4.イルカの切符(上)

星を捕る男は黙って隠しから、小さな紙切れを取り出しました。
車掌はぱちんと鋏を入れてから、それを男に返すと、今度は(あなた方のは?)というように、イルカ達の方へ手を差し出しました。
「え、ええと、」
イルカは体のあちこちを弄りながら、困ったようにモジモジしていましたが、カカシは訳も無いといった様子で、鼠色の小さな切符を出しました。
(え!カカシは切符を持っていたのか、)
イルカは慌ててしまって、もしかしてズボンの後ろポケットに入っているかも、とその場所に手を入れてみました。イルカはよくその場所に、大切な面子や珍しい葉っぱなどを入れておくのです。すると、指先ががさりと何か紙のようなものに触れました。
急いで出してみましたら、それは四つに折った葉書くらいの大きさの緑いろの紙でした。
(ど、どうみても切符じゃないよな…)
イルカはそう思いましたが、他に渡せそうなものは何も持っていません。
取り合えず、どうとでもなれ、とばかりにイルカはその紙切れを車掌の手に押し付けました。車掌はその紙を丁寧に広げ、しげしげと見詰めていましたが、俄かに頬を紅潮させて、興奮したように尋ねました。
「これは三次空間の方からお持ちになったんですか?」
「わ、分かんない…」
イルカは車掌の熱心な様子に少し驚きながらも、どうやら大丈夫そうだとほっと胸を撫で下ろしました。
「よろしゅうございます。南十字に着きますのは、次の第三時ごろになります。」
車掌はイルカに紙を返して向こうに行きました。
カカシはイルカの手の中に戻って来た紙切れを、気になって堪らないといった様子で覗き込んできました。イルカ自身も初めてそれを見ました。
紙切れは金いろの唐草模様の中に、おかしな十ばかりの字を印刷したもので、黙って見ているとなんだかその中に吸い込まれてしまいそうな気がするのでした。
カカシはそれを見て、酷くホッとしたような、それでいて何処か悲しそうな表情を浮かべました。
(どうしてそんな顔をするんだろう…)
なんだかイルカまで悲しいような気持ちになりました。
すると星を捕る男が横からそれをチラッと盗み見て、酷く意外そうに言いました。
「あら、あなた随分と凄い切符を持ってるじゃないの。これは何処へでも行ける切符よ。でも裏を返せば何処にも留まる場所を持たないという事なの。ふうん…成程ねえ…道理であなたがぴかぴかと輝いて見える筈だわ…あなたはこの不完全な、幻想第四次銀河鉄道の乗客といわけではなかったのね…」
私達とは違うんだわ、ねえ?
くっくっと意地の悪い笑みを浮かべて、男がカカシを見ました。
カカシは一瞬顔を歪めて、ぷいとそっぽを向きました。
イルカは男の言っている事がサッパリ分からず、決まりの悪い思いをしました。
しかしその時ある事実に気付いて、イルカは胸をドキリとさせました。
(あれ…?俺とカカシの切符が違うって事は…行き先が違うってことなんだろうか…?)
自分とカカシはてっきり同じ場所まで行くものだと思い込んでいたのです。
(カカシは何処まで行くんだろう…?その場所に、俺も一緒に行けるんだろうか?)
急にイルカは心配になってきました。
星を捕る男はイルカが何処へでも行けると言っていました。しかし、何処にも留まれないのだとも言っていました。
(カカシの切符はどうなっているんだろう?切符には降車駅が書いてあるのかな?)
聞いてみたくても、カカシはまた機嫌が悪そうにじっと窓の外を眺めています。
イルカはとてもカカシに声をかける事ができませんでした。
「もうじき、天の川停車場だわ、」
速度を緩める汽車の様子に、男が浮き足立った様子で呟きました。
「本当にねえ、どうしてかしら。星を食べても食べても空腹が満たされないのよ。今日も沢山川の底をさらって星を捕らなくちゃ、」
そう言った男を振り返って、イルカは吃驚しました。
先ほどまで十代の少年の姿をしていた男が、白髪の老人となっていたのです。
沢山食べなくちゃ…、
男はぶつぶつと言いながら、席を立つと車室から出て行きました。
停車した汽車の窓からは、花火の様に煌く天の川と、その真ん中に立つ四棟ばかりの黒い大きな建物が見えました。
「あれが有名なアルビレオの観測所か…」
カカシが地図を見ながら呟きました。
その地図の大変立派な事と言ったら!イルカは思わず目を見張りました。
夜のような真っ黒な盤の上に停車場や三角票、大河や森が、青や橙や緑や、美しい光でちりばめられてありました。
「これは黒曜石だね、すごいねえ。カカシはこれを何処で買ったの?」
イルカが尋ねると、ああ、うん、とカカシは言葉を濁しました。
「これはね、貰えるんだよイルカ。この汽車に乗るものは全員。貰えるんだ…」
「え。じゃあ、俺も貰えるのかなあ?」
素晴らしい地図を手にする興奮に、イルカは目を輝かせました。
しかしカカシはさあ、どうだろうと曖昧に答えただけでした。
汽車は再びガタゴトと走り出しました。
流れていく窓の景色に、先ほどの男が河川敷に立つ姿が見えました。
「あ…、」
イルカは窓から身を乗り出して、遠くなっていく男の姿を見ました。
男は身をかがめ、手をばしゃばしゃさせながら、川の中に何度も何度も頭を突っ込んでいました。体が濡れるのにも構わず一心不乱に星を捕る姿は、とても浅ましくも憐れを誘う姿でした。
それを見ていると、イルカは黙っていられない気持ちになりました。
本当にあなたの欲しいものは一体なんですか。
自分がそれを与えてやれるならば、与えてやりたい。そんな風に思いました。
「あの星を捕る男の人が、お腹がいっぱいになる日は来るのかな…俺はあの人のことが、実はちょっと怖かったんだ…だけど…今は少し可哀想に思ってるんだ。俺に何かしてあげられることはあったのかな…」
イルカが顔を曇らせると、カカシがふっと優しい微笑を浮かべました。
「…イルカらしいね…」
俺にはそんな風には思えないけど。
「イルカはイルカのしたいようにするのが一番だと思うよ、」
カカシは何故か機嫌を直した様子でそう言いました。
イルカはカカシの笑顔にかあっと顔を赤くしました。
(今だったら、カカシの切符について聞けそうな気がする…)
イルカが、よし、と心の中で掛け声をかけた時、突然芳しい苹果の匂いが漂ってきました。
「苹果の匂いがするね、それに…野茨の匂いも。」
カカシがそう言うと、不意に近くに人の気配がしました。
「あら、こんなところで会うなんて…」
傍らに髪を肩まで伸ばし、明るい目のいろをした女の子が立っていました。
その時カカシが驚いたように目を見開きました。
「リン…」
カカシはその少女の事を知っているようでした。

続く