あの人の言葉は‥‥俺の心臓に爪を立てる―――‥‥

 

 

不器用な彼

 

 

「ちょっとアンタ」

ああ、まただ。また何か言われるんだ。

俺は恐る恐る、声がした方に振り返る。
あの人は俺を『アンタ』と呼ぶ。
名前を呼んでもらったことなどあっただろうか。
それどころか、名前を覚えているかどうかも怪しい。

「何ですか、カカシ先生」

振り向いた先には、予想通りあの人が立っていた。

「そんな大荷物抱えて、のろのろ歩いてたら邪魔でしょーが」

そう来たか。

彼は―――カカシは、ことあるごとに俺に突っかかって来る。

そんなの避けて通ればいいだろうに。仮にも上忍なんだから。
なんてことは、思っていても言わない。
これ以上、彼との関係を悪化させても、いいことなんて一つもない。

「それはすみませんでした」

両手一杯に巻き物を抱えているので、目だけでお辞儀をし、廊下の端に移動した。
そんな俺を見て、カカシはこれ見よがしに溜め息を吐き、面倒臭そうに手を差し出した。

「どこまで運ぶんですか」

不本意だけれど仕様がない―――
そんな雰囲気がありありと伝わってくる。
お優しい上忍様は、嫌いな人間にまで手を差し伸べるというのか。

お生憎様。俺はアナタのように人間ができてないんですよ。

「結構です。カカシ先生もお忙しいでしょうし」

満面の笑顔でそう言ってやる。
ちょっと嫌味っぽいかな。でもいいや。

「あーそう」

カカシは差し出した手を無造作にポケットに突っ込んで、どうでもいいという風に呟いた。
そして、音もなく去って行った。

 

カカシが立ち去って暫くしてから、俺はずるずると廊下に座り込んだ。
もちろん巻き物をぶちまけて。

カカシに何か言われる度に、俺の心臓は悲鳴を上げる。

 

『ナルトはもうアンタの生徒じゃない』

『アンタ自分の健康管理もできないの。中忍のくせに』

『また仕事押し付けられて。まったくどんくさいね、アンタは』

『アンタの自己犠牲精神には反吐がでる』

 

あの人の言葉はまるで鋭く尖った爪の様だ。

はじめは心臓を引っ掻く程度だった。
それが何時しか、薄い膜を突き破って血を流させた。
そして瘡蓋ができたころに、またそれを剥がして行くのだ。あの爪は‥‥。

やがて傷口は膿み、腐り落ちていくのではないか。
そんなことが頭を過る。
そうなると、俺はどうなってしまうのだろうか。

今でもこんなに辛いのに‥‥。

 

俺はのろのろと身体を起こして、散らばった巻き物を集めた。
そしてまた、痛む心臓を抱えて職員室に向かって歩き始めた。

 

職員室に着くと、『カカシ』という名が耳に入って来た。
心臓がズキリと軋む。
声がした方を見ると、くノ一の同僚が何人かで楽し気にしゃべっている。
俺は何気なくその話に聞き耳を立てた。

 

「えーいいな」
「あ、あたしもあるわよ。カカシ上忍に荷物持ってもらったこと」
「えっ!嘘っ!?うらやまし〜」
「カカシ上忍って優しいのよね。中忍のあたし達のことも馬鹿にする感じじゃないしね」
「そうそう。他の上忍だったらさ、『ふらふら歩いてんじゃねー』とか言いそうだもんね〜」
「あっ、あたし言われたことある。もーサイテーよね」
「あーあ、カカシ上忍の彼女になんてなれたら最高よね〜。もうすっごく大事にしてもらえそ〜」
「確かに!いいよね〜」

 

同僚達はカカシの噂をしていた。

確かにカカシは優しい。俺以外には。
何度かこの目で、カカシが同僚の荷物を持ってあげているのを見たことがある。
これがもし、くノ一限定だというのなら、俺もそんなに傷付いたりはしない。
中忍という立場上、上忍に嫌味を言われたり、謂れのないことで責められるのには馴れている。
しかし、彼の優しさは男にも平等に注がれている。
だから俺の親しい同僚の中でも、カカシの評判はいい。
カカシに憧れている奴は多い。
上忍の中でもエリートと呼ばれるカカシ。腕はもちろん一流だ。
しかし、それに奢り昂ることなく、下の者にも優しく接してくれる。
そして、彼と知り合う前の自分もまた、そんな彼に憧れていた口だ。
だから余計に、あの人に冷たくされるのは堪える。

一体なにがいけなかったのか。今となってはもう知る由もない。

 

 

それからまた、傷口が塞がるのをじっと待つ日々が続いた。

この傷には、とにかく何も考えないのが一番の特効薬だ。
受付所のカウンターに座り、一心不乱に仕事をこなす。
しかし、あまりに熱心に仕事をし過ぎた所為か、暫くすると暇になってしまった。
報告書を出しにくる人もいない。
どうしようかと思案していると、隣に座っていた同僚が話し掛けて来た。
俺は暇だったので、同僚の話に付き合うことにした。

どこのラーメンが美味しいだとか、誰と誰が付き合っているだとか、そんな他愛もない話をしていると―――

ガラリ。

受付所の扉が開かれた。

報告書を持って来た人だろうと、入口の方を見ると、そこに立っていたのはカカシだった。
ビクリと身体が震えた。
まだ何も言われていないというのに、心臓が痛み出す。
もう条件反射のようなものだろうか。

そんな自分に、心の中で苦笑いを零す。

づかづかとカカシはカウンターに近付いて来る。
どうか同僚に提出してくれ、と心の中で祈った。

しかしそんな願いも虚しく、カカシは俺の前に立つと報告書を差し出した。
俺は何でもない振りをして、「お疲れさまです」と言いながらそれを受け取った。

「俺を嫌いならこっちに来るな」そう心の中で悪態を吐く。

震える腕をどうにか押さえ込んで、報告書に目を通した。
このまま何ごともなく終わればいい。
だが、そう思っていた俺を嘲笑うかのように、カカシの言葉が俺の心臓に襲い掛かる。

「まったく無駄話してる暇があるなんて、アンタはお気楽でいいね」

塞がりかけていた傷口から、また血が流れた。

 

イタイ。

イタイ。

イタイ。

 

俺がアナタに何をしたと言うのか。

俺はやっとの思いで「受理しました」とだけ言った。
カカシは暫く俺の前に立っていたが、俺が何も言わないのを見て、そのまま受付所から出て行った。

痛む胸を押さえていると、同僚が慰めの言葉を掛けてきた。

「カカシ上忍、なんか気が立ってたみたいだな。気にするなよ。普段は優しい人なんだから」

そう言って同僚は俺の肩を軽く叩いた。
同僚の眉はさがり、心底俺を気の毒だと思っている感じだった。
だが、その目にはありありと優越感が滲んでいる。
二人とも無駄話をしていたにも関わらず、俺だけをカカシは咎めた。

おそらくは、同僚は自分が気に入られているとでも思っているのだろう。
しかしそれはないと思う。
だって、只単に俺が嫌われているだけなのだから。

同僚には見えないように、俺は皮肉に微笑んだ。
ああ、俺はいつからこんな嫌なやつになってしまったんだ。

それから仕事が終わるまで、同僚とは一言も口を聞かなかった。

 

 

漸く仕事を終えて、窓の外を見ると、日が傾きかけていた。

帰り支度をすませ、中庭に面した渡り廊下を歩いていると、女の声が聞こえて来た。

「アナタが好きなんです」

思わず振り返ったその先には‥‥同僚のくノ一と―――

 

あの人がいた‥‥‥‥。



 

 

こんな所に出くわすなんて‥‥。

俺は自分の運のなさを呪った。
もう彼の姿を見ただけで心臓が痛みだすというのに。

俺は廊下の壁に背を預けて座り込んだ。
二人は中庭にいて、俺の姿は見えていない。

「付き合ってくれませんか」

同僚のくノ一が言う。

そういえば、このくノ一が困っているところを、カカシが助けてあげているのを見たことがあった。
それで惚れちゃったのかな。
カカシはどうするのだろうか。
承諾‥‥するのだろうか。

ああ、胸が痛い。苦しい。どうにかなりそうだ。

そんなことを思っていると、カカシの声が聞こえて来た。

「あー、悪いけど‥‥ごめんね?」

カカシは断った。
その時何故か、胸の痛みが和らいだ気がした。

しかし―――

「付き合っている人がいるんですか?」

同僚のくノ一の言葉に、再び痛みが押し寄せる。

「いや、それはいないけど‥‥好きな人がいるんだよね」

 

それを聞いた途端、俺の心臓は今までにない程の悲鳴を上げた―――――。

 

気がつくと逃げ出していた。

何も考えずにただひたすら走った。
そして、何時の間にか演習場に足を踏み入れていた。

「やばっ!」

気がついた時にはもう遅かった。
走ることに集中していて、周りに注意を払っていなかったために、俺はトラップに掛かってしまった。
しかも、中忍ならまず掛からない初歩的なトラップにだ。

それは、ウサギや猪などを捕る時に使うようなトラップで、ギザギザの2枚の刃ががっちりと俺の足首に噛み付いている。
しかし、その罠をはずす気力もおきない。
とにかく胸が痛くて張り裂けそうだ。
トラップに掛かった痛みなど、比較にならない。

どうにか胸の痛みを緩和しようと、地面に横たわり、心臓を守るように身体を胎児のように丸めた。
そして目を閉じる。
何も考えてはいけない。

そう思うのに、あの人のことばかりが頭に浮かんで来てしまう。
好きな人がいると言っていた。
いったい誰なんだろう。俺の知っている人だろうか。
きっといつか同僚達が話していたように、カカシはその人のことを大切にするのだろう。
カカシが自分の知らない女の人と並んでいるのを想像した。

 

ズキリ。

 

心臓が音を立てた。

 

嫌だ。

嫌だ。

嫌だ。

 

心が悲鳴を上げた。

 

漸く分かった。
俺はあの人が好きだったんだ。
だからこんなにも辛い。こんなにも痛い。

しかし、気付いたからと言ってどうだと言うのだ。
俺とあの人の関係は、これ以上ないくらいに最悪だというのに。

 

「アンタ、何してんの」

失意のどん底にいる俺に呆れた声が掛けられた。

ああ、あの人だ。

また俺の心臓を抉りに来たのか。
とんだ暇人だな。
もうどうでもよくなって、俺は目を瞑ったままじっとしていた。

「こんな初歩的な罠に引っ掛かって。アンタそれでも中忍なの?」

五月蝿い。
もううんざりだ。

「まったく、だんまりですか」

苛々したカカシが近付いてくるのを感じた。
目を開けてカカシを見ると、罠を外そうと俺の足に手をかける所だった。
俺は反射的に足を引っ込めた。

「触るなっ!」

思わず怒鳴る。

出くわしたものの義務として、仕様がなしに手当てでもするというのか。
そんなのはごめんだ。
俺はそんなものが欲しいんじゃない。

そんな思いを込めながら、カカシを睨み付けた。

「触らないでどうやって手当てすんの」

カカシも俺を睨んでいた。恐ろしく冷たい目で。

だが、怯んではいられない。

「放っておいてください。アナタの世話にはなりません」

ここまではっきり言えば、この前のようにカカシはあっさり引き下がるだろう。
そう思っていた。
だが、カカシはわけの分からないことを言い出した。

「そんなにあの女が好きなの‥‥」

あの女‥‥?
いったい何を言っているのだ、この人は。
何も反応を返せずにいると、カカシは俺の胸ぐらを掴んで、自分の方へ乱暴に引き寄せた。
カカシの顔が間近に迫る。

「こんな間抜けな罠に掛かる程、あの女が好きかって聞いてるんですよ」
「あの女って‥‥?」

そこまで言って、はたと思い付く。
もしかして、あの女と言うのは、カカシの好きな人ではないのか。
カカシは、俺がその女に横恋慕しているとでも思っているのだろうか。
そしてそれを知って怒っているのか。
そう考えると、今までのことも納得が行く。

一体どうしてそんな誤解が生じたのかはわからないが、この誤解が解ければ、この関係も修復可能なのではないだろうか。例えこの恋が成就することがなくても、せめて普通の上司と部下の関係になりたい。
そう思い、誤解を解くべく俺は口を開いた。

「俺はその人の事はなんとも思ってません」
「嘘だ」

カカシは俺の言葉を頭ごなしに嘘だと決めつける。

「嘘じゃありません。俺にはちゃんと好きな人がいるんですっ!」

どうにか信じてもらおうと、言わなくていいことまで言う。

カカシのこめかみが、ピクリと動いた。

「それは誰なんです?」

予想外の突っ込みに俺は焦った。
だって、言えるわけないじゃないか。
アナタが好きです、だなんて。
それこそ修復不可能な関係になってしまう。
黙り込んだ俺にカカシは言う。

「やっぱりあの女が好きなんですね」

まだ言うか。

俺の言うことを信じようとしないカカシに腹が立った。

そして、つい‥‥言ってしまった―――――。

 

「こんな間抜けな罠に掛かる程好きなのはアナタですっ!!」

 

はっとして口を押さえる。
でもそれも後の祭りだ。

ああ、やっちまった。

恐る恐る見上げたカカシは、唯一見えている右目を見開いて固まっていた。
まあ、当たり前だ。
同性に告白されたら、誰だって固まるよな。

あーあ、終わったな。

いたたまれなくなって、俺は罠を自力で外し、それを元のように仕掛け直してその場を後にしようと立ち上がった。
足は痛むが、そんなにたいした傷ではない。
さて歩き出そうかという所で、カカシに手を掴まれる。

「何処行くの?」

やっと正気にもどったかと思えば、そんなことを言う。

さっき俺が言ったこと忘れたのか?
それ程ショックだったのかなぁ。

「どこって、家に帰るんですよ」

そう言いながら、カカシが手を掴んでいるのも気にせずに、歩き出した。
早くカカシから離れたい。

「ふーん」

それなのに、カカシは何故か俺の手を掴んだまま一緒についてくる。

「あの‥‥」
「何」
「手‥‥」

放してほしい。

いったいこの人は何を考えているのか。
もう誤解も解けたはずなのに。

「何か問題でも?」

カカシはなんで放さなきゃならないんだ、とでも言いた気な目で俺を見つめてくる。

「‥‥いえ‥‥別に」

そんな目で見つめられたら断れない。

 

結局カカシは俺の家までついて来た。
そして家の中にまで上がり込んでくる。

「座って」

人の家なのに、自分の家のような言い種だ。
おまけに勝手に人の家を物色して、救急箱を持って来る。
どうやら手当てをしてくれるらしい。
ここまできたら義務でもなかろうと、言われるままに座って手当てを受けた。

 

「俺はきっとアンタに優しくできないよ。それでもいいの?」

器用に俺の足に包帯を巻きながら、カカシがぼそりと独り言のように呟いた。
なんだか俺は、いろいろと誤解していたようだ。
なんでも当たり前に出来ると思っていた上忍は、実はとんでもなく不器用だったと知った。

 

 

気がつくと、胸の痛みはすっかりなくなっていた。

 

 

 

 

不器用なアナタの言葉一つで、俺は簡単に傷付いてしまう。

そして、不器用なアナタの言葉一つで、その傷口は簡単に塞がってしまうのです―――――。

 
 

 

END