佐渡の人形芝居

 説経人形・のろま人形・文弥人形の三つが佐渡の人形芝居で、国の重要無形民俗文化財に指定
されている貴重な伝統芸能だ。
 この佐渡の人形芝居は、およそ250年ほど前の亨保の頃に、新穂村の須田五郎左衛門が
京から人形一組を持ち帰って一座をおこしたのが始まりといわれる。
浄瑠璃が説経節なので説経人形の名があり、演目は説経物はもちろん近松物や合戦物も多く、
間狂言のユーモラスなのろま人形と共に古くから庶民の娯楽として深く根をはった。
 佐渡の人形芝居が盛んになったのは明治になってから。
羽茂の大崎屋松之助が、当時盲人の座語りだった文弥節を「語り」に、人形も単調だったものを
こまやかなものに工夫し、文弥人形の名のもとに絶賛を博し明治末年には説経・文弥あわせて
島内に30近い座があったほどだった。
だが大正から昭和にかけて、浪花節や活動写真などの新しい娯楽の台頭で次第に姿を消していった。
 しかし、説経節も文殊節も、始祖の語りに近い形で残されているのは
全国でも佐渡だけといってよく、近年この貴重な文化遺産を受けつごうと保存運動が盛んだ。
現在全島で10余の座や研究グループが意欲的に活躍、毎年5月中旬から下旬にかけで佐渡人形芝居特
別劇場が毎日開催され、5月のメイン行事となっている。