「銀河鉄道の夜」風カカイル

1.慰霊祭の夜

慰霊祭の人混みの中をイルカはぼんやりと歩いていました。
りんどう色をした夜の空の下では、明かりを燈したたくさんの灯篭が川を流れていきます。その小さな光がちらちらと針のように暗い水面を照らし、まるで光の花が咲いているようでした。
「イルカ先生も川に行くの?」
声を掛けられてイルカがハッと振り向くと、そこにはサクラが立っていました。サクラは手に灯篭を持っています。
烏瓜のような赤い光が、サクラの桃色の頬を明るく照らしているのに、その顔に浮ぶ表情はどこか淋しそうでした。
その後ろから金髪の男の子が顔を出します。ナルトです。その手にもやはり灯篭が下がっていました。
「イルカ先生も一緒に行こうってばよ、そうした方が…」
ナルトの次に続く言葉を予感して、イルカの胸がばっと冷たくなりました。
「絶対カカシ先生もよろこぶって…」
なあなあと飛び跳ねるたびに、金髪がしゃらんと揺れて砂金の如き音を立てます。その音がそこらじゅうできぃんと鳴るようにイルカには思えました。
浮かべていた笑顔が壊れそうになった時、ナルトの頭をばしりと誰かが叩きました。
「早く行くぞ、ドベ」
ついでに足を蹴りながら、サスケがちらと一瞬イルカを見ました。サスケは声にはせずにそっと口だけ開き、何か言葉を紡ぎました。
「     」
イルカはサスケがなんと言ったのか、その唇の動きだけで分かりました。
(サスケ…)
二人の子供を誘うように歩き出すサスケの背中を、イルカがジッと見詰めていると、
「あ、まってサスケくん」
サクラがぺこりとイルカにお辞儀をして、その後を追っていきました。
「え、だってイルカ先生は…」
ナルトはどんどん離れていく仲間の背中とイルカの顔を交互に見ながら、少しの間迷っていましたが、
「イルカ先生、あいつらに置いていかれちゃうから、またな!」
一気に捲くし立てると、慌てて駆け出していきました。
三人の姿が人混みに見えなくなると、イルカはふうっと詰めていた息を吐き出して、握り締めていた手をゆっくりと開きました。
(冷たい…指先がこんなに…)
(名前を聞いただけで…)
(もう二年が経ったのに…)
イルカはいろいろなことを考えて、暫くの間その場所にたっていました。サスケが声もなく告げた短い言葉がひしひしと思い出されました。
『もう忘れろ』
残酷で、でもとても優しい言葉でした。
イルカはそのまま川には向かわずに、かといって家には帰る気にもなれず、闇雲にどんどんどんどん歩きました。もう露の降りかかる草を脇に、イルカは何時の間にか高台の公園に来ていました。ベンチに腰掛け夜空を見上げると、天の川が黒い夜空を南から北へ白い煙のように流れていました。
(人は死ぬと星になるというけれど、あの星の中に…)
一瞬考えてイルカは慌てて頭を横に振りました。
(…俺は信じていない、あの人はきっと帰ってくる)
そう思うのに、イルカは星を見ているとなんとも言えず悲しい気持ちになるのでした。
(あんたはどこにいるんですか…?)
イルカはベンチの上に足を引き寄せ、膝の上に顔を乗せるようにして、体を丸めました。
もう、星を見る気にはなれませんでした。




2.銀河駅

イルカが体を丸めてからどれくらい経ったでしょうか。
ぴかぴかと青光する虫がイルカの膝にそうっと止まり、伏せていたイルカの目蓋を透かしました。
その微かな光にハッとしてイルカが目を開けた瞬間。
「銀河駅、銀河駅、」
何処かで不思議な声がしたかと思うと、まるで億万の蛍烏賊の火をパッと化石化させ、空中に沈めたという具合に、目の前が眩い光でいっぱいになりました。
あまりの眩しさにイルカが何遍もごしごしと目を擦っていると、ゴトゴトゴトゴトと音がして、なんだか体が揺れています。

一体どうしたんだろう…?

イルカは目を擦るのを止めて、辺りを見回してみて吃驚しました。なんと何時の間にか自分は夜の空を走る軽便鉄道の、青い天蚕絨を張った腰掛に座り、車窓から外を眺めるようにしていたのです。ガタゴトと聞こえていた音は列車の走る音でした。その音を聞いていると、イルカは何か頭が段々ぼんやりとしてくるのでした。

俺は誰だっけ…?
一体何をしていたんだっけ…?

記憶が急速にあやふやになり、簡単な事が分からなくなって、イルカは不安になりました。さっきまでは確かに分かっていたのに。どこかがおかしいのに上手く頭が働きません。
イルカが窓に映る自分の姿を覗き込むと、そこにはくりくりと黒い大きな瞳をした、12、3歳くらいの男の子がいました。

これが俺…?

確かに自分の顔だと思うのに、何かが変だと思いました。
何が変なのかわからないまま、イルカが首をかしげていると、前の席で誰か銀色の髪の子供が、窓から頭を出して外を見ているのに気付きました。
その銀色の髪の毛を、どうも見たことがあるような気がして。

顔を見たいな…

イルカはなんだか堪らない気持ちになって、自分も窓から顔を出そうとしました。
しかしそうしないうちに、その子供がイルカのほうへと振り返ったのです。
青い右目に、蠍の火の様に赤く燃える左目。
顔を口布で下半分隠したその少年の顔に、イルカは見覚えがありませんでした。それなのに。
「カカシ、」
イルカの口からは、当たり前の様にその名前がすらりと出たのです。「カカシ」と呼ばれた少年も当たり前の様に、「イルカ、」と名前を呼んで応えました。
すると何故かイルカは泣きたいような気持ちになりました。
どうしてだか分かりません。
だけれども、自分はずっとこの「カカシ」という少年を探していたのだと思いました。
「カカシ、こんなところにいたの?」
イルカが尋ねると、
「うん。みんなはね、随分走ったんだけど誰にも俺に追いつけなかった、」
カカシはそんな事を言って、苦しげな表情をしました。その顔が酷く青褪めています。ぽたぽたと何処かで水滴が滴るような音が聞こえていましたが、どこにも水の跡などは見えず、イルカは首を傾げました。
何か大切なことを忘れているような、おかしな気持ちがしました。
カカシは不意に、
「先生やオビトは俺を許してくれるかな…」
心配そうな顔をして呟きました。
先生やオビト。イルカのぼんやりとした頭の中に、その二人の姿が思い浮かびます。
「許すって…何か悪いことでもしたの?俺が一緒に謝ってあげようか、」
イルカがカカシの隣に座りながら再び尋ねると、カカシが驚いた様な顔をして、ジイッとイルカの瞳を見詰めました。
「イルカは俺を許してくれるの?」
「え、」
今度はイルカが吃驚しました。
何かカカシは自分に対し酷い事でもしたんでしょうか。
でもイルカはサッパリ思い出せません。

どうしよう、カカシは何の事を言っているんだろう…

許すと言いたくても、何故かイルカの唇は動きませんでした。
苦いような気持ちが胸の奥からざわざわと押し寄せてきます。

何か酷く、辛いような記憶が…

思い出したくない、

イルカがそう思った時、俄かに車内がパッと明るくなりました。窓の外に青白い後光の射す白い島が、銀河の流れの中に姿を現していました。その島の中央に目の覚める様な立派な十字架が、金色の円光を頂いて、静かにとこしえに立っているのでした。その光が暗い車内をも明るき光で満たしていたのです。
「綺麗だねえ、」
イルカが無邪気に熟した苹果のように頬を赤くすると、隣りでカカシが悲しげにそっと目を伏せました。
それにイルカは気付きませんでした。




3・星を捕る人

「ここに座ってもいいかしら、」
親切そうでありながら、何処か胸を冷やりとさせる声が、二人の後ろから聞こえました。
そこには青白い顔をした、目つきの鋭い男のひとが立っていました。男のひとは黒い長い髪をして、白い巾で包んだ荷物を肩にかけていました。
にこりと笑う瞳が光の当たる具合によって、ちらちらと金色に光るさまは、綺麗でありながらも、何処か爬虫類の残虐さを孕んでいるようでした。
(このひと、なんだか怖い…。)
イルカはそう思いながらも、
「うん、座ってもいいよ。」
断わるのも躊躇われ、何故か頷いてしまったのでした。
「ありがとう、」
男は嬉しそうに言いながら、肩の荷物をゆっくり網棚に乗せると、窓の外を眺めたままのカカシをちらりと見ました。
「あらあら、この坊や、私の知っている子に随分と似ているみたい…」
一体誰だったかしら、と男は僅かに眉を寄せました。
どうやらその男も細かい記憶があやふやのようでした。
腕組した男をイルカが何気なく見詰めていると、男の頭上に光る車室のあかりが目に入りました。そのあかりに照らされて男の影が壁に大きく映っていました。
それに気付いたイルカはとても吃驚しました。
なんと壁に映し出されたその影は大蛇の形をしていたのです。
(この男の人は、人間じゃない…妖怪か何かなのかもしれない…)
イルカは急に怖くなって、ごくりと唾を飲み込みました。
(カカシは気付いているかな…)
イルカはそっとカカシに視線を向けてみましたが、カカシは相変わらず不機嫌そうに窓の外を覗いているだけなのでした。
「あなた達はどこへ行くの?」
不意に男が尋ねました。
「どこまでって…」
イルカはわたわたしながら考えました。
一体どこまで行くのか、それどころか自分はどうしてこの汽車に乗っているのか、イルカには全く分かりませんでした。それでも何か答えなくてはと思い、
「ど、どこまでも行くんだよ、」
イルカは尤もらしくいいました。
「それはいいわね、この汽車は実際どこまでも行くわ。」
同じように尤もらしく頷く男に、
「そういうあんたはどこへ行くの?」
いきなりカカシが喧嘩腰で尋ねました。
「私?私はすぐに降りるわ、」
男はカカシの様子に特に気分を害した風でもなく、そう答えました。
「私は星を捕まえるのが生き甲斐でね、」
「星を…?」
イルカは男の不思議な答えに目を瞬かせました。
「そう、星。眩しく輝くものから、青白く静かに燐光を放つものまで。大きいものも小さいものも、全部捕まえるの、」
「それをどうするの?」
「あら、知らないの?」
食べるのよ、と男はうっとりと微笑んで言いました。
「星を飲み込むと、その輝きが私の体をも光らせる。御覧なさい、」
男は網棚の白い巾を下ろすと、用心深く口紐を解いて、中から優しい狐火のように燃える、りんどう色をした小さな星を取り出しました。
男はそれを口の中に放り込むと、ごくりと飲み下しました。
すると突然、男の体がぺかぺかと霧のような青白い光を出して輝き始めたのです。発光する体はしゅうしゅうとなにやら怪しげな音を立て、見る見る間に成人した男の姿を年若い少年のそれへと変えました。
「あ…っ!?」
イルカはあまりの驚きに思わず声を上げてしまいました。
今は18歳くらいの容貌となった男が、得意げに言いました。
「星を捕らえるのはとても簡単よ。天の川の底をさらえばいい。星ときたら、馬鹿ばかり。銀河の水は水素よりも透き通って、その姿はまるみえだと言うのに、安穏と眠って隠れもしないんだから。」
だから全部私が食べてやるの。
とても美味しいのよ。
男は茫然とするイルカに向かって、橙に輝く苹果のような星を差し出すと、
「どう、少しおあがりなさいな、」
手に星を握らせようとしました。
その時。
「それは星なんかじゃない、いい加減にしろ、」
男の手から、カカシが怒ったようにいきなり星を叩き落したのです。箒の尾のような光の筋を作って、床に落ちた瞬間、ぱあんと音を立て光の粒子となって弾けるだろうと思った星は、熟れた石榴のように口を開け、どろりとした赤い液体を吐き出したのでした。それは大層血に似ていました。
(気持ち悪い…)
口を押さえるイルカを、カカシが前に出るようにして背中に庇いました。男をぎっと睨み付けるカカシに、おお怖いと男は呆れたように笑いました。
「困るわね、食べ物を粗末にしちゃ。」
男が何処かよくない雰囲気を漂わせた時、
「切符を拝見いたします。」
三人の横に、赤い帽子を被った背高のっぽの車掌が、何時の間にか真っ直ぐに立っていたのでした。
(き、切符だって…?そんなもの持っていたっけ…?)
イルカの頭の中はもう切符の事で一杯でした。

続く