Friends番外「素麺が好きv」

ちりんと風が風鈴を鳴らす音を聞きながら、
「あー!夏は素麺が一番ですね!」
イルカがちゅるりと素麺を啜る。
氷を入れた水の中を涼しげに泳ぐ素麺に、それに色を添える缶蜜柑にサクランボ。
薬味のあさつきと海苔も絶対に外せない。
茹だる様な暑さに食欲が減退するような時でも、素麺はイルカの食欲を誘う。
特に今食べている素麺は火影様からの中元のお裾分けで、滅多に口にする事が無いような高級素麺だった。
イルカがいつも口にしている、百均ショップの素麺とはまるで舌触りが違う。
「この腰の強さがたまらないよなあ…」
うっとり呟くイルカの前で、カカシが手にした蕎麦猪口をごとりと落とした。
「わわわ、カ、カカシ先生何やってるんですか…!?汁が零れてますよ…!」
イルカが慌てて台布巾で汁を拭いていると、カカシが顔を蒼白にしてワナワナと震えていた。なんだか物凄く深刻な様子だ。
さっきまで二人で和やかに素麺を食べていたのに。その時の微笑みは消えうせていた。
「ど、どうしたんですか?カカシ先生…」
吃驚してイルカが尋ねると、カカシがびくりと大袈裟に体を跳ねさせた。
何故かその瞳の縁に涙があふれんばかりに浮かんでいる。

え?えええ…!?な、何で泣いてるんだこの人…!?

イルカは訳が分からず、大口を開けたまま呆気に取られていると、
「素麺が一番って…本当ですか?」
ブルブル震えながらカカシが聞いてきた。

それがどうかしたんだろうか。

イルカは首をかしげながらも、
「はあ…?本当ですけど。夏は素麺が一番で決まりでしょう!」
冷中も捨て難いですけど、飽きますからねえ、と何の気なしにのほほんと応えた。
夏の食卓の話題に、何故かカカシはきいっとハンカチを噛んだ。
「…俺に向かって、そこまでいいますか。」
「ええ?だって訊いたのはカカシ先生じゃないですか、」
「俺はそんな返事を期待してたんじゃありません!…俺は…俺は…っ、イルカ先生の馬鹿っ…馬鹿馬鹿馬鹿ーーーーーーーー!!!!!!!」
わっと涙の零れる顔を手で覆って、カカシは上忍然とした身のこなしで突然窓から飛び出していってしまった。
「え?ちょ…カカシ先生…!」
イルカは慌てて窓に駆け寄って外を覗いてみたが、最早そこにカカシの姿はなかった。

な、何だったんだ?一体…

イルカは茫然としながらも、
「取り合えず、素麺を食べよう…」
もう一度卓袱台の前に座って素麺を啜り始めた。カカシの突飛な行動には慣れっこになっていた。直に戻ってくるだろう。
そう高を括っていたが、しかしカカシは日が暮れ、夕飯時になっても戻ってくる気配がなかった。そんな事は初めてだ。

いつもはすぐに、「俺が悪かったです、捨てないでイルカ先生…!」ってべそべそしながら戻ってくるのに…どうしたんだろう…?

イルカは急にカカシの事が気になり始めた。カカシを探しに行くべきだろうか。
だがカカシはでかい図体をした三十路近い男だし、まだ夜も更けていないのだからこんなに心配するのはおかしい。

もうちょっと待ってみるか…

考えながらイルカは額の汗を拭った。無風状態の熱帯夜だ。窓を開けていても部屋の中は蒸し風呂のようだった。物凄く暑い。
「…風呂に入って汗でも流すか…」
暑い時こそあっつい風呂だとイルカは風呂場へと立ち上がった。
すると、浴室の戸の奥で思いがけずぱしゃりと水音が鳴った。

誰かが浴室にいる…!

それが誰かなんて、気配を読まなくても分かった。
イルカはガラッと勢いよく戸を開けながら、
「カカシ先生、こんな真っ暗な浴室で何してるんですか…!?帰ってたなら、ただいまくらい…」
言いやがれ、と続けようとしてイルカは絶句した。
一体何処から突っ込んでいいのか。
水を張った浴槽にカカシが浸かっていた。
大小のかち割り氷がぷかぷかと浮ぶ中、缶蜜柑やサクランボに彩られて。
唇を真紫にしながら、ガチガチと震えている。
その豊かな銀髪の上にはこんもりとたっぷりの浅葱と海苔が盛られていた。
とても異様な光景だ。

なんだってこんな事を…

茫然とするイルカに、カカシは涙目で言った。
「お、俺が…いちびゃんれすよね…?」
「えっ?」
歯の根が合わないカカシの言葉は、何を言っているのかさっぱりわからない。怪訝な声を上げるイルカに、カカシは涙をぼろぼろ零しながら必死に訴えた。
「俺がいちびゃんれひょ…?そうめんじゃなくて…俺がいちびゃんれしゅ…俺があんたにょいちびゃんれしゅ…っ」
ううーと呻き声を上げひっくひっくとカカシがしゃくりあげる。
その難解な言語を解読したイルカはがくりと肩を落とした。今回の騒動の原因はそこかと漸く理解する。

確かに言った…「夏は素麺が一番」だって…
でも…でも…まさか麺類に嫉妬するとは思わないじゃないか…!
麺類と真剣に優劣を競う人類なんていねえだろ、普通…

ばっかじゃねえのとイルカは脱力した。
「いいたい事はわかりました…だけど…あんたが浴槽に缶蜜柑やサクランボと一緒に浸かっているのはどうしてですか…?」
イルカが尋ねると、
「らって、」
カカシがえぐえぐと泣きながら言った。
「ライバルのいひところを盗しゅんでまねしゅれば…っ、いるかせんせひがもっと俺のことしゅきになってくれるかちょ…」
麺類とナチュラルに同列感覚な上忍に頭を痛めつつも、イルカは妙に感心していた。

なかなか鋭いよなあ…カカシ先生…

水に蕩揺う氷に缶蜜柑にサクランボ。浅葱に海苔も外せないと思っていた。
イルカの素麺が一番と感じる魅力ポイントをカカシは的確に見抜き、自分のスタイルに取り入れている。
流石上忍と思いつつも、

素麺に缶蜜柑やサクランボがあしらわれているのは魅力的だけど…全裸のカカシ先生に缶蜜柑やサクランボがあしらわれているのはどうかなあ…。

イルカはカカシの姿を見詰め、ふうと盛大に溜息をついた。

ちょっと努力の方向性がずれてるんだよなあ…

そう思うのに、なんだかいじらしい。いじらしすぎて泣けてきたりなんかするから末期だ。
イルカは鼻をズズッと啜りながら、震えるカカシの肩をそっと抱いた。
氷よりも冷たいその肌に、一体いつから浸かっていたのか、全く無駄に我慢がきくんだからと、また目頭が熱くなる。
イルカはカカシの耳元でそっと囁いた。
「そんなの…カカシ先生が一番に決まっているじゃないですか…」
麺類だとか人類だとか、もう関係ない。
「夏でも冬でも…いつでも何処でも。何よりもあんたが一番ですよ…!」
ニッコリと満面の笑顔で応えれば、
「いるかせんせひ…!」
涙と鼻水を混然一体にしながら、カカシもぱあっと顔を明るくする。

ああ…俺この人のこと好きだなあ…

イルカが満足そうに今はウハウハのカカシを見詰めていると、カカシが突然ざあっと湯船から立ち上がった。
そして傍らにあった大きなペットボトルの蓋を開けると、いきなりどくどくとその茶色の液体を頭から被った。
途端に浴室に充満するかつお風味な臭い。

こ、これは俺の大好きな桃屋の麺つゆ濃縮還元2倍タイプ…!?な、何故カカシ先生がこんなものを被るんだ…!?

イルカは混乱しながらも、なんとなく不吉な予感に身を固くした。
「ちょ、ちょっと、カカシ先生…どうして麺つゆなんてかぶって…」
「これれ準備はオッケーれす!俺を…俺を食べてくらはい…素麺よりしゅきなんれしょ…?遠慮しないでもぐもぐと、幾られもどうじょーーーーー!!!!!!!」
「はいいいいいーーーー!?」
驚いて大口を開けたところに、がっと氷結男根を入れられて。もごもごと抵抗すれば、
「ましゃか…素麺をたべりゅことができりゅのに…俺を食べられにゃいってこちょはないれすよね…!?」
間の抜けた口調に凄まじい殺気を込めて、無邪気にカカシが微笑んだ。
「いるかせんせひ…昼間12杯素麺を食べてたれしょ…?俺のこちょはもっとしゅきなんだから…12杯以上、おかわりしてくれりゅよね…?」

なななな、なんだってーーーー!!!???

内心の絶叫虚しく。かつお風味な夜は過ぎていったのだった。




ぎらつく夏の日差しにゆらゆらと糸遊が立つ。
その色無き炎の向こうに、溶けた風景が歪んで見える。
堪らなく暑い。兎に角暑い。のっぴきならないほど暑い。

…ううー…何もやる気がしねえ…

イルカは休日の午後を裸にトランクスという、夏の親父的正装姿で過ごしていた。
その膝の上には全裸の上忍が頭を乗っけている。
比較的涼しい午前中の貴重な時間を、湿った息を吐きながら暑苦しい事をして過ごしてしまった名残だった。

暑い…このクソ暑いのに膝にシルバーフォックスを乗っけてるみたいだよ…

無駄に保温性に優れたボリュームある銀髪を見詰めながら、イルカはハアと溜息をついた。
その銀の塊を押し退ける気力さえ、もう残っていない。

この人も凄いよなー…こんなに暑いのにべったりくっついてきて…しかも回数も減らないし…

カカシは暑さを感じないというわけではない。今も膝の上でむにゃむにゃとまどろむカカシの鼻の頭には、
びっしりと汗の粒が浮いている。額から流れる汗は最早瀑布のようだ。
だが、それとイルカにべったり貼り付く事は別問題らしい。
「俺の愛は真夏の太陽より熱いです…!この程度の暑さになんて負けません…!」
膝裏の汗疹をガリガリ掻きながら、カカシ先生はぐっと親指を突き出して見せた。

嬉しいような、そうでないような。

暑がりのイルカには微妙な発言だった。
ただでさえ暑さに弱いのに、カカシの湿度…というか情熱が加わって、今年の夏は暑気あたり気味だ。

はー…夕飯なんにしよう…

イルカは何も食べる気がしなかった。昼は冷奴をモソモソと食べただけだ。
こんな時は、いつもだったら「アレ」だった。
今はその名を口にするだけで、カカシが嫉妬に荒れ狂う為、食卓メニューから抹消されてしまったが。氷の浮ぶ水の中、赤や橙の果実にに彩られ、誘うように身をくねらせる処女の如き純白の姿…浅葱と海苔をたっぷり猪口に受かべて、一気につるつるっと…

ああ、食いてえ…俺の大好物の…

思い浮かべてイルカがじゅるっと涎を啜り上げた瞬間、
「…素麺の事…考えてたでしょ?」
膝の上で青い瞳がギラリと剣呑な光を放った。
「カ、カカシ先生…!」
鋭い指摘にイルカは体を強張らせた。それが真実を如実に知らせてしまう。
素麺如きで何故こんなにびくびくしなくてはならないのか。
イルカは馬鹿馬鹿しさを覚えながらも、何処か感じる疚しさにうろたえた声を上げた。

ああ〜…!また十二回勝負になったらどうしよう…

恐ろしくも長い夜を思い出し、
「い、いや、俺は別にそんな事考えてませんでしたよ?」
慌てて打ち消すイルカに、カカシはにっこりと微笑み驚くべき発言をした。
「そんなに素麺が食べたいなら…いいですよ。食べさせてあげます。」
意外な展開になった。
親の仇の様に素麺を敵視していたカカシ自らが、
「イルカ先生、流し素麺をしましょ、」
いきなり態度を軟化させたのだ。

しかも流し素麺と来たもんだ…

イルカは子供の頃、町内で流し素麺大会があった事を思い出していた。
同盟国一長い流し素麺と掲げられたそれは、確かに始まりと終わりの部分が見えないほど長く、その長さを素麺が滞りなく流れていくように、素麺の発射台のようなものが設けられていた。
ボンッという音と共に発射された素麺が、竹の台の中をびゅっと目にも止まらぬ速さで流れていく。
それは忍の動体視力でも捉えられないほどの速さで、誰の箸もそれを掬い上げる事無く、流し素麺の最後に用意された大ざるの中にザンと落ちる。

ボン びゅっ ザン
ボン びゅっ ザン…

結局大ざるに山と溜まった素麺を、町内会の皆で囲んで食べる羽目になった。
夏の日の、何処か哀愁を憶える思い出だ。
その思い出を楽しげなものに塗り替える時がきたのだ。
「流し素麺ですか…!いいですね、」
思わずウキウキと頷いてしまってから、

でも、なんだかおかしくないか…?あんなに素麺に嫉妬していたのに…

カカシの急変振りが気になり始めた。
あの嫉妬深いカカシが敵(?)に塩をおくるような真似を。絶対にありえない事だ。

何か裏があるんじゃないか…?

イルカの中の防衛本能が叫んでいた。
そう、例えば自分の愛をカカシが試そうとしているんじゃないかとか。
カカシを前に嬉々として流し素麺に興じようものなら、それを浮気とみなし、何か恐ろしいお仕置きを用意しているんじゃないかとか。素麺を食べる事に下半身の危機を感じてしまう。

なんで流し素麺の誘いに、こんなに嫌な汗をかかなくちゃいけないんだ…?

暑さの所為だけではない汗をイルカがぐいと拭うと、
「この前七班の任務でねえ、竹林の撤去があったんですよ。そりゃーもう大変で。沢山竹を切り倒したんですけど、随分と立派な竹で勿体無くて…だから流し素麺にどうかなあって。実はもう素麺台の方を作ってみたんです…イルカ先生、喜ぶかなと思って…」
カカシがえへへとはにかんだ様な笑みを浮かべた。
それはとても純真無垢な笑顔で。

お、俺はなんて邪推を…!は、恥ずかしい…カカシ先生は純粋に俺が喜ぶかと思って言ってくれたのに…
そうだよな、以前はカカシ先生も素麺をおいしそうに啜ってたし…カカシ先生も案外素麺が恋しくなったのかもしれないぞ、

イルカはそう納得して、
「嬉しいですカカシ先生…俺、流し素麺したいです…!」
にっこりと笑って見せた。
素麺とその言葉を口にした時の、カカシのギラリと光った恐ろしげな瞳の事は、すっかり忘れてしまっていた。




『イルカ先生、流し素麺をしましょ、』
カカシのその一言で始まった流し素麺の計画は、週末のお互いの休みを待って決行された。
と言うのも、カカシが流し素麺台を設置したという場所が、里外れの山間にある渓流だったからだ。
そうしてそんな場所に、と驚き呆れるイルカに、
「どうせなら避暑の行楽もかねて、涼やかな場所で食べようと思って。夏の一番の思い出にしましょ、」
カカシがはにかんだ笑みを浮かべた。
「カカシ先生…、」
いやに流し素麺に乗り気なのは、ひょっとしたら今までの態度を反省しているのかもしれないな…
素麺による二人の間の確執を洗い流そうと、だから「流し」素麺にこだわるのかも…
イルカはうんうんと何だか妙に納得してしまった。

カカシ先生のその思いを、俺も汲まなくちゃな…!

だから今朝は溌剌と出かけたイルカだ。
カカシが先導するままに、その後ろをついて歩く。
山間の空気はひんやりと涼やかで、生き生きと茂る緑は目に優しく、思いの外気持ちいい。

こんな中で流し素麺をするのか…確かにいい思い出になりそうだ…

ご機嫌のイルカに向かって、カカシが足を止め前方を指差した。
「着きましたよ、イルカ先生。あれが素麺台です。」
「うわあ…!」
イルカは思わず感嘆の声を上げた。
岩肌を飛沫を上げて流れ落ちる清流。
その流れに沿って、滑り台のような形で、竹で作った流し素麺台が設置されているではないか!
その素麺台の姿は、まるで滝を昇る龍を思わせる雄々しさと荘厳さだ。
一瞬流し素麺を食すという本来の目的を忘れ、
「こ、これをカカシ先生が一人で作ったんですか…?すごいですねえ…!!」
イルカは素麺台に駆け寄り、子供のような嬉々とした声を上げた。
竹の中を天然の水流が走っている。
この中を素麺が流れてくるのだ…!
イルカは居ても立ってもいられない気持ちになった。

ああ、丁度昼時で腹も減ったし…もう我慢ができない…!はやく素麺が食べたい…!

その時グウと鳴ったイルカの腹の音に気付き、カカシがクスリと笑った。
「早速流し素麺をしましょうか…!俺があの上流に行って今すぐ素麺を茹でますから、」
カカシは言いながら、リュックから蕎麦猪口や箸、麺つゆの入った水筒を取り出し、イルカに手渡し
た。
「茹で上がったら、すぐに合図をして流しますね…!イルカ先生はこの場所で待っていてください、」
「ええっ!?カ、カカシ先生、一緒に食べないんですか…?」
叫んでしまってから、なんて馬鹿な事をとイルカは頬を赤くした。
流し素麺は誰かが素麺を流さなくては始まらない。
今はイルカとカカシの二人しかいないのだから、どちらか一人が流し、代り番こに食べるしかないのだ。

当たり前の事なのに…俺はカカシ先生と二人で食べるようなつもりで…

カカシと向かい合って、流れてくる素麺に歓声を上げ、掬い上げては「美味しいですね、」と確認しあいながら食べる。そんなつもりでいた。
それなのに。

流れてくる素麺を一人で食べる。「上手く掴めなかったなあ、よーし次こそ、」と一人で盛り上がる
…何処か虚しく思えてしまうのは俺だけだろうか…

イルカが俄かに浮かない顔をするのを見て、
「心配しなくてもすぐに用意しますから、十分後くらいには食べられますよv」
そんなにおなかが減ってるんですか?とカカシが笑いながら、イルカにおろし金を渡す。ついでにずぼりと足元の植物を抜き、
「ここ、山葵が自生してるんですよ…!すごく美味しいんで、素麺が茹で上がるまでの間これでも擦って準備していてください、」
にこにことイルカの手に握らせた。
「じゃ、俺、上に移動しますね…!」
「あ…」
カカシは岩を飛び越え、あっという間に上流へと姿を消した。
イルカは暫し茫然としていたが、仕方がなくおろし金でしょりしょりと山葵をおろし始めた。何となく淋しい作業だ。

カカシ先生は今頃上で素麺を茹でているのかなあ…

イルカがぼんやりとそんな事を考えていると、
「イルカ先生…っ、ゆ、茹で上がり…ました…っ、も、流してもいいですか…っ!?」
突然上流からカカシの声がした。

えっ?もう茹で上がったのか…!?

カカシが上流に移動してから、まだ五分も経っていない気がする。
不思議に思いながらも、
「カカシ先生、いいですよ!流してください!」
イルカは慌てて素麺台の前で構えた。
「イルカ先生、いきますよ…っ!」
その合図のにイルカの緊張は高まった。
次の瞬間。
びゅうっ 
イルカの目の前を、物凄い勢いで素麺らしきものが流れ去った。
素麺らしきと推量形なのは、流れていくあまりの早さに、忍の動体視力を以ってしてもはっきりとその姿を捉えることができなかったからだ。

ま、まさか、また…

イルカの頭の中で町内会の流し素麺の悪夢が甦る。
どうやら渓流に沿って設置された素麺台は、その滑り台のような傾斜に水流の速さが加わって、爆発的な落下速度を生み出すようだった。
箸を手に呆然と立ち尽くすイルカに向かい、
「ど、どうでしたか…?」
カカシが上流から声をかける。
「す、すみませんカカシ先生…し、失敗しちゃいました…次をまた流してください…!」
「わかりました…!頑張ります!」
イルカが大声で返事をすると、カカシが気合の入った声で答えた。
「行きますよ〜イルカ先生!」
「はい!」
しかしまた。

びゅうっ

素麺は無情に流れ去っていく。
「カカシ先生、また駄目でした!次お願いします!」
「うっ、も、もう次ですか…ま、待ってイルカ先生、素麺がまだ…」
少し時間を置いて、また素麺が流された。

びゅうっ
びゅうっ
びゅうっ…

しかし何時まで経ってもイルカは素麺を掬い上げる事ができなかった。
上流のカカシは素麺の茹ですぎで湯気に当てられているのか、
「イ…イルカ先生、は、はやく食べないとイルカ先生の分の、そ、素麺がなくなっちゃい、ますよ…」
苦しそうな声でイルカに伝えてくる。
「す、すみません…!」
イルカは素麺が掬えない自分に焦り始めていた。

カカシ先生に迷惑をかけて…俺もいい加減腹が減っているのに…どうしよう…
町内会の流し素麺の時はどうしていたんだっけ…?

その時イルカはハッと思い出した。

そうだ…!あの時は終着地点にざるを置いてあったんだ…!そこに溜まった素麺をみんなで食べて…
もう仕方が無い、今回も流し素麺の楽しみは諦めて、ざるに溜まった素麺を食おう…!

今までそれに気付かなかったことを悔やみながら、ざるざる、とイルカは持ってきた荷物の中を探した。だがそんなものは見つからない。代わりにお鍋を手にすると、イルカは素麺の終着地点でそれを構えた。
「カカシ先生、次は絶対に大丈夫です…!流してみてください…!」
イルカの声に、
「あ…っ、ちょ、ちょっと待って…く…っ俺もう…あっ、あっ、イルカ先生…っ…も、最後です…っい、行きますよ…!」
カカシがはあはあいいながら叫んだ。
「はい!分かりました!」
真剣な顔でイルカが鍋を持つ手に力を込めた。
その時。

びゅうっ

物凄い勢いで流れてきた素麺らしきものが、

ぼちゃん

鍋の中に落下した。

今だ…!

イルカは大急ぎで落下口から鍋を手元に引き寄せた。

やったぞ…!これでようやく素麺が食べられる…!

安堵の笑みを浮べ、イルカは鍋を覗きこみ、そして固まった。
鍋の中水に蕩揺うのは夏の一番、白き素麺…ではなく白き精液…

流し素麺じゃなくて流しザ○メン…ってか…

ふ。
ふ。

「っざけんなあああああーーーーーーー!!!!!!!」

イルカが怒りの大絶叫を上げて上流へと急げば、そこには下半身を丸出しで、力尽きたように倒れるカカシの姿があった。
その憐れな姿に、イルカの怒りはあっという間に萎えてしまった。
「あんた何やってんですか…?」
イルカが呆れたようにカカシを抱き起こすと、カカシは息も絶え絶えで、白い顔をして言った。
至極大真面に必死な様子で。
「素麺より俺のザ○メンのが好きでしょ…?」

何いってやがる

イルカはそう思うのだが、擦りすぎで皮がむけ、血の滲んだカカシの股間に、なんだか愛しさを覚える。

ほんとにこの人馬鹿だなあ…ここまでして麺類に対抗して…

尻丸出しで頭の悪い事を言うカカシが、とてつもなくいじらしい。
だからイルカはにっこりと笑って言った。
「素麺よりカカシ先生のザ○メンが好きですよ…。」
その台詞に躊躇いはなかった。
イルカも大分カカシナイズされ始めていた。
その台詞に感激したようにカカシがボロボロと涙を零す。
「俺も…っ俺もイルカ先生のザ○メンが好き…っ!」
「ははは…」
イルカがよしよしとカカシの頭を撫でていると、
「だからっ、次は俺の番です…!」
カカシがひっしとイルカの腰に抱きついて来て大声で叫んだ。
「今度は俺がイルカ先生の流しザ○メンを食べる番ですーーーーーーー!!!!!」
「なにいいいいいいいいいーーーーーーーーー!!!!?????」
イルカの抵抗も虚しく、流し素麺の昼は過ぎていったのだった。


その夏の日はある意味、忘れられない思い出…というか忘れられない傷をイルカの心に残した。
大好きだった素麺がイルカの嫌いなものリストに追加された夏だった。

お終い