第十六回

 

 

つい一瞬前まで、食べ放題の店で、サラダを食べていた筈なのに…

ここは一体何処なんだ?と、イルカは食べ放題の名残の空の皿を持ったまま、茫然と辺りを見回した。

カカシに突然抱き上げられ、煙に包まれたと思ったら、次に目を開けた時にはもうこの場所に移動していた。暗く湿った土の壁に囲まれたその場所は、何処か山中にある洞穴のようだ。

きょろきょろするイルカにフッと微笑みながら、カカシはここがどこかを教えてくれた。

「ここは演習場の一角に掘られた防空壕なんだ〜よ」

「ぼ、防空壕…?」

「ここなら誰にも邪魔されず、落ち着いて話ができると思ったから…」

確かに誰にも邪魔はされないと思うけれど、果たして落ち着いて話せる場所といえるのだろうか…

防空壕の片隅で、鼠ががりがりと何か骨のようなものを齧っている姿を目の端に留めて、イルカは背筋を震わせた。

それよりも…落ち着いて話って…カカシ先生は何の話をしたいんだろう…

食事を途中で切り上げなければならないほど、火急の話なのだろうか。

イルカが怪訝に思っていると、

「ねえ、イルカ先生。十年前の続きをしよ?果たせなかった約束の続きを、今ここで…」

懐中電灯のスイッチをカチカチさせながら、カカシが突然そんな事を言い出した。

瞬間イルカの心臓が一際大きく脈打った。

ど、どうしていきなりそんな事…

ちらとカカシの様子を窺うと、カカシは思いの外真剣な顔をして、イルカの顔をじっと見詰めていた。

「…大賀はどんな風に死んだの?」

逃げ場のない防空壕の中に、真実を探る言葉だけが静かに響いた。

「本当に…大賀を殺したのはあんたなの?」

「カカシ先生…」

 真っ直ぐな視線に真っ直ぐな言葉。

 疚しいイルカにはどちらも痛くて、受け止める事ができない。

逃れようとするイルカをカカシは壁に追い詰めて、

「大賀と何があったの?蜂巣は…蜂巣はあんたとどういう関係なの?」

腕で囲い込むようにして顔を近づける。

逸らす事を許さぬように、その眼差しを絡ませたまま、「ずっと知りたかった」とカカシが切なる声で請う。

「ずっと本当の事が知りたかった…ねえ教えて?何があっても俺はあんたを裏切るような事は絶対にしない〜よ。」

カカシの心の内の苦しみを表すように、寄せられた眉根が深い皺を刻んだ。

教えて、お願い。

耳元で低く囁かれて、イルカの心は激しく揺れた。

何があっても俺を裏切らないなんて…カカシ先生はやはり俺とハッチが隠し事をしている事に気付いてるんだ…

気付いていてその罪には目を瞑ると言っている…真実を教えてもらう事と引き換えに…それほど大賀上忍の死の真実を求めて…

カカシの苦しみが分かる気がした。肉親の如き恩師の死に何も理由を知らされず、蚊帳の外に捨て置かれて、どんなに悲しく口惜しかった事か。

真実を知らない限り、大賀の死への行き場のない悲しみは、カカシの心の中に居座り続けるのかもしれない。塞がらない傷のように。

イルカは一瞬、全てを話してしまいたい衝動に駆られた。蜂巣の事を忘れて。

いつもふざけているのに、時折酷く優しいこの男を苦しみから救ってあげたかった。自分が辛い時救ってもらったように。

全てを話しても、この人は確かにイルカや蜂巣を裏切らないだろう。何故かその事は信じる事ができた。

だけど真実を話す事が、本当にカカシ先生を救う事になるんだろうか…

それが疑問だった。真実は時として想像以上に残酷だ。真実を知ったら、カカシは今以上に苦しみを抱える事になるのではないだろうか。

イルカの躊躇いは消えなかった。なんと答えたらいいのか分からない。

「ま、まあまあ、カカシ先生…と、取り合えずお茶でも飲みませんか…?」

卑怯だとは思ったが、イルカは返事を誤魔化すようにして、腰に提げた竹筒を手に取った。実は先ほどの食べ放題の店のドリンクバーで、密かにお茶を補給しておいたのだ。

ぎこちない笑顔でカカシを見ると、カカシの顔には失望の色が浮んでいた。

「どうして誤魔化すの…?」

「カカシせんせ…」

「もっと俺を信じてよ…どんな事があっても俺は…俺は…っあんたの事…!うぅ…イルカ先生の馬鹿――――!!!!!」

昨日と同じようにカカシは大声で叫ぶと、ダダッと防空壕を飛び出した。

「カカシ先生、待ってください…!」

イルカは己の卑怯さを心の中で罵りながら、急いでカカシの後を追った。

カカシ先生を傷つけるつもりなんて無かったのに…

結果はこうしてカカシを酷く傷つけて。しかもそれなのにまだ心を決めかね迷っている。

追いかけてどうするつもりだ…?カカシ先生の言葉にまだ答える気もない癖に…

そう思いながらも、足は勝手に動きカカシを追いかける。

「待ってください、カカシ先生…!」

演習場の殺伐とした森を抜けると、両手に蓮池の広がる道に出た。吹き渡る風に、足元で一斉に揺れる蓮の花の姿が、「頑張れ」とイルカを励ましているように見えた。土を蹴る足にぐんと力が篭る。

そのお陰か、イルカは遂に逃げるカカシの腕を掴む事ができた。ぐいっと腕を引いて自分の方を向かせようとすると、

「離してよ…!」

カカシが腕を振り解くようにしながら、どん、とイルカの体を突き飛ばした。

「わ、わわ…!」

突然の出来事に踏ん張る事もできず、道の端から足を踏み外したイルカはそのまま真っ逆さまに蓮池へと落っこちてしまった。

落っこちるまでの僅かな間に、慌てたようなカカシの顔と、急いで差し出された手と、青空と、水に揺蕩う大きな荷葉と。 そんなものが次々とイルカの瞳に映った。

耳にはケロケロと蛙の鳴き声。

蛙が何処かで鳴いているなあ…明日は雨なのかなあ…

イルカが場違いにもそんな事を考え、フッと微笑んだ瞬間。

蛙の鳴き声が消えて、ばっしゃんと派手に泥水が跳ね上がる音が耳を打った。

続けて二度。

一度目はイルカ自身が落ちた音。二度目はカカシが飛び込んだ音だった。

「イルカ先生、大丈夫…!?

泥水の中ざぶざぶと進んできたカカシに体を抱き起こされて、イルカは苦笑した。

カカシ先生まで飛び込まなくてもいいのに…大体俺に怒ってたんじゃないのか…?

跳ねた泥がカカシの口布にこびり付き、呼吸が苦しそうだった。自分の方を心配した方がいいんじゃないかと思う。

イルカは知らず伸ばした指先で、カカシの口布を下げていた。

だって、泥がついて呼吸が苦しそうだったから。

「イルカ先生…」

カカシは吃驚した声を上げて、蕩けそうな笑顔を浮かべた。その笑顔にぼやっと見惚れていたら、深く口付けられた。

え…?や、そういう意味じゃなかったんだけど…ええ…っ!?

イルカは内心焦ったが、カカシが折角笑ってくれたので、もうこれはこれでいいような気がしていた。

カカシのセクハラに慣れてしまったイルカは、少し感覚が麻痺していたのかもしれない。

カカシの口付けはお互いの呼吸を奪うほど激しくも執拗で。

口布を下げた意味がなかったなァ…

イルカはハアハアと呼吸を乱しながら、悠長にもそんな事を考えていた。

 

つづく