賀の死について心が定まるのを感じた。

何があっても裏切らないから教えて欲しいとカカシに請われた時、応えてやりたいと思いながらも躊躇いが捨て切れなかった。

だが今は違う。

この人の思いに応えたい…もし真実がカカシ先生を今以上に苦しめる事があっても…その時には俺がいる…ひとりで苦しめたりなんかしない…

イルカは固く心に誓うと、傍らに呆然と立ち尽くす蜂巣に向き直った。

「ハッチ…お前が俺の事を心配してくれているのは分かる…だけど俺の事なら心配してくれなくて大丈夫だ。俺には…カカシ先生がいてくれるから…」

蜂巣を安心させるように、にっこりと会心の笑顔を浮かべると、へへっと照れ臭そうに鼻先を掻く。

「だからハッチも上忍頑張れ。辞めるなんて軽々しく言うなよ。応援してるぞ!」

「イルッチ…」

安心したのか、蜂巣がボロボロと大粒の涙を零し、男泣きに泣く。涙もろいけど友達思いのいい奴なのだ。

俺達親友だもんな、とイルカは心の中で蜂巣に向かって親指を立てて見せた。

「ただお願いがあるんだハッチ…俺は…カカシ先生にだけは真実を話したい…話す事を許してくれるか?」

蜂巣は一頻り泣いた後、ポツリと呟いた。

「…イルッチの好きにするといい、」

 そのまま立ち去ろうとする蜂巣の背中に、

「…な〜んも言わないでいいわけ?」

カカシが突然そんな言葉を投げかけた。何の事だ?とイルカが首をかしげていると、蜂巣が振り返って言った。

「じゃ、遠慮せずに言わせてもらいますけど…カカシさん、あんた格好つけてるけど…社会の窓が開いてるよ。」

「う、嘘…っ、」

カカシはうろたえて股間を確かめたが、社会の窓は開いていなかった。蜂巣はあっはっはっと笑いながら闇に消えて行った。晴れやかな笑い声だった。

「ハッチの奴…悪ふざけが過ぎるな…でも本当はいい奴なんですよ。」

 親友の背中を見送りながら、

 ……ありがとうハッチ…

 イルカは心の中でそっと呟いた。

イルカの言葉に「ふ〜ん、」とカカシが何かを含ませた声音で応える。

「なんです…?」

「いやあんたの天然ぶりに驚いてたんです。」

「て、天然…?」

「ま!そこがいいんだけど、振り回すのは俺だけにしてね。」

振り回されてるのは俺の方なんじゃないかなァとイルカは反論したかったのだが、カカシの唇に塞がれて言葉にする事はできなかった。

 

 つづく