初めて会った時は、お人好しそうな人だと思った。
次に会った時は、ちょっと心配性な人だと思った。
その次に会った時は、照れた顔が可愛いと思った。

気付いたら、アナタを見ていた。

”いつから”とか、”どうして”なんて分からないけど‥‥

アナタを好きに、なりました―――。

 

不器用なりに、アナタを想う

 

 

最近の俺の楽しみと言えば、受付所に行くことだ。
受付所にはイルカがいる。
イルカとは、子供達を通して知り合って間もなく、今はまだ、ただの顔見知りだ。
この関係を少しでも進展させたい俺が、彼と会う事のできる場所に行くのを楽しみにしてしまうのは仕方のないことだ。

報告書を提出ついでに、イルカと言葉を交わす。
これが一番イルカに近付ける瞬間だ。
イルカはいつも子供達の様子を聞いてくる。特にナルトのことを心配しているようだ。

それはいつものことなのに、今日の俺はそれが気に食わなかった。
イルカに話し掛けてもらえることを嬉しいと思う反面、どうしようもなく苛ついた。

『子供達はどうですか?』
『あいつら迷惑かけてませんか?』
『ナルトは皆とうまくやっていますか?』

口を開けば、子供、子供。
俺は一体アンタの何?
子供達の様子を聞くだけの伝令役なの?

そう思ったら、言わずにはいられなかった。

「ナルトはもうアンタの生徒じゃない」

自分でも驚くほど、低く無機質な声が出た。

イルカの顔がくしゃりと歪む。

ああ、こんなこと言うつもりはなかったのに。
アナタにそんな顔をさせたいわけじゃないんだ。
ただ、俺の事もちょっと気にして欲しかっただけ。
ああ、きっとこれからは俺のことを気にするんでしょ?
俺の望むのとは別の意味で。

 

情けない。
ただひたすらに、情けなかった。

好きな人を傷つけてどうするんだ。嫉妬なんて醜い感情で。
しかもつい勢いで、『アンタ』だなんて呼び方をしてしまった。
本当はちゃんと名前を呼びたいのに。何て呼んだらいいのか分からなくて、呼べたためしがない。
苗字や階級で呼ぶなんて距離がありすぎて嫌だ。でもいきなり呼び捨てもどうなのか。
やっぱり『イルカ先生』だろうか。

イルカのこととなると、呼び方一つでこんなにも悩まなければならない。

「イルカせんせい」

声に出して、ここにはいない人を呼んでみる。

なんだか身体がむずむずと落ち着かなかった。
何度か呼んでみたが、その度に心がざわついた。
この調子だと、本人を前にして呼ぶのは無理な気がする。

どうしたものか。
とにかくこのままでは嫌われてしまう。
これからは不用意なことを言わないように気を付けよう。

そう決心して、俺は次に備えた。

 

しかしそれからも、俺は暴走する口を止めることができなかった。

イルカの体調が優れないのを誰よりも先に気がついて、優しい声を掛けようとすれば、優しい声の掛け方なんて知らないことに気がついて愕然とする。
そうして気付けば、俺の憎らしい口は、イルカを罵るような言葉を吐く。
要領の悪いイルカに何かアドバイスでもしようかと口を開けば、アドバイスなんてしたことのない俺の口からは、イルカを馬鹿にしたような言葉しか出ない。
人の為に自分を犠牲にして一生懸命なイルカを見れば、イルカに思いやられる人間が妬ましくて、自分のことも見て欲しくて、八つ当たりの言葉が口から出た。

そして、まだ一度も『イルカ先生』と呼び掛けることができないでいる。

 

自分がここまで不器用な男だとは思わなかった。
今まではなんでも器用にこなしてきて、それこそエリートなんて呼ばれていたのに。
今の俺は下忍以下。アカデミーからやり直してこいと言われても反論できない。
もしアカデミーで恋のいろはを教えてくれると言うのなら、いっそ本当にやり直したいくらいだ。

好きな人を傷つけることしかできない俺のねじ曲がった根性を、どうか叩き直して欲しい。

 

 

 

どうにも行き詰まってしまって、俺は恥を忍んで人に相談することにした。

同期の下忍を持つ上忍師でうっとおしいくらい髭を生やした同僚を相談相手に選んだ。
「面倒くせぇ」が口癖だが、女にはマメだと聞いたことがある。
とりあえず、好きな人に好かれる為にはどうすべきかを聞いてみた。

すると、髭の同僚―――アスマは、珍獣でも見るかのような目つきになった。
失礼なヤツだ。俺だってこれでも人の子なんだ。
そう思いながらも、今はコイツだけが頼りだ。俺は大人しく、アスマが口を開くのを待った。
アスマは俺が真剣だと分かったのか、少し考えてから助言してくれた。

曰く、

「好きなヤツには優しくしろ」

 

「‥‥‥‥」

俺は目だけでアスマに訴えた。ふざけるな、と。

「なんだよ。不満なのか?」

訝し気に問うアスマに俺は言い返す。

「そんなことは俺だってわかってんだよ!問題は、どうやって優しくするかだ」

そうだ、優しくしなきゃいけないことぐらい分かっている。そして優しくしたいとも思っている。
でも優しく出来ない。どうすればいいのかわからないのだ。

 

「ふ〜ん。惚れたヤツの前だと余計なこと口走っちまうなんて、お前ぇも可愛いとこあるなぁ」
がははは、と豪快に笑われた。

「うるせぇよ」
だから人に相談なんてしたくなかったんだ。
後悔していると、アスマが笑いをおさめて口を開いた。

「口で言えないんならよ、態度で示せよ」

俺を馬鹿にしながらも、アスマは結構考えてくれていたようだ。
それを聞いてなるほど、と思った。
優しい言葉を掛けられないなら、態度で示せばいい。
それならできる気がした。

「でもどうやって?」
「まあ、困ってるのを助けるってのが一番基本だわな」

アスマはそう言うが、果たしてそう都合良くイルカの困っている所に出くわせるのか。
そうは思いながらも、他に良策の思い付かない俺は、これに望みをかけるしかなかった。

 

 

 

イルカの困った所に出くわすには、アカデミーをうろつくのが一番の近道だ。

俺はアスマに相談したその日から、さっそくアカデミーを徘徊し始めた。
はっきり言って、怪しいことこのうえない。
だが、そんなことには構っていられないのだ。
俺とイルカの溝はかなり深まっている。どこぞの海溝並みに。なんとかしてその溝を埋めなければならない。

そう思いながら、ふらふらと廊下を歩いていると、前方から気配を感じた。

顔を上げると、そこにはアカデミーの職員らしいくノ一が、大量の書類を持って危うい足取りで歩いて来るのが見えた。

ああいうのを困ってるって言うのかね〜。
そんなことをのほほんと思った。

そして、ふといいことを思い付く。
いきなり本番では、うまくできるか分からないから、練習させてもらおう。
我ながらいい考えだと、俺は満足した。

足取りも軽く、くノ一に近付く。

「持ってあげるよ。どこまで?」

声を掛けると、くノ一は吃驚していたようだが、すぐに嬉しそうに笑った。
目的地まで書類を届けると、頬を染めてまた嬉しそうに礼を言ってきた。
そして、「やっぱり噂通り優しいんですね」なんて言う。
俺は一瞬、思考が停止した。なんだか恐ろしい言葉を聞いたような気がする。
自慢じゃないが、俺は優しいとは掛け離れた存在だ。俺の事を知っている人間が聞いたら、笑い死にするかもしれない。
今だって、練習させてもらいたいから手伝っただけであって、普段ならそんなの見て見ぬふりだ。
誰かに優しくしたいなんて思うのも、イルカが初めてだった。
誰がそんなデマを流したか知らないが、訂正する必要性も感じなかったので、とりあえず曖昧にごまかした。

しかし、こんなに喜ばれるものなのか。たかが書類を運んだだけで。
イルカも喜んでくれるだろうか。俺に笑顔を向けてくれるだろうか。
そう考えると、心が弾んできた。

早くイルカを助けてあげたい。

そう思いながら、その機会が訪れるまで、俺はアカデミーの職員を練習台にしながら、日々を過ごした。

 

 

ある日、剥がそうとしているポスターの上の方の画鋲に手が届かないくノ一を助けていると、どこからか視線を感じた。
相手に気付かれないように目だけで辺りを見回すと、そこにはイルカがいた。
じっとこちらを伺っている。こちらと言うよりは、自分の隣にいるくノ一に視線が注がれているように感じた。

なんだかその目は悲しみの色に染まっているように見えた。

どうしよう。イルカはこのくノ一が好きなのかもしれない。
唐突にそんな考えが浮かんできた。
好きな人が、他の男といる所を見て悲しんでいるのかもしれない。
しかも、一緒にいるのはイルカにとって、あまり―――否、かなり印象の良くない男だ。

今まで、イルカに好きな人がいるなんて考えたこともなかった。
ただイルカと自分の関係をどうにかすることで頭が一杯だったから。

脳がじんと痺れたように、何も考えられなくなった。

くノ一がどこか遠いところで、何か言っているのが聞こえた気がした‥‥。

 

 

それから眠れぬ夜を幾度か過ごし、その時はやってきた。

イルカが両手一杯に巻き物を持って、俺の前を歩いている。
これは今までの練習で、一番多かったシチュエーションだ。
考えても答えのでない物はどうしようもなく、とにかくイルカとの関係を前進させることが先決だ。
そう思いながら、俺はイルカに近付いて行った。

 

「ちょっとアンタ」

ああ、まずった。第一声ですでに。
今度こそ『イルカ先生』と呼ぶはずだったのに。

振り返ったイルカの顔がちょっと強張っている。

まあ、呼んでしまったものは仕方がない。
俺は気を取り直して、手伝いを申し出た。

「そんな大荷物抱えて、のろのろ歩いてたら邪魔でしょーが」
だから手伝ってあげる。

そういう意味で言ったつもりだった。
しかし、イルカの顔が一瞬にして曇る。
自分がまた間違えたのだと気付くのに、そう時間はかからなかった。
なんで他の奴等のように、素直に持ってあげると言えないんだ。
謝罪の言葉を述べ廊下の端に寄ったイルカに、今度こそはと声を掛ける。

「どこまで運ぶんですか」

これが精一杯だった。
あれだけ練習したにも関わらず、かなりぶっきらぼうな言い方になってしまった。
そんな俺を、イルカは完璧な笑顔で拒絶した。

イルカに差し出した手も、行く場所をなくし、仕方がないのでポケットに突っ込んだ。
できるだけ平静を装ってイルカの前から姿を消したが、本当は今にも泣き出しそうだった。
いい大人が何をやっているんだろう。
やっぱり俺はどうしようもなく不器用な大馬鹿野郎だ。
言葉がダメなら態度で、なんてそんなの簡単にできるわけがなかった。
そんなことが出来るくらいならとっくにしていたし、俺達の関係はここまで悪化していなかったはずだ。

どうでもいい奴には、いくらでも優しくできるのに。
唯一優しくしたい人には、どうしてか傷つけることしか出来ない。

 

 

こんなことなら、気付くんじゃなかった。この想いに―――。

 

 

 

気付かなければよかったと思っても、それが忘れられるわけでもなく、かといって、また平気な顔をしてイルカの前に立てるかと言ったら、そういう訳でもない。
あれだけ楽しみにしていた受付所通いは、イルカのいない時間帯を狙って行っている今では、ただの面倒臭いものになってしまった。

結局イルカとまともに会話できたのは、自分の気持ちに気付く前の数回だけだった。
気付いてからは緊張してろくに喋れていなかった自覚がある。
イルカが話し掛けてくれなかったら、話すことすら叶わなかっただろう。
例え、子供達の様子を聞く為だけに話し掛けてきていたとしても、今よりはずっとましだった。

あんなことを言わなければ、今でもイルカは俺に話し掛けてくれたのだろうか。
まあ、今となっては考えるだけ無駄なことだが‥‥。

 

「はぁ〜‥‥」

溜め息は際限なく溢れ、今ではこの上忍待機所を埋め尽くす勢いだ。
こんなことをしていても、事態が変わるわけではないと分かってはいても、意識もしないで出てくる溜め息を止める術を、俺は持たない。

「おい、辛気くせ〜んだよ。その溜め息やめろや」

俺の傷心ぶりなんてお構いなしな髭野郎が煙を吐き出しながら、心底嫌そうな顔をした。
テメーの煙だって、俺の溜め息と同じぐらいこの部屋に充満してるってんだ。

「俺は傷付いてんのよ。もっと労ってくれてもいいでしょーに」
そう言って、最後に溜め息を吐くのも忘れない。

「何だよ、もしかして上手く行かなかったのか?」

アスマは見かけのわりに鋭いようだ。
まあ、相談した相手だから当然と言えば当然か。

「まーね。もう最悪」

そしてまた溜め息を吐いた。

詳細に思い出すと、泣いてしまいそうだ‥‥。

「ったく何やってんだか。うじうじしてねーで、もうズバッと言っちまえよ」

アスマが苛々とした様子で煙を吐き出す。

「‥‥何を?」
「何って、お前ぇ‥‥。そんなの『好きだ』って言うに決まってんだろーが」

それを聞いて、俺はわずかに目を見開いた。
そんなことは考えたこともなかった。
ただイルカに近付きたいと思っていただけだった。

『好き』と言ったら、何かが変わるのだろうか。
自分の気持ちを打ち明けて、今までのことを謝ったら、イルカは赦してくれるだろうか。
否、迷惑に思われて、増々嫌われるかもしれない。
でも、もうかなり嫌われているだろうから、一緒のことか。
どうせこれ以上悪くなりようがないのなら、本当の気持ちをイルカに伝えるのもいいかもしれない。
当たって砕けて、落ち込むだけ落ち込んで、スッキリするのも悪くないか。

 

待機所の時計を見ると、イルカが交代するまでまだ時間があった。
白紙のまま放置していた報告書を急いで書き上げると、俺はソファから立ち上がった。

「ま、上手くやれよ」

アスマの声が俺の背中に掛けられる。
それに手を上げて答え、俺は待機所を後にした。

 

 

お座なりに書いた報告書を片手に、受付所の入口までやってきた。

報告書を出して、呑みにでも誘って、そこで今までのことを謝ろう。
そして自分の気持ちを打ち明けよう。

Sランクの任務に就いた時以上の緊張感。体中が心臓になったかのように、ドクドクと脈打っていた。
そんな自分を落ち着かせるように、一度深呼吸をして、扉に手を掛けた。
そして、開けようとした時、中から心地よい笑い声が聞こえてきた。

イルカの声だ。

ここ数日間、焦がれて止まなかったイルカが、この扉の向こうにいる。
そう思うと、体中が熱くなった。
顔が見たい。
俺は音をたてないように、少しだけ扉を横に引いた。
イルカが隣に座った同僚の男と、親しそうに話しているのが見えた。
俺には向けない自然な笑顔を、隣の男には惜しみなく晒している。

ドクドクと五月蝿かった心音が消え、身体がすーっと冷えていく。
引いて行く熱の代わりに、どろりとした闇が体中に染み渡った。
駄目だと思うのに、身体が言うことを聞かず、手が勝手に扉を開ける。
イルカの顔が、僅かに強張った。
それはほんの一瞬で、すぐに無表情になったが、その顔には、『こっちに来るな』と書いてあるように見えた。
しかし、もう俺は自分で身体をコントロールすることができない。
このままでは、またイルカを傷つけることは分かっているのに、どうしようもないのだ。

俺はほとんど諦めの境地で、自分のすることを傍観していた。
そして、案の定俺はイルカに酷い言葉を投げ付けた。
イルカは青い顔をして、咽の奥から絞り出すように「受理しました」とだけ言って、黙り込む。
そんなイルカを、俺はしばらく見ていたが、イルカが決して自分を見ないことに悲しみを覚えて、その場を後にした。

 

ああ、またやっちまった‥‥。

俺は震えそうになる足をなんとか動かして、中庭までやってきた。
力なくベンチに座り込む。
ここまで来たら、徹底した自分の不器用ぶりに、いっそ賛辞を送りたい気分になってくる。
しかし、開き直っている場合ではない。
またイルカを辛い目に合わせてしまった。

やはり自分は人間である前に、忍なのだと思う。
人を殺すことになんの感慨も抱かず、任務とあらば、平気で人を陥れる。
特に、俺が少し前まで所属していた暗部という所は、専らそんなことばかりを担う。
いちいち心を痛めていたら暗部なぞ、やっていられないのだ。
獣の面を被り、数え切れない程の人間を屠ってきたが、本当の仮面は、人間の顔の方ではなかったか。

そう、所詮俺は人間の仮面を被った獣だ。

恋愛なんて満足にできるはずがなかったのだ。

 

しかし、何人人を殺めても何も思わない獣が、イルカの傷付いた顔を見るだけで、己の胸を痛めるなんて。
まったくおかしな話だ。
それが、好きってことなのか‥‥。

人を好きになるって‥‥、切ないんだな。

 

「ごめん‥‥ね、イルカせんせ‥‥」

俺なんかがアナタを好きになったばっかりに、嫌な思いばかりさせて。
イルカに言えなかった言葉を、空に向かって呟いた―――。

 

 

どれくらいベンチで物思いに耽っていたのか、近付く気配で我に返った。
その気配の持ち主は、どこかで見たことのあるような女だった。

誰だっけね〜。

ぼんやり考えていると、その女は俺が座っているベンチの前までやってきた。
どうやら俺に用があるらしい。
改めて近くで顔を見ると、それはすぐに思い出せた。

ああ、イルカが好きかもしれない人だ。

そう認識すると、また暗い気持ちになった。
イルカを虐めるなとか言われたらどうしよう。
ただでさえ落ち込んでいると言うのに、追い討ちをかけるようなことを言われたらたまらない。
俺は憂鬱な気持ちで、目の前の人物が口を開くのを待った。

 

「アナタが好きなんです」

女の発した言葉は、自分の想像とは遠く掛け離れた物だった。
少しほっとする反面、どうしようかと思う。
この女はイルカの想い人かもしれないのだ。
その人が俺を好きだなんて、そんなことを知られたら、増々嫌われる。
イルカへの想いが成就するとは思わないけれど、せめてこれ以上立場を悪くしたくないのに。

今でのことは、謝れば赦してもらえるかもしれないが、これは謝っても赦してもらえることではない。
まったく勘弁してくれ、と言いたくなった。
だが同時にこの女が心底羨ましいと思う。
自分の想いをきちんと相手に伝えることができるのだから。
例え報われぬ想いだとしても‥‥。

はじめは余計なことをしてくれた女を、冷たくあしらおうかと思っていたが、この女も自分と同じなのだと思うとそうすることは躊躇われた。

俺はめずらしく言葉を選んで口にした。できるだけ傷つけぬようにと。
そして断わりを口にすると、女は付き合っている人がいるのかと聞いてきた。
俺は好きな人がいると正直に答えた。
誰にも言えぬこの想いを、誰かに知ってもらいたかったのかもしれない。

そう思った瞬間、ざわりと気配が揺れた。
俺のものでも、目の前の女のものでもない、他の誰かの気配。

これはイルカだ。
今のを聞かれていた‥‥?

イルカが潜んでいるのにも気付かないとは、気が緩むにも程があると、俺は舌打ちした。
驚く女を振り返りもせずに、俺はイルカの気配を辿った。
追い掛けようと思ったわけではない。
気付いたら、身体が動いていた。

 

イルカの動きが止まったので、俺はそっとイルカの様子を伺った。

イルカは演習場に仕掛けられていたトラップに引っ掛かり、地面に丸まって横たわっていた。
トラップに傷つけられたイルカの足からは、血が流れ出し、白い脚絆を真っ赤に染め上げていた。

「−−−ッ!」

それを見て、思わず声にならないうめきが漏れた。
自分が怪我をしたわけでもないのに、痛いと感じる。
イルカは罠を外す気はないのか、身体を丸めたまま動こうとしない。
早く外してやらなければと、俺は焦ってイルカの傍に行った。

さっきの受付所でのこともあるので、どう声を掛けていいかわからず、それでも口を開くと、またイルカを馬鹿にしたような言葉が出た。
まあ、ここまで来たら、こうなることは予想できたが。
俺は、どこか諦めの気持ちでそんな自分を受け入れていた。
俺にはどうしたって、この人に優しくなんて出来ないんだ。
話し掛けても、答えようとしないイルカに焦れて、俺はイルカの足に噛み付いているトラップに手を伸ばした。

もう少しで手が届く―――というところで、イルカは俺の手を避けて、足を引っ込めた。
同時に、「触るなっ!」という怒声が響いた。

正直ショックだった。
今まで、どんなに酷い言葉を掛けても、イルカは口答えしたことなどなく、言われるままになっていたからだ。

そこまで、先程の女が好きなのか。
そう思うと、また自分では制御仕切れない感情が、腹の底から競り上がってきた。

「触らないでどうやって手当てすんの」

地を這うような低い声。おそらく目つきもすごく悪くなっているだろう。
しかしイルカは、そんな俺に臆することなく、言い返してきた。

「放っておいてください。アナタの世話にはなりません」

イルカにはっきりと言葉で拒絶されて、カッと頭に血が上った。

「そんなにあの女が好きなの‥‥」

ああ、誰か俺を止めてくれ。
このままだと、俺は何をするか分からない。
そうは思っても、誰も止めてくれる者など現れるはずもなく、俺の手はイルカの胸ぐらを掴み、乱暴に引き寄せる。
イルカの顔がすぐそこまで近付いた。
もう少し近ければ―――などと、不埒なことが頭をかすめる。
しかし、俺の口は止まらず、更にイルカに詰め寄った。

イルカは違うと言うが、そんなことは信じられなかった。
しかし、イルカは俺の目を真直ぐに見据え、自分には他にちゃんと好きな人がいると言う。
その言葉に、こめかみがピクリと反応した。
条件反射のように、それは誰だと問い返す。

こんなこと聞いて、俺は一体どうするつもりなんだ。
誰だか知ったところで、どうだと言うのだ。
俺が落ち込むことに変わりはないのに‥‥。

そんな風に、心の中はこれ以上ないほどに弱気なのに、俺の態度はこれ以上ないくらい強気だ。
まったく、これも忍の性というやつなのか。

黙ったままのイルカに、俺はやはり強気で、やっぱりあの女が好きなんだろうと言った。
するとイルカは、はじめは悲しそうな顔をしていたのに、その内目が据わってきた。
疑問に思って、イルカの顔をじっと見つめていると、イルカが徐に口を開く。

そして、聞こえてきた台詞に―――

 

‥‥俺は言葉を失った。

 

 

迷惑そうにしているイルカに気付かない振りをして、手を繋ぐ。
初めて触れたイルカの手は、とても心地がよかった。
じわりじわりと、イルカの体温が俺の手を通して、胸に伝わって来る。
二人で歩く、夕焼けに光る通いなれた道は、いつもと違った景色に見えた。

 

イルカの家で手当てをして、それから夕飯をご馳走になった。
そして、いろいろなことを話した。
殆どイルカが喋っていたようなものだったが。

いつも俺の言葉で、痛い思いをしていたこと。
俺がイルカの同僚に親切にしているのを見て、羨ましくて、そして悲しかったこと。
俺への気持ちは、演習場で気がついたこと。

イルカは、今まで俺が見たことのない表情を、惜し気もなく晒してくれる。
不器用な俺は、それに答えてやることはできないけれど、そんなことは気にならないらしい。

 

手当ての最中に、俺が優しくできないと言うと、イルカは笑って言ってくれた。

「その分、俺が優しくしてあげます」

その言葉に、どんなに救われたかアナタは知らないでしょう。
俺はそんなことも、素直に伝えられないから。
けれども、アナタに優しく出来ない分、誰よりもアナタを想うと誓います。

 

不器用なりに―――――。

 

 

 

 

END