不器用に愛の告白を
「お〜や、イルカ先生。今日も締まりのない顔ですねぇ」
任務報告書を提出しに事務所を訪れた俺は、手に持った紙切れを差し出しつつ、周囲に笑顔を振りまく目の前の男に嫌味な言葉を投げ付けた。
やっと「ただいま」って顔を見て言えるようになったのに。
やっと「イルカ先生」って名前を呼べるようになったのに。
一体俺は何をしているんだ。
こんなことが言いたいんじゃない。
せっかく口に出せるようになった愛しい名を、こんな風に意地悪く呼びたいわけじゃない。
名前を呼ぶ時に一瞬躊躇してしまう癖――イルカに指摘されて気がついたのだが――が出ないのは喜ばしいことだが、こんな時にばかり治ってもどうしようもない。
「これははたけ上忍殿。お見苦しいものをお見せして申し訳ありません」
差し出された報告書を受け取りながら深々と礼をするイルカは、他人行儀な態度で動揺などみせまいと気丈に振舞うが、俺には彼が傷付いているのがよく分かった。
大切な人をこんな目に合わせている自分が情けなくて仕様がない。
しかし、イルカは知らないだろうが、傷付いているのは俺も同じだ。そう思うと、口から出て来る意地の悪い言葉を止めることが出来なかった。
急に以前のような態度をとりはじめた俺に、イルカは一度だけ何故だと問いかけて来たことがあった。
何故だ、なんて。それはこっちが聞きたいくらいだ。
何も答えずにいると、イルカは諦めたのかそれっきり何も聞いて来ることはなかった。
そしてただただ、俺の吐く酷い言葉に文句も言わず耐えている。
そんな俺がイルカの家に何事もなかったかのように帰ることなど出来るわけもなく、俺達の関係は付き合う前の関係にすっかり戻っていた。
これが自然消滅ってやつなんだろうなと、心の隅で他人事のようにぼんやりと考えた。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
思い出したくもないが、あれは確か十日前のことだった。
その日俺は、イルカを探してアカデミーの中をうろうろしていた。
しばらく歩き回って、彼の気配に気付いたのは資料室へと続く廊下の曲り角だった。
自分の位置からではまだ資料室は見えなかったが、この先にはその部屋しかないことを考えると、イルカが資料室にいるのは間違いない。
すぐにでも声を掛けようと思ったが、もう一つ別の気配を感じてそっと曲り角から様子を伺うと、資料室の扉の前でイルカとどこかで見たことのある中忍らしきくノ一が立ち話をしていた。
「……好きなんです…」
くノ一が気の強そうな眼差しで、イルカを見据えて告げる。
「俺も好きです」
イルカも負けないくらい真直ぐに相手を見返して、はっきりとそう言った。
その言葉が耳に届いた瞬間、鈍器で頭を殴られたような衝撃が俺を襲い、一瞬頭の中が真っ白になった。
これが任務の最中なら、俺は確実に死んでいたに違いない。
その後の事はよく憶えていない。
どこをどう彷徨ったのか、気がつくといつかイルカに酷いことを言って落ち込んでいた時に来た、中庭のベンチに座っていた。
だが、今回は酷いことを言ったのではなく、言われた方だ。
直接何を言われた訳でもないが、目の前で恋人が自分以外の人間に『好きだ』と言っているのを聞いてしまったのだ。
果てしなく不幸のどん底に突き落とされるような言葉を言われたも同然だ。
―――まったくこのベンチにはいい想い出がない。
そう思った時、俺は先程のくノ一が誰であったかを思い出した。
あれは、以前このベンチで落ち込んでいた時に、俺に告白してきたくノ一だった。
俺がイルカの想い人かと勘違いした女。
俺を好きだと言った女。
それが今はイルカを好きだと言う。
別に、俺の事好きだったんじゃないのか、なんて言うつもりは更々無い。
あのくノ一が誰を好きになろうが、知ったことではない。
だが、イルカだけは駄目だ。
否、これがあのくノ一の片思いなら、なんの問題もなかった。
イルカが彼女を振りさえすれば、それは俺にとってはどうでもいいことだった。
しかし、彼もあのくノ一と同じ気持ちだと言う。
イルカは俺と付き合っているのではなかったのか。
やはり彼も男だなのだから、女の方がいいのだろうか。
まあ、男なら抱かれるより抱きたいのは当たり前のことか。
それとも、そういう話以前に、イルカに上手く接することのできない自分に愛想をつかしてしまったのだろうか。
その考えに行き当たると、俺はかなり凹んでしまった。
その可能性は、常に俺を脅かし続けていたからだ。
なにせ俺は、名前を呼ぶことと、それなりの会話をすることは出来るようになったものの、未だに自分の気持ちを伝えたことはないのだ。
夢の中では『好きだ』と言えたが、それが現実に伝わっているはずもなく、機会を伺ってはいるがなかなか言い出すことも出来ないでいる俺なのだから、いつ別れを切り出されてもおかしくはないのだ。
けれど、それならそれで先にそう言ってくれればいいものを、隠れてコソコソと女を作るなんて、あまりにも酷い仕打ちだ。
お互いを射貫くように見つめあっていた二人を思い出す。
そんな風に自分の気持ちを伝えることができる彼等が妬ましかった。
相変わらずイルカに嫌味を言う日々が続き、気がつけば2月も半ばになっていた。
あの衝撃的な場面を目撃してから、半月以上も経ったことになる。
いい加減、イルカに触れたくて仕方がないのだが、彼はもう他人のモノなのだ。
こんなことになるのなら、ちゃんと好きだと伝えておけばよかったと、以前イルカに別れを告げられた時と同じことを後悔しながら、任務を終えた俺は報告書を片手に事務所へと向う。
まったく俺と言うやつは、進歩のない男だ。
捨てられても当然だ、と自虐的なことを思う。
しかしやっぱり諦められずに、傷つけると分かっていながらイルカのシフトに合わせて事務所へと向ってしまう自分を止めることが出来なかった。
「よう、カカシじゃねーか」
暗い気持ちで目的地へ向い歩いていると、聞きなれた声に呼び止められた。
振り返ると、以前イルカのことで相談にのってもらった同僚のアスマが銜えタバコでこちらに歩いて来る。
「なんだ、アスマか」
いつもの猫背で再び歩を進めると、追い付いて横に並んだ男からタバコの匂いに混じって、甘い香りが漂ってきた。
自分と同じく、報告書を持っている所を見ると、目的地は同じらしい。
「なんだはねぇーだろうが」
歩みを止め、不満そうなアスマの身体に鼻を近付けて匂いを嗅ぐ。
遊女の匂いかと思ったが、そうではないようだ。
菓子の匂いらしいが、その種類までは分からない。
「ナニ、この匂い」
この男が、タバコ以外の匂いをつけているのは珍しい。
甘いものに興味のない男だけに、余計だ。
別にアスマがどんな匂いをさせていようが構わないのだが、菓子とアスマという異様な組み合わせから、このアスマは偽者ではないのかと、職業柄勘ぐってしまうのも無理はない。
突然の俺の行動に驚いたアスマは、そう問いかけられて合点がいったようで、匂いのもとを取り出して俺の鼻先に突き付けた。
「ほれ、これだこれ。チョコレートだ。何でも今日は、バレンタインデーつって、女が男にチョコレートを渡して告白する日なんだと」
そんな話は初耳だった。
「ふーん。で、アンタも告白されたってワケなんだ」
俺は鼻先の綺麗に包装された包みを押し退けて、止まってしまっていた足を動かした。
「いや、これは義理チョコっつってな、いののヤツに貰ったんだよ」
「ギリチョコ……?」
首を傾げると、同じく歩き出したアスマの奴がご丁寧に説明してくれた。
なんでもチョコレートには本命チョコと義理チョコの2種類があって、本命は好きな相手に送るもので、義理は日頃お世話になっている人に送るものらしい。
今日は里中が、そのバレンタインデーというやつで浮かれているということだった。
「なんだお前、サクラには貰わなかったのか?」
「んー、そういえばサスケとナルトには何か渡してたみたいだったけど……」
「人望がねぇな、お前は」
「うるさいよ」
そういえば、サクラからもアスマと同じ匂いがしていたことを思い出した。
サクラから菓子の甘い匂いがするなんていつものことで気にしていなかったが。
するとサクラのチョコレートは、サスケにやったのが本命で、ナルトのは義理か。
少しナルトが哀れになったが、人のことを哀れんでいる場合ではなかった。
今日がそんな日ならば、きっとイルカもあのくノ一から本命とやらを受け取っているのだろう。
それを受け取って微笑むイルカが脳裏を過ると、狂暴な気持ちが腹の底から沸き上がる。
「ねぇ、そのチョコってさ、男から渡してもいいわけ?」
あのくノ一の前で、本命だと言ってイルカにチョコレートを渡したら、二人は一体どんな顔をするのだろう。
アンタの恋人は、ちょっと前まで男に突っ込まれて悦んでたんだって言ってやったら、あの女はどんな反応をするだろう。
自分を捨てた恋人の恋路を、なり振り構わず邪魔するなんて格好悪くてどうしようもないが、何も言わずに他に恋人を作ったイルカに、これぐらい仕返しをしてやってもいいじゃないか。
どうせ俺には、もう失うものなんてないんだ。
それに、どんな形であれ、イルカに想いを告げることが出来るなら、もうそれで良かった。
それ程に、この時の俺は自棄になっていた。
「ああ?……まあ、別にいいんじゃねーのか。女からじゃないといけねーって掟もねぇしな」
呆れたようなアスマの声を合図に、俺は踵を返した。
その行動に大体の予想はついたのか、「まぁ、頑張れよ」と俺の背中に声が掛けられる。
そして、同僚の気配はタバコとチョコレートの匂いと共に、遠ざかっていった。
同僚と別れた俺は、真直ぐにアカデミーにある売店に向った。
菓子類も扱っているそこになら、きっとチョコレートもあるだろうと思ったからだ。
しかし、チョコレートはあったが、先程アスマが見せてくれたような、綺麗に包装されたものはなく、そっけない板状のチョコレートだけが、数枚あるだけだった。
状況はどうあれ、イルカへの初めての贈り物なのだから、こんな素っ気無いものよりは、見た目が綺麗な方がいい。
きっと、あのくノ一も立派な物を用意しているに違いない。
けれど、そんな包装されたチョコレートがどこに売っているのかなんて分かるはずもなく、俺は売店で売っているもので妥協することにした。
買ったチョコレートを握りしめた手をポケットに突っ込み、とりあえず俺は当初の目的地だった事務所にやってきた。
どうやって、イルカとくノ一の二人の前でポケットの中の物を渡そうかと思案しながら事務所の扉をあけると、運のいいことに、報告書受理のカウンターに二人が並んで座っているではないか。
おまけに、今この部屋には他の人間は見当たらない。
こんなに都合のいいことはないと思ったが、まだ完全には心の準備が出来ていなかった。
まだ、イルカに対してあまり酷いことはしたくないという良心が、少しは残っている。
それを振り切るようにわざと音を立てて部屋に踏み込むと、俯いて作業をしていた二人が同時に顔を上げて俺を見上げ、そして次の瞬間に、これまた同時に二人は顔を見合わせた。
その息のぴったり合った行動と、この部屋に充満していた甘い香りが、俺の迷いを粉々に打ち砕いた。
「はい、コレ。報告書」
迷わずイルカの前に立ち、乱暴に報告書を机に叩き付ける。
驚いたイルカがそれを受け取る前に、俺はポケットの中のチョコレートを出して、自分の提出した報告書の上に放るように置いた。
「あと、コレ。本命です」
きっぱりとそう告げると、イルカの目が見開かれる。
チラリと女の反応を伺うと、こちらも目を見開いていた。
まったく、いちいちムカつかせてくれる。
「男から本命だなんて、気持ち悪くて受け取ってもらえませんか?」
吐き捨てるようにそう言って、イルカの反応を待たずに、隣に座ってこちらを凝視しているくノ一の方に顔を向けた。
そしてイルカを指差して、畳み掛けるように続ける。
「ねぇ、あんた知ってる?この人ね、ついこの前まで俺に突っ込まれて善がり狂ってたのよ。純情そうな顔して、大した淫乱。まあ、男に突っ込んで喜んでる俺も、相当変態だけど?」
淫乱は言い過ぎだろうとか、何でこういう時ばかり饒舌になるのか、とか、いろいろ思う所はあったが、意思に反して口は勝手に動く。
「どう?もっと詳しく聞かせてあげようか?」
トドメを刺すように、思いっきり笑顔で言ってやった。
口布と額当てでそのほとんどが隠れている顔で、相手にそれが分かったかは怪しいものだったが。
くノ一は、青ざめた顔で細い肩を震わせ、イルカをひと睨みすると、走って事務所を出ていってしまった。
それを見送りながら、俺はしてやったりと、心の中でほくそ笑んだ。
しかし、二人っきりになったところで、非常に気まずくなった。
この分だと、イルカは確実に彼女に捨てられるだろう。というか、既に捨てられたも同然だ。
彼は一体どんな表情をしているのだろうか。
恐る恐る、しかしそれを表には出さずに、イルカの様子を伺うと、目が合ってしまって、余計に気まずくなる。
どうしようかと内心慌てていると、イルカが遠慮がちに口を開いた。
「……あの…、コレ、本命って本当ですか……?」
イルカの指は、俺が机に置いたチョコレートを指している。
「ええ…、そうですが」
イルカの案外平気そうな様子に、俺は力が抜け、先程とは大違いの気の抜けたような声で、問われるままに答えた。
すると彼は、嬉しそうに礼を言って、自分のベストの巻き物入れから細長い筒を取り出し、俺に差し出した。
何だか分からぬままに受け取ると、イルカはにっこり笑って「俺も本命です」と照れくさそうに鼻の古傷を右手の人指し指で軽く引っ掻いた。
そんなイルカの行動に、頭の中を疑問符で一杯にしながら、筒を良く見ると、『マーブルチョコレート』と書いてある。
俺のチョコレート同様、包装も何もされていない素っ気無いものだ。
本命。そしてチョコレート。
それが意味するところは、すなわち。
それは俺にとって嬉しいことではあったが、同時に納得のいかないことでもあった。
「アンタ、あの女に捨てられたからって、俺と寄りを戻そうってんじゃないでしょーね?」
やりなおせるならそれでも良かったのだが、そんな俺の意思を無視して動いてしまう口が恨めしい。
そんな俺を、イルカは訳がわからないと言った表情で、見つめていた。
「あの女っていうのは、さっきの彼女のことですか?だったら、捨てるとか捨てられるとかいう関係じゃありませんよ。それに、別れてもいないのに、どうやって寄りを戻すんですか?カカシ先生はどうか知りませんけど、少なくとも俺は別れたつもりはありませんよ」
「だってアンタ達、告白し合ってたでしょ……」
その時のことを思い出して、胸が苦しくなった。
「それは、何時、どこでの話ですか?何か誤解があるようですが……」
静かにそう聞いてきたイルカに、俺が半月以上も前に見た話をすると、彼は苦笑混じりにその時のことを話してくれた。
二人の実際の会話は、俺の思っていたようなものではなかった。
「うみのさん。アナタ、カカシ上忍と付き合ってるの?」
「……は?何でそんなこと…」
「女の勘よ。一体どうやってカカシ上忍をたらし込んだのよ。男で中忍のアナタが!」
「アナタにそんな失礼なことを言われる覚えはないんですが……」
「だって、普通に考えておかしいでしょう?アナタなんかよりも、女である私の方が、あの人には相応しいと思いませんか?私はあの人が好きなんです…」
「俺も好きです」
会話の途中だけ聞いて逃げ出してしまったのだが、イルカの好きだと言っていたのは、俺のことだった。
あんなに真直ぐな瞳で、はっきりとそう告げてくれたことが嬉しくて仕方がない。
そして、俺が去ったあとも二人の会話は続き、何故かお互いにバレンタインデーに告白して勝負をつけることになったらしい。
勝負をつけるといっても、俺ははじめからイルカだけが好きなのだから、イルカの勝利は決まっていたのだが。
それに、以前告白された時に、はっきりと好きな人がいると言ったはずなのに、懲りない女だ。
しかもそんなこととは露知らず、イルカに辛く当たっていた俺を見て、「捨てられた」だの「飽きられた」だのと、イルカに散々言っていたらしい。
随分と失礼なことを言ってくれるじゃないかと、憤りが込み上げるが、それも自分の馬鹿な言動の所為だと思うと、自分自信に対する怒りの方が強かった。
実際、イルカも半ば諦めていたいたのだと言った。
けれど完全には望みを捨て切れずに、チョコレートを用意して覚悟を決めていたのだとも。
「アナタの性格は、少しは分かっているつもりです。だから、少しでも望みがあるなら、それに賭けてみようかと。……でも、まさか自分がチョコレートを貰えるなんて、想像もしませんでしたけど」
心底嬉しそうに笑うイルカにつられて、ぎこちない笑みを浮かべる。
誤解が解けて、またイルカの元に帰れるのだと思うと嬉しかった。
さっそく今夜は、久しぶりのイルカを堪能しよう。
そう決めた時―――
「そうそう。俺、淫乱なんかじゃありませんから……」
先程までの満面の笑顔を収め、真顔になったイルカが、低く呟いた。
「しばらく俺に触らないでくださいね」
一転して笑顔を浮かべたイルカは、恐ろしかった。
なんだか、俺と付き合うようになった当初に比べ、彼はとても逞しくなった気がする。
こんな性格の男と付き合っているのだから、当然と言えば当然なのだが。
それにしても、半月以上もご無沙汰なのに、この仕打ち。
まあ、これも自業自得か。
愛想を尽かされなかっただけ、よしとしよう。
「……イルカ先生」
躊躇いがちに名前を呼ぶと、嬉しそうな表情を見せてくれる。
それに背中を押されるように、ずっと言いたかったことを告げた。
「アンタが好きです」
これまでも、そしてこれからも……。
END

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