インターネットクラブの皆様
いつもお世話になっています、毎日寒い日が続いていますがもう少しの辛抱です頑張りましょう。
今月のメール交換会は22日(金)となっております、テーマは「心に残る歌」とします。
好きな歌、勇気づけられた歌、思い出に残る歌、チョット寂しい歌とそれぞれの心に残る歌をお持ちのことと思います、
それらをご紹介ください、ベテランの方も、新しい方もどしどしとご参加くださいね。
またご自慢の作品も宜しくお願いします。 企画担当 山本雅祥
BGM:春の小川
35期塩谷です。メール交換会に参加します。
「心に残る歌」は二つあります。
其の一はアダモの「雪が降る」です。
若かりし昭和40年頃、大阪ミナミで妻とデートした喫茶店でいつも流れておりました。
(月に1回、戎橋の「平野屋」でちょっとだけ豪華な食事をするのが楽しみでした。)
其の二は(ペドロアンドカプリシャス)高橋真梨子の「五番街のマリー」です。
昭和48年前後、出張で月の3分の2を名古屋で過ごし栄界隈でよく遊んでいた頃
流行った歌で、今でもよく耳にする曲ですが、当時のことがよみがえってきます。
35期の小林弘です、メール交換にさんかします
「心に残る歌」歓迎会で35期生が参加で歌ったのが「ふるさと」で私には懐かしく感じました、参考ですが午前の授業で(心に歌を歌いましょう)にも過去5ヶ月で集計は
リクエスト
5回 四季の歌・琵琶湖周航の歌
4回 ふるさと・月の砂漠・遠くへ行きたい・芭蕉布
3回 海・ここに幸あり・知床旅情・みかんの花咲く頃
以上 よろしく。
33期生の今口です。 2月のメール交換会に参加します。
今月のテーマは「心に残る歌」です。
思い出に残る歌といえば2曲あります。
一つは、水原弘の「黒い花びら」です。
高校入学式の日に、学校の校門を入ったところで、音楽部の生徒たちが、
「黒い花びら」の曲を演奏していました。
「黒い花びら 静かに散った あの人は帰らぬ 遠い夢〜」
この曲を聞くと、今でも高校の入学式の情景が目に浮かびます。
あの頃は、若くて夢がいっぱいでした。今でもこの歌を聞くと学生時代の友達
の顔が目の前に浮かび、気持ちが若返ります。
2つ目は、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」です。
子どもがまだ小さい頃、仕事で函館に転勤し、津軽海峡が一望できる
函館ロープウエーの近くに住んでいたことがあります。
「北へ帰る旅の群れは 誰も無口で 海鳴りだけが鳴いている
さよならあなた 連絡船に乗り 凍えそうな カモメ見つめ泣いています
あ〜あ〜 津軽海峡冬景色」
この歌は、寒さの厳しい北海道に住んだ人でないと、実感がわかないかもしれません。
この歌を聞くと、天然のスキー場で子供と遊んだ頃を思い出します。
先日、近くを自転車で散策したときの写真です。
水間寺と岸和田市阿間が滝町にある奥家の無垢の木(江戸時代初期の天然記念物)です。
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今口武文(Imaguthi takehumi)
mrdyh543@ybb.ne.jp
小学校の頃の思い出の歌
4年生の学芸会で唱歌「砂山」を歌うことになり
音楽の女先生に特訓を受けていました
担任の男先生がいつも終わるまで待って
いてくださいましたが
私の終わるのを待っていて・・・
その後、二人の先生はゴールイン
私はキュウピット?
男先生は3年前お亡くなりになり
女先生は高齢者マンションで好きなフラメンコを今も頑張っておられます
海は荒海 向こうは佐渡よ・・・と懐かしい思い出です
姪っ子の結婚式 2月
荒金 敏子
skmisaki@rinku.zaq.ne.jp
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2月のメール交換会に参加します(28期生 山本雅祥)
「心に残る歌」ですが一杯あります、「あざみの歌」「叱られて」「浜千鳥」などが特に好きですね。
あざみの歌は高校生の修学旅行の時のバスガイドを思い出します、叱られては幼いころの叱られた時の思いが、
また浜千鳥は一人ぼっちで海を眺めながらセンチメンタルになった時の思いが浮かんできます。
それから一つ追加します、千昌夫の「星影のワルツ」を聞くと、若かりしあのときのことが浮かんできます。
みんなみんないい歌ですね、学校の「心の歌をうたいましょう」が好きです、これからもこれらの愛唱歌が
いつまでも歌い続けられことを願っています。
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山本 雅祥
Email : seizanyama@a011.broada.jp
URL : http://a011w.broada.jp/masahiroseizan
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インターネットクラブの皆さま 33期 西城 實
今月のメール交換会に参加します。
若かりし昔(頭には髪の毛がふさふさあり・口元には白い歯が美しく並び・足腰がピンと伸びていた)頃.
冬季オリンピックで、オーストリヤのトニーザイラーというスキーの選手が、
回転・大回転・滑降の三部門で金メダルを取り、スキー三冠王になりました。
その時、日本の猪谷千春は回転で銀メダルを取っています。
トニーザイラーはその後、映画俳優に転向し「白銀は招くよ」・「銀嶺の王者」・「黒い稲妻」等の映画を残しています。
当時は、登山・スキーの大ブーム、夜行列車に乗ってよく行ったものです。
添付ファイルをクリックしてください。ダークダックスの歌った「白銀は招くよ」が流れます。
当時、「トレンカ」と言う黒いスキーズボンが流行しました。トニーザイラーが赤いセイターに黒いトレンカのスキーズボンで、
白銀の斜面を滑り下りる映画の画面をおもいだします。
「黒い稲妻」もこの黒からとった映画の題名だと言われていました。
50数年前・半世紀前の思い出です。
http://www.youtube.com/watch?v=-6oBWHssGPA
上のULRをクリック 1960年 「銀嶺の王者」(トニーザイラーの滑り)You Tubeが流れます。
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いつもありがとうございます。
西城 實 m_c-saijo@nifty.com
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インターネットクラブの皆様 28期 平田勝巳です
メール交換会に参加します。
「心に残る歌」
童謡の「故郷」と「赤とんぼ」
生まれた所に住んでいる自分には故郷はない。
小さな頃に母に連れられて、母の実家に行ったとき従兄弟たちと
歌ったことが心に残っているのが「故郷」です。
従兄弟のうちの中で1軒ねえやが居る家があった。
やさしいねえやのいることがうらやましく、後になって
「赤とんぼ」に格別の感慨をもつようになりました。
カラオケの中には、これらの曲は入っているけれど
たまに今歌ってみてもとまるで様にならない。
今月の作品
2月17日に行われた泉州国際市民マラソンの沿道整理員
ユニフォームが変わりました
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平田 勝巳
k-hirata@zenno.jp
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インターネットクラブのみなさん
22期 天野昌明 です
2月 メール交換会 「心に残る歌」
(1) 岡 晴夫 「憧れのハワイ航路」
小学校 6年生のとき、学芸会で この曲をハーモニカでソロ演奏しました。
当時、大ヒットしていて、千日前の大阪劇場(大劇) によく聞きに行きました。
西村小楽天の名司会で、 岡 晴夫はマドロス(船員)姿でパイプを銜えながら
颯爽と登場しました。
この詩は、安治川の天保山から別府に向かう別府航路の船を見ながら
ハワイ行を連想して作られたといわれています。
いまでも私はカラオケでよく唄います。
(2) 加山雄三 「君といつまでも」
作詞 : 岩谷時子 作曲 : 弾 厚作(加山雄三 自身のこと)
ある日、四国 高松駅前で中学生40〜50人が整列して先生の指揮でこの歌を
唄っていました。
アァ いい歌だなと聞き惚れました。
加山雄三は私と同じ歳です。 ついでに、美空ひばりも同じ歳です。
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天野昌明(AMANO Masaaki)
amano@sensyu.ne.jp
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嶋田です
私の好きな歌は五木ひろしの千曲川です、大阪で育ち結婚して
家内の住む岸和田に移り今は貝塚で約40年故郷のない私は
小学生の頃集団疎開で大和の室生寺ですごしました
そのときの風景が今も忘れません、少し離れたところには曽爾
高原がありこの歌が私の心の ふるさと です
20期生 黒田 耕です、2月のメール交換会に参加します。
いろんな歌が浮かんできます、「銀色の道」 遠い遠い遥かな道は、冬の嵐が吹いてるが・・・
「北上夜曲」 匂い優しい白百合の、濡れているよなあの瞳・・・
しかし一番思い出に残っているのは「知床旅情」です。
知床の岬にハマナスの咲く頃 思い出して遅れ俺たちのことを・・・
東京から岡山に転勤の送別会で歌いました。
淡路島が墨絵のように見えます。
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黒田 耕
kkuroda@rinku.zaq.ne.jp
インターネットクラブのみなさま
30期 真鍋フミ子です
メール交換会に参加します。
「心に残る歌」
高校時代琵琶湖でキャンプをした時の事です。
私は泳ぎが得意でないので浮き輪をつけて泳いでいました。
浅瀬だと思って浮き輪をはずし立とうとしたのですが、
足が届かず溺れかけ、もがいていました。
その時助けてくれた、私の「命の恩人」である「friend」が、
好きだった「フランク永井」の「お前に」です。
卒業して20年後の同窓会で再会し、
グループで3〜4ヶ月に一回程度食事会をするようになりました。
2次会のカラオケでいつも唄っていたのが「お前に」でした。
寡黙な人なのに何故か私にはよく話しをしてくれ、
何かと庇ってくれたその「friend」は、
58歳で悪性リンパ腫に罹り、半年であっけなく他界してしまいました。
最後にお見舞いに行った時は、昏睡状態で話をする事が出来ませんでした。
亡くなる前に「助けてくれてありがとう!」って言えなかったのが心残りです。
Email : peko-chan.2525@leto.eonet.ne.jp
URL : http://www.ajisai-fumi.sakura.ne.jp
野々村です、遅くなりましたがメール交換会に参加します。
今月のテーマは「心に残る歌」。
いつもながらいいテーマを設定して下さる山本様に感謝します。
さて、「歌は世に連れ、世は歌に連れ。」と申しますが、
本当に歌は人に潤いを与えてくれます。
どんな歌でも好きですが、戦後NHKがラジオで放送したラジオ歌謡、
の中には名曲が沢山あります。
時は毎週曲が替って、アナウンサーが歌詞をゆっくりと読み上げてくれ
て、それを書き写したのを懐かしく思い出します。
NHKのラジオ歌謡は、昭和21年5月1日から始まったといわれています。
その第1作が「風はそよ風」で、昭和37年の第845作「シオジャケの歌」
で終了しています。(全音楽譜出版「思い出のラジオ歌謡選曲集」全3巻より)
の中の思い出に残る曲は次のようなものです。
昭和21年・・「風はそよ風」、「朝はどこから」、「三日月娘」
和22年・・「山小舎の灯」、「たそがれの夢」
和23年・・「緑の牧場」、「黒いパイプ」
昭和24年・・「夏の思い出」、「さくら貝の歌」、「あざみの歌」
昭和25年・・「白い花の咲く頃」、「水車小屋の花」、「砂山の花」
昭和26年・・「リラの花咲く頃」、「山の煙」
昭和28年・・「雪の降る町を」、「さざん花の歌」
昭和29年・・「山の静かな水音」、「月夜の笛」、「りんどうの花咲けば」
和30年・・「母あればこそ」
昭和32年・・「浜昼顔」
昭和24年から28年頃の曲に素晴らしい曲が集中していた
ように思います。
心に残る歌をハーモニカでふいで、サウンドファイルにして
残しています。
野々村信郎
nonomura@muse.ocn.ne.jp
http://www3.ocn.ne.jp/~nonomura /
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クラブの皆様 荒金(清)です
2月のテーマ「心に残る歌」
”故郷を離るる歌”
園の小百合撫子(なでしこ) 垣根の千草
(中間略します)
さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば
小学校6年生の時、市内小学校合唱大会があり、何故か選ばれて
練習に励んでおりました。大会前日先生(当時怖かった)から明日
お前は声を出すな、口だけ動かせの命令が出て当日金魚に変身
しました。本人至って今も理解し、納得出来ています。
ご存知の方口ずさんで下さい。
大阪ゴルフ場14番グリーンからの眺望
かすかに淡路島が見えています
クラブ一番の見晴らしです
荒金 清二
s_arakane@rinku.zaq.ne.jp
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インターネットクラブの皆様へ
28期 萩野 育子です
2月のテーマ「心に残る歌」と言ってよいか、私の心に残る音楽は、1970年戦争の悲劇を
テーマにしたイタリア映画「ひまわり」のメインテーマ曲です。スクリーンいっつぱいのひまわり
畑にテーマ曲が流れて胸が熱くなったのを思い出しました。
若き日の思い出です。
県立自然公園白崎海岸の水仙です
白崎海岸の野生の「たぬき」です
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萩野育子(HAGINO Yasuko)
hagino@hyper.ocn.ne.jp
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寺本です。久しぶりに交換会に参加します。
テーマは「思い出の歌」 沢山の思い出の歌があります。
特に戦後の大変な時代、うれしいに付け、悲しいにつけ、
家族、親族が集まると、良く歌を歌いました。
「貧しいながらも、楽しい我が家・・・・ 」
ラジオ番組の 「鐘の鳴る丘」 の曲
何故か「チャンチキおけさ」 等々
母方の祖母が、人前で歌等歌ったことがないと恥じらうのに
私たち孫に、せがまれて、「月の砂漠」を歌ってくれた光景は
今も、優しかった祖母の笑顔と共に思い出します。
私は今も、何故か「月の砂漠を」歌うと涙が滲みます
学生時代は「シャンソン」や「雪山讃歌」など歌声喫茶の時代でした
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寺 本 み つ よ
tmtera@cocoa.ocn.ne.jp
http://www17.ocn.ne.jp/~tera-324
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28期 山田 進一 です。
※ 心に残る歌
@ 浜千鳥
小学5年生の頃、買ってもらった『ハーモニカ』にはまり、
カバンの隅に忍ばせて学校に持って行き、暇さえあれば
『浜千鳥』を練習していました。
A 二人でお酒を
30年くらい前の『カラオケ』の無かった頃、白浜で会議があり
その夜三段壁近くの『カサブランカ』のステージで、生バンドで
この曲を歌いました。
最高の照明とせり上った舞台で歌ったこの曲は最高でした。
※ 今月の作品
(黄梅)
(斑入りツワブキ)
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山田 進一
nono202_kou1412@tigers-net.com
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クラブの皆さまへ 前田委子
「心に残る歌」
皆様と同じ歌になりますが「ふるさと・赤とんぼ」などの童謡です
隣の町和泉市から嫁いで50数年ふるさととは言えませんが何時も子供の頃の
思い出は春はクローバー(しろつめぐさ)で首飾りを作ったこと夏のゆうべ蛍を追ったこと
オニヤンマや蝉取りに男の子に混じって、秋はったけとかショウロなどのきのこを見つけに
野山に行ったことが折に付け思い出されます
美空ひばりさんの歌は同じ年だか好きです「川の流れのように」は
私のエンジングに流して貰おうと子供に頼んでおこうと思っています
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前田委子
s-maeda@sensyu.ne.jp
http://shi-maeda.sakura.ne.jp/
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1月度メール交換会「 心 に 残 る 歌 」33期 植 山 凱 也 です。
人それぞれにその時代の出来事が歌と共に思い出され、走馬灯のように記憶が
よみがえるように思われます。
私だけかも知れませんが、平成時代と言うか、近頃の若い人達が歌っている歌
は、節が無くてみんな同じような歌に思えてなりません。したがって、何度聞い
ても覚えられないので歌えません。好いメロディーで、素晴らしい歌詞の曲もあ
りますがマスターすることは非常に難しいと思います。歳のせいか、60歳ころ
からは残念ながら「歌は世につれ、世は歌につれ」が無くなったような気がして
なりません。 古い歌は歌詞を見なくても三番まで歌えるものが山とあります。
*宴会やパーティー等で機会があればよく歌う曲
1.夜霧のブルース ディック・ミネ (昭和22年)
2.憧れのハワイ航路 岡 晴 夫 (昭和23年)
3.夜霧よ今夜もありがとう 石 原 裕 次 郎 (昭和42年)
4. 酒 よ 吉 幾 三 (昭和63年)
それぞれの理由や経緯を語りますと長くなりますので題名のみに致します。
今年は開花が例年より少し早かった庭の梅
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植 山 凱 也 (Ueyama Yoshinari)
tamiyosi@sensyu.ne.jp
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28期 坊農です。 遅くなりました。
テーマ「心に残る歌」
今年の5月に、女房と、孫娘の7回忌と25回忌を勤めます。
「心に残る歌」は
「湯の山エレッジ」です。(役所勤務時代の婚前の大失恋歌)
「ふるさと」生家時代の自分の成長を思い出します。
経緯内容については、省略させて下さい。支障になります。
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坊農 喜代治(bouno kiyoji)
KiKaha303@occn.zaq.ne.jp
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30期生.高橋 邦夫です。
心に残る歌はの歌です。「赤いリンゴにくちびる寄せて・・・・・・・」
終戦間もないころ、ラジオから流れてきた「歌」、毎日ラジオから繰り返し繰り返し
放送されていて、母親に教えられて歌った歌で、浮き浮きしながら歌いました。
それから時が過ぎ社会人になり、五反田、渋谷、新宿のお雛さまの「いらっしゃいませ」の
お誘いに、ホイホイと出かけては、カラオケのない時代に替え歌にしてハモッテいました。
真鍋さんの上品なお雛様の「三人官女」に雇っていただけませんか?
荒金(清)です
3人官女動画最高ですね。
私は、北、南、三宮と流浪の旅に出かけ
ボロボロになりました。空しい思い出です。
大変楽しませて頂き参りました。