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「全く、今日は大事な葬儀があるとあれほど言っておいたのに…お前のところの警部補は物覚えが悪いな、もう耄碌しちまったのか?」
アスマに遁ずらされた署長は忌々しげにイルカに向かって吐き捨てた。
イルカは何と答えてよいか分からず、
「はあ…、すみません」
アスマの代わりに頭を下げながらハンドルを切った。
署長は酷くお冠で、
「お陰ですっかり時間を食っちまった…!葬儀に間に合うかどうか…もう墓地に先回りしておいた方がいいかもしれないぞ!」
苛々と腕時計の針と睨めっこを繰り返していた。幾ら時計を睨んでみたところで時間が止められるわけでもなく、遅刻は必至だ。それも十五分署に飛び込んできた署長が、アスマが遁ずらした事実にヒステリックになって、イルカ達に命じて署内を隈なく捜させた所為だった。とんだ時間の浪費だが、そうしなければ署長が納得しなかったのだから仕方が無い。
イルカは溜息を吐きそうになるのを必死で堪えながら、
「…わかりました、霊園に向かいます。」
パトカーの方向転換をした。

アスマ先輩…恨みますよ…

今更ながら、イルカは心の中でアスマに向かって悪態を吐いた。押し付けられた署長のお守りにうんざりする。
署長はさっきからずっと助手席でイルカにネチネチと絡んでいた。運転席に座っているのがアスマではなくイルカである事が余程気に食わないらしい。署長はアスマの功労を讃える有力者の間を歩き回って、人的なパイプを繋げる事に執心している。本日のアーニー=スタンフィールドの葬儀についても、バックにいるキース=スケアクローが目当てだ。
十五分署に鼻歌混じりにやって来た署長の姿を見て、イルカと紅は目を白黒させたものだ。
署長は悲しみの終劇の場たる葬儀に喜劇役者としてデビューするつもりなのか、だぶだぶの真新しいダークスーツで現れた。緊急に用意したのであろうそのスーツのズボンの裾が妙に余っている様を見て、
「可笑しいのに何処か笑えないところがウッディ=アレン調ね、」
わざと痛ましげな顔をしてこっそりと耳打ちする紅に、イルカは笑いを堪えるのに非常に苦労した。

スケアクロー氏にアピールしようっていう魂胆が見え見えだよなー…

これくらい熱心に捜査に関しても頭を働かせてくれればいいのに、とイルカは内心嘆息した。
署長は渋滞する道路に向かって、
「Shit!」
忌々しげに舌打ちすると、乱暴に背中のシートに身を預けた。額に手を当てながら、
「…まあ、いい。どうせ今日はスケアクロー氏が来るとは限らないんだからな…、そうだ、あの偏屈が来る筈が無い!そうだろう?若いの、」
必死に自分にそう言い聞かせようとする署長に、
「はあ…」
イルカはまた曖昧に答えた。署長はそれを肯定と受け取って、幾分苛々が収まったようだった。現金な事だ。正直に言えば、今日如何なる事があってもスケアクロー氏は葬儀に参列しているだろうとイルカは確信していた。嗅覚の利くマスコミ連中が殺到しているであろう事は容易に知れた。
それでも。

あの人はきっと葬儀に出席する…アーニーの為に…

苦痛なき祝福の国へと、最後まで、きっと見送る。幼き魂が道に迷わぬように道標たる祈りを捧げて。何故かイルカはそう思った。果たしてその想像が正しい事を、イルカはようやく辿り着いた墓地で知った。マスコミが取り囲む輪の中で、既に埋葬式が始まっていた。黒い布で覆われた小さな棺が掘られた土の中に下ろされ、司祭が最後の祈りを捧げる。そのすぐ側に黒の喪服を着たキース=スケアクローの姿があった。その顔は何処か穏やかで緩やかに微笑んでいるかのようにも見えた。痛ましさの欠片も無い。

だが彼は誰よりも深く傷ついているんだ…何となく、分かる…

市警のパトカーにイルカを残し、署長はあたふたと埋葬の場へと駆けて行く。その肩越しにキースの姿を見詰めていると、ふとキースが顔を上げた。
瞬間。イルカはキースと目が合った気がした。
そして自分に向かって嫣然と微笑みかけたような気が。

ば、馬鹿か俺は…んなわけねえだろ…?っていうか、俺って意外に自意識過剰…?

遠く離れた葬列に立つキースが、車内に残る自分の姿を認めたと思うなんて、どうかしている。何処となくカカシの面影のあるキースに、勝手に親近感を抱いているのかもしれないと考えて、イルカは頭を抱えた。本当に、どうかしている。

雲の上の人なのにな…

イルカは苦笑しながらも、葬列に向かいPater noster を小さく唱えて十字を切った。そして後部座席にひっそりと積まれた白い花束をちらと見遣って、どうするべきかと逡巡する。「Please omit flowers」と葬儀の知らせにはあったと署長が言っていたが、念の為に用意していた。形式的な事抜きで、イルカが幼き子供の死を悼む気持ちの表れでもあった。

でも埋葬式も直に終わりだし…まあ、いいか…

人気が引いた頃に出直して、墓の前に献花してもいい。
埋葬式の終わりと共に、人の群れがわっと一斉に移動し始めた。皆キース=スケアクローの後を追っているのだ。

署長はどうしただろう…

ぼうっとその大事な様子を眺めていると、喪服を着た黒髪の少年が群れを外れてイルカの方に向かってやって来た。こんこんとパトカーの窓を叩き、
「ミスターウミノ?」
イルカの名前を確認する。吃驚しながらもイルカが頷くと、白い封筒を渡された。
「この後、家族だけでパーティーがあるんだけど、キースがあんたもどうかって…」

え…?

思い掛けない申し出にイルカは混乱した。どうして俺が?嘘だろう、と口に出して言いたいのに、あまりの驚きに声にならない。
そんなイルカには構わずに、他の人には内緒にしろよ、と少年はぞんざいに言いながらも、後部座席の花に気付くと、
「あれ、アーニーにだろ?貰っていくよ、」
勝手に花を引っ張り出して、顔をほころばせた。
「これ、施設の庭にも咲いてるよ…アーニーの好きだった花だ……あんたは家族じゃないけど、俺も歓迎するよ、」
少年は花を高く掲げながら、また後でな、と声に出さずに口だけで言葉を形どり走り去っていく。
それをイルカは間抜け面をさらしたまま見送るだけだった。夢でも見ているようで、酷く現実味が無い。
だが、手の中に残された白い封筒がこれは現実なのだとイルカに知らせていた。

続く