インターネットクラブの皆様
メール交換会の日が近づいてきました、今月は25日(金)です。
今月のテーマは「思い出の旅」とします。ご夫婦との旅、友達との旅、誰かさんとの旅等々で最も印象に残っている旅を紹介して下さい。
密かに胸に納めていた思い出の旅もこの辺で暴露するのもいかがでしょうか〜、きっとすっきりすると思いますよ。
関連写真もあれば宜しくお願いします。(企画担当:山本雅祥)
「エジプト満喫10日間の旅」の思い出 (33期 今口 武文)
現在、エジプトは反政府デモで大変な時期を迎えている。一部の遺跡が破損や盗難にあったという報道もある。思い返せば、今から3年前の平成20年2月29日から10日間かけてエジプトのカイロ、アスワン、ルクソールなどを観光した思い出が昨日のように思い出される。
平成20年1月末で40年余り勤めた職場を退職。退職記念を兼ねて夫婦でエジプトへ旅行した。
関西空港を夜中の12時に発ち、ドーハ空港(アラビア半島の東側)経由で翌日の午後14時45分にアレキサンドリア空港(日本との時差7時間)に到着した。3日目の朝ホテルでドルをエジプトポンドに交換。エジプトの紙幣は触るのも嫌なほど汚い。トイレ使用にもチィップ(20ピアストル)が必要だ。
エジプトアラブ共和国の96%が砂漠という。領土は、シナイ半島、ナイル川を隔てて西側の西砂漠、東側の東砂漠の3つに分かれる。広大な砂漠のまっすぐな道を専用バスで走った。退屈ではあったが一生忘れない風景だった。そしてスフインクス、ピラミッド、様々な神殿、石に刻んだ美しいリリーフ、巨大な石切り場など。昔の人は、何故これほどまで労力をかけて、このようなものを造ったのか。神への信仰、王様の権力の大きさを思わせる。エジプトに行く前にテレビで早稲田大学の吉村教授がミイラを発見したというニュースを見た。実際の遺跡がある街を眺めると、どこを掘っても遺跡が出てきそうだった。
エジプトの街は、建物が古く、砂漠からの土ぼこりのため、街全体が汚い。住んでいる人も貧しい。道路わきに露天商が多く、農産物を積んだ馬車が走っている。女性はスカーフで髪を隠し、手荷物は頭に載せて運ぶ。道路に信号がなく、路上駐車が多いため、混雑に拍車をかけている。そんな中で人は平気で道路を横断する。街中に野良犬も多い。
何もかも初めて見る光景で、夢の中にいるような気がした。
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オンラインの画像は 30 日間有効です |
インターネットクラブの皆様 28期平田勝巳です
「思い出の旅」
山本さんのうまい誘いに乗せられてすんでのことで
密かに胸に納めていた思い出の旅を暴露して、すっきりしてしまうところでした。
危ない、あぶない。
まだまだ、胸に納めておかなくっちゃ!
代わりにその時かどうか、さる雪国の秘湯の写真をどうぞ。
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インターネットクラブの皆様
33期生の赤垣です。
「思い出に残る旅」
僕にとっての思い出に残る旅は、何と言っても「八十八カ所歩き遍路の旅」でしょう。
足かけ6年掛かりましたが、遍路道を歩いていると、その土地その土地の様子が違っていることに気づきます。家の様子など歴史を感じることができました。
また、数多くのお接待に触れることが出来ました。お年寄りの叔母ああちゃんから、「荷物にならないやろ、持って行き。」と、わざわざ飴を頂いたこともありました。
夏の暑い時、東屋にはクーラーボックスが置いてあり、中に冷たい、ジュースなどが入れてあり、「自由に呑んでください。」と、紙に書いてありました。本当に助かりました。子ども達の元気の良い挨拶に元気を貰いました。
最後に、高野山への町石道を歩いて奥の院にお参りをして、「八十八カ所歩き遍路の旅」を終えることが出来ました。
一番札所 霊山寺
八十八番札所 大窪寺
今晩は、28期の坊農です。 2月メール交換会に参加します。
僕にとって 思い出の旅は、3件ほどありました。
1.15年は経過しましたが、女房と・女房の親しい近くの女性2名・と僕の4名で、1年半がかりで「四国八十八ケ所参り」をツアーバスで参り(僕は初めて・女房は数回)ました。
2.平成18年5月、に女房・娘・姪・僕の4名でドイツの観光旅行をして、楽しかった思い出の数々を残していましたが、女房との旅行は、これで最後になってしまいました。(亡くなって早5年目になります) この間の生前に台湾旅行を計画しましたが、旅行直前に大地震発生で、中止になりましたが、今年は、「花の博覧会」開催年で、災害復興で立派な建物に変わっている事でせう。
3.平成21年10月に、娘・孫娘2名・僕の4名でグアム島へ観光旅行に行きました。特に孫娘との海外旅行は、本人達も大喜びで、楽しい旅行になりました。
四国八十八ケ所参り
ドイツ観光旅行
グアム島観光旅行
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坊農 喜代治(bouno kiyoji)
KiKaha303@occn.zaq.ne.jp
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メール交換会に参加します(28期生 山本)
そのような中で私が定年退職した折に息子から旅行券をもらい家内と二人で北海道旅行したことが本当に良い思いでとなっています。
春先の北海道は雪景色一色でバスに乗りゆっくりと道内を散策しました、阿寒湖、摩周湖、大雪山、硫黄山、トーフツ湖、網走、オホーツク海での流氷等々、
定年になってホットした時期での息子からのプレゼントに旅の思いでも一入(ひとしお)でした。
これからも良い旅が何時までも続けれればと思っています、そのためにも健康でいることが最も大事なことだと自分自身に言い聞かせています。
インタネットクラブのみなさん
22期 天野 昌明 です
2月メール交換会
「思い出の旅」
旅の好きなわたし。
47都道府県すべてに、30数年まえに足を踏み入れました。
国鉄路線 約1万km 乗車 (10回通っても1回で積算)。
国内空港 約30か所、外国の空港も約30か所、着陸または離陸しました。
その中から選ぶのは難しいです。
(1) 初めての北海道
1959年(昭和34年)7月、学生最後の年。
友人と二人で、夜行列車、青函連絡船を乗り継いでの3週間の旅でした。
おおまかなルートだけを決めて、旅館(ホテル) の予約は一切無し。
(当時の北海道は遠い遠いところでした)
帰途、青森から奥入瀬、十和田湖に立ち寄り、東北線 盛岡から上野まで
夜行列車、東京で昼間一日遊んで、東京〜大阪をまた夜行列車でした。
(若くて元気でした)
(2) アメリカ旅行 1985年(昭和60年)
* ワシントンで 「月の石」 に手を触れました。
(1970年の大阪万博では眺めるだけでした)
* ニューヨーク、エンパイアステートビルに上った
(子供のとき絵本で眺め、世界一高いビルとして憧れでした)
同 世界貿易センタービルの展望室から見た巨大ビル群。
晩にハドソン川の対岸から眺めたマンハッタンの夜景はいまだに目に
焼きついています。
このビルが、2001年にテロで壊滅してしまいました。
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天野昌明(AMANO Masaaki)
amano@sensyu.ne.jp
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思い出の旅・・・・
旅には全部思い出がありますが、特にこんな寒い時に行きますか?
大阪から青森までの列車「日本海」が2月いっぱいで廃止になるという時
私が61歳だったと思います。主人と2人で青森竜飛崎まで行こうかという
ことになり、列車に乗りました。其の時青森まで乗った人は私たちと
男の子(小学生)とお父さんだった・・・・
雪の階段国道を登り灯台の下にいきました。タクシーは先回りして待って
いてくれました。こんな冒険は二度とできない 年だからなー
元気ていいなー 思い出 思い出
琵琶湖湖畔 比良の山
和歌山白崎海岸
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原 澄子
s-hara@ares.eonet.ne.jp
http://www.eonet.ne.jp/~hara-55
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22期の 清水です。 2月のメール交換会に参加します。
今月の テーマは 『想い出の旅』 という事で写真を色々と選別していたら、
15年 3月に行った ニュージランドの写真が目に留まりました。
『想い出の旅』のテーマとは意味合いが異なりますが・・・数日前の地震で
瓦礫の山と化した "クライストチャーチの大聖堂 "の当時の姿を見て今更
ながら震災の恐ろしさを痛感したところです。
日本人の被害者も数十名出ている様な報道もあり、いち早く救助隊を派遣
して居りますが、何より一刻も早い救出が俟たれる処です。
我が国でも当地とよく似た立地・地形をし、近い将来に東南海地震等の発生
が叫ばれている中 とても対岸の火事視出来ないと思います。
ニュージランド・クライストチャーチの壮麗な大聖堂 風景
ニュージランドは、古い建物と新しいものが調和し、自然が美しいとても魅力的な土地柄です。
日本と同じ様な環境で、常に大自然の脅威に晒されています。
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清水 啓祐
keiyu.ks@nifty.com
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おはよう 「想い出の旅」に参加します。
24期 古田 義章です。
40年前(1ドル 360円の固定レート時代)私たち業界の方15人で3週間、仕事を兼ねてヨーロッパ8カ国を巡りました。当時は海外旅行は憧れの的で、家族友人が空港特別待合室を設けて、大阪空港まで見送りに来てくれました。そんな時代の記憶です。
1、アンカレジ
羽田を23時ごろAir Franceで離陸、アンカレジで給油、都会と程遠く林の中でした。一寸がっかりすると同時にアメリカは広いなー とまず実感
2、北極圏の白夜
翌日現地時間8時にパリーに着くまで殆ど北極圏を飛行し、白夜で機上からの 眺めは素晴らしく綺麗でした。
3.ルーブル美術館
スケールの大きさと見事な美術品に、ただただ驚きの極み、しかし一歩館外へ 出ると、子供から大人まで物乞いが纏わりついて、なかには数人で強奪に来る 有様、これまた異様 びっくり、日本では想像できなかった。イタリア、イギリス でもよく見かけた光景。
4、ユングフラウ
インターラーケンから殆どトンネルをラック式鉄道で1時間?ユングフラウヨッホ、途中駅だか頂上駅だか忘れたが、展望台から眺めたアイガー北壁の雄大な景色は今も 目に焼き付いています。
5、スエーデン、ノルエー、デンマーク
さすが北欧と言われる国、田園風景はすこぶる牧歌的で、治安もよく長閑な国だった と記憶しています。ただどこに行っても、のんびりとした老人が多かったのも印象的でした。 なにしろ旧い旅なので記憶も定かではありませんが、昔を懐かしむ機会を与えて下さった 山本様有難うございました。
古田 義章
yosi-furu@h8.dion.ne.jp
平成23年2月 メール交換会 20期生 黒田 耕
永平寺は今から約750年前の寛元2年(1244)道元禅師によって開創された「日本曹洞宗」の第一道場です。
永平寺の開祖道元禅師は、鎌倉時代の正治2年(1200)京都に誕生され、
8歳で母の他界に逢い世の無常を感じて比延山横川に出家されました。 その後、京都の建仁寺に入られ、24歳の春、中国に渡り悟りを開かれて
釈迦牟尼仏より51代目の法灯を継ぎ、28歳のときに帰朝されました。
寛元元年(1243)越前国志比の庄吉峰寺に弟子懐弉禅師(永平寺2世)等とともに移られました。
翌2年、大仏寺を建立、これを永平寺と改称し、のちに山号を吉祥山に改めて、ここに真実の仏弟子を育てる道場が開かれました。
永平寺は今でも多くの若者が厳しい修行をしており俗世間とは別世界でした。
残雪は残っていましたが心温まる福井の旅でした。
子供と一緒に大人も歓声を上げていました
こんにちは 12期の千道です
思い出の旅は、子供たちが小さい頃から毎年家族旅行をしていましたので
いろいろありますが、20年ほど前初めて行った海外旅行です。北欧4ヶ国
10日間の旅でした。14名のグループで10名が岸和田の人でしたので
和気藹々と旅を楽しんだ旅行でした。7月8日に伊丹空港を発って
フランクフルト、コペンハーゲんチボリ公園では大勢の市民が短い夏を満喫
するようにゆったりとベンチで寛いでいました。ヘルシンキのオリンピック
競技場周辺観光の後、豪華客船シリアラインで白夜のフィヨルド・
バルト海を行く船内では豪華な食事や、ダンスで楽しかった思い出が
あります。ストックホルムから夕方国際鉄道でノルウエーの
オスロ着、今度はバスでノルウエーの大自然森林道をフィヨルドの町
ランダールへ、途中スティーブ教会,レイホースの滝など観光、レスフネス港
到着 ソグネフィヨルドを遊覧船でグドバンゲンへ、ノルウエーのベルゲン着
市内観光。コペンハーゲン経由でポーランドのワルシャワへ、ヴィスワ川
スターレ・旧都クラクフ王城等観光。東ベルリン市内観光、東西ベルリンの
壁倒壊現場を見学、市民が欠片をハンマーで削り取ったり、拾ったりしていました。
ポーランドなどでは政府の観光担当官がずっと付いていました。
山本さんのお蔭でもう一度行きたいと思っていた北欧旅行が出来ました。
当時の風景がそのまま甦りました、ありがとうございました。
ノルウエー
ベルリンの壁
千道みつ江 (sendou mitue)
sen12k@sensyu.ne.jp
INクラブの皆様へ
野々村です。
遅ればせながら、メール交換会に参加します。
今月のテーマ:思い出の旅行
昨日テレビのスイッチを入れたら、北海道の蒸気機関車の復活
の番組でした。それで懐かしい子供のころの田舎への旅
を懐かしく思い出しました。
小学生低学年の頃、毎年8月は奥三河の父の実家
に出かけるのだが、大阪駅のホームに機関車が煙と蒸
気を吐いて入ってくるのを見るのが楽しみだった。当時
は大阪から豊橋まで5時間はかかっていたのではないだ
ろうか。道中は兄弟で”今は山中、いまは浜・・・”など
とよく歌ったものである。
トンネルに入る前に汽笛が鳴り、乗客は急いで窓を閉
める。閉めるのが遅れると煤が大量に窓から入り込み、
大変な状態になる。
関ヶ原あたりになると、きまって列車の速度が落ちて、
喘ぎながら走っていたのを思い出す。
豊橋からは、飯田線で長篠城祉駅まで40分の旅、こ
れが大変のんびりしていて、周りは山ばかり、列車の中
に舞い込んでくる油蝉を車掌さんがつかまえてくれるの
であった。
何ということもない、幼いころの旅の思い出でした。
野々村信郎
nonomura@muse.ocn.ne.jp
http://www3.ocn.ne.jp/~nonomura/
クラブの皆様へ 前田委子
遅ればせながら・・・
「メール交換会に参加します「旅の思い出」
古いアルバム〜めくり♪♪ 溜まったアルバムも
最近の流行語 断・捨・離 身辺整理をしなければと思うこのごろです
今月の課題で思いだしてひっぱり出してみました
勤め始めて初めての冬スキーに連れて頂きました
夜行バスでマキノだったと思います
今のようにスキーウエアもありません 貸しスキーで立っているのがやっとでした
箸を転ばしても可笑しい番茶も出花の頃です懐かしい思い出が蘇って来ました
仲良しと
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
Mail s-maeda.@sensyu.ne.jp
URL http://shi-maeda.sakura.ne.jp
INクラブのみなさま
ツアーの人達は皆思い切り文句を言い「2度ある事は3度ある。にならんようにしてや」と言った矢先に、現地で乗ったバスが、ビクトリアからの復路のフェリーの中ででエンストをしフェリーから降りられなくなりました。同じバス会社のバスに後から「ドーンドーン」と、鞭打ちになる程ぶつかって押し出してもらい、陸に降りる事が出来ましたが、修理の為に又2時間程待たされました。一日以上遅れた中、予定の観光の行程をクリアする為に、午前4時頃出発し、夜中の12時頃にホテル到着、と息つく間もない猛スピードの観光。おまけにカナディアンロッキー行きは前夜大雪が降り通行止めになってしまい中止、予定は殆ど未定で踏んだり蹴ったりの旅行でした。でも、先日おきたニュージーランドの地震で被害に遭った人達のことを思うと、(わたしも6年前にニュージーランドに行ったので人ごとには思えません)命があっただけでも良かったと思っています。
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真鍋 フミ子
peko-chan.2525@leto.eonet.ne.jp
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インターネットクラブの皆様
33期の嘉田宣子です
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嘉田宣子
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12期の 早崎です。 メール交換会に参加します。
旅の思い出・・・・いろいろあります。パスポート期限10年間に、健老の友達と、いろんな国へ連れて行って貰いました。
期限切れ前、最後の海外旅行を、女性2人で、桂林へ行って来ました。広州空港で、若い、イケメンの添乗員に迎えられ3人でデートの、様な旅が始まり。先ずは、龍勝、山頂へ、山高ければ、谷深し細い山道を、2人は。かご。で、山頂まで。山頂は四方八方山に囲まれ立ってる、所は、ふもと、まで棚田。『雄大や。ヤッホウ」。やがて夜になり、鵜飼。を観に。日本とは、全然違う。きれいな夜景の方に、気が向きました。いよいよ、桂林。遊覧船に、乗り、広い広い、河を下る。全く、墨絵其のもの、この風景どこまで、続くのかしら。彼に、中国の、歴史や、食べ物、風景など、丁寧な、説明に、感動し、さすが。有名な、桂林、だな・・・下船して、農村。へ、車や自転車は、一台もなく、鶏に、追いかけられながら、川添まで、来ました。日本の、昔話の様な・・・お母さんは、川で洗濯、お父さんは、川上より、筏に野菜を、積んで、町へ・・・のんびりとした,風景でした。デート、コース、終り。
下の写真は絵はがき、ではありません。スキヤン、より、PCへ。
早崎照子
夜景
思い出の旅 32期 田中トミ代
初めての中国旅行 1990年10月北京アジア大会が開催されました。その開会式で日中友好太極拳表演会が行われることになり、日本から600人参加募集がありました。期間が10日だったので、ためらいが有りましたが、家族の勧めもあり応募しました。3か所に分かれて月1回の合同練習、合宿練習、2回の試験もやっと合格し、北京に行くことが出来ました。その当時の中国は、アジア大会の為急いで建てられたホテルで湿気が酷く、また食事も独特な匂いで食べられない物が多く、更に日本語が全く通じなくて大変でした。朝から晩まで9日間の練習で、皆少しスマートに成り帰国しました。この年は、家族にも大変迷惑をかけましたが、参加を進めてくれた事に感謝してます。又これを機に中国語の勉強に夢中になったような気がします。
田中トミ代
tai248@lapis.plala.or.jp
28期の寺本です
遅くなりましたが2月のメール交換会に参加します
ありがたい事に私も色々なところへ旅をしました
「旅をすると若返る」と言われる通りだと思います主人の友人御夫婦2カップルから4カップルで海外にも度々連れて行ってもらいました。どれも思いでいっぱいです天野様のメールを見て思い出したのが学生時代、昭和34年7月、修学旅行で北海道に行きました。一週間余りの予定だったとおもいますが、当時としては大変贅沢な旅行で両親に大名旅行か?と言われ、旅行費用を出してもらうのに申し訳ない気がしたのを、今も忘れられません。写真を入れたいと旧いアルバムを出していたら、学生時代の槍が岳・燕岳縦走のアルバムが出てきてセピア色の写真に釘ずけです余りの懐かしさにスキャナーしてみました。スキャナーした写真が実物より美しいのに驚きました昭和31年手入れもされって居ない河童橋 槍が岳頂上など等。写真に見とれてすっかりメールが遅くなりました。
山本様のテーマのお陰で若返った気分です。ありがとうございました
インターネットクラブの皆様 30期小川信子です
毎度遅くなり申し訳ありません。
文書力が乏しくいつも躊躇するのですが、最終的には参加することに意義ありと自分を納得させて参加しています。
テーマ「旅の思い出」
私が20歳位、40年近く前の、ふる〜いお話です。
旅行好きの友達と、冬は富士山周辺。夏は上高地へと暇を見つけて良く旅をしたものです。時刻表を片手に夜行列車に乗り、のんびりと限られた費用で、有意義な旅、楽しかったなぁ~中でも美ヶ原へ行った時の事です。山の斜面に建つ黴臭い宿で不安な一夜を過ごす事となりましたが、外は広く何もないところで、手を伸ばせば届きそうな距離に、キラキラと輝く空一面の星。宝石を散りばめたよう・・・・・どう表現すればあの時の感動が伝わるかと思うぐらい素晴らしく夢のようなひと時でした。大の字に寝転んでしばらく眺めていたのを覚えています。若い頃にしかできない旅でした。 それぞれに旅の思い出がありますが、今でも心に残る美ヶ原。いつでも行けそうですが、同じ感動があるとは思えません。今はどう変わっているのでしょうでも、機会があればもう一度行って見たい所でもあります。
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小 川 信 子
seironnbennkeisou@yahoo.co.jp
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