佐渡豆知識

地形
佐渡の面積は、854・6平方キロ。東京23区の1.5倍という日本一大きな島。
島内には1市9町村もあって、訪れる人のほとんどが、あまりの大きさに驚く。
気候
佐渡沖を流れる対馬暖流の影響で、冬の温度が本土(越後)ょり1〜2度高く雪もほとんど積らない。
夏は逆に本土より1〜2度低いので、冬噴く、夏は涼しいといえそうだ。
人口
江戸時代からあまり増減がない。寛保元年(1741年)の記録によると9万3334人。
明治5年(1872年)で10万6262人。一番人口の多かった時が、第2次大戦後の
昭和25年(1950年)で12万5597人。平成7年1995年)の国勢調査では
7万4950人となって過疎化の現象は佐渡も例外ではない。
交通
本土から佐渡へ渡るには、新潟・直江津から両津・小木へと大型フェり−とジェットフォイル、
寺泊から赤泊へフェリーが運航している。
島内の交通は、鉄道がなく、バス路線が全島くまなく張りめぐらされて島民や訪れる人の足になっている。
道路は、国道が1本(小木〜両津間350号線)と県道が24本だが、本土と比べて道路巾がせまく、
トンネルの多いのが特徴だ。
佐渡の歴史
佐渡も日本の他の地方と同じように、島内各地の遺跡から1万年以上も前の古代から
人が住んでいたことかわかっている。
佐渡にはっきりと本土から人や文化が入ってくるのは、日本が国として出来あがった8世紀ごろから、
佐渡はすでに一国として、750年ごろに国府が置かれ、国司も派遣された。
真野町の国分寺、小木町の蓮華峰寺、畑野町の長谷寺などの存在がそのことを物語っている。
そのころから、伊豆や隠岐とともに佐渡が還流の島と定められた。
養老6年(722年)万葉歌人の穂積朝臣老が佐渡に流されて以来中世までは、
流人のほとんどが政争に敗れた人たちだった。その数76人といわれ、彼らの都ぶりが
いろいろな形をとって佐渡に伝えられたといえる。
佐渡が歴史上にクローズアップされるのは、やはり佐渡金山の発見からといっていい。
佐渡は古くから金や銀の出るところとして知られていたが、徳川家康は佐渡金山の有望性に目をつけ、
天領として金山開発をすすめた。
そして最盛期の17世紀初めには世界一といっていい産出量を誇った。
それまで寒村だった相川は4万人もの大きな町にふくれあがり、金の積出港としての小木も栄え、
そこを窓口に新しい文化も流入した。
幕府の財政を支えてきた金山も、江戸末期にはすっかり衰え、明治になると日本が世界の仲間入りしたのにひきかえ、
佐渡は金山とともに時代に取り残されていった。
佐渡の玄関口だった小木や赤泊の港も次第にさびれ、変って両津港が発展するようになる。
両津港は、安政5年(1858年)の日米通商条約で開港した新潟港の補助港に指定されてから、
佐渡の表玄関として登場し、いまや両津航路は佐渡へのメインコースとなっている。
このような新しい時代の流れの中で、島民は苦難の道を歩むが、そんな中でも多くの優れた人材を
生み育て、歴史遺産をかたくなに守り、美しい自然を残してきた。
このことは、人間や文化とは何かという永遠の問いかけを、島民一人ひとりが体で表現してきたものだと
いえるのかもしれない。
佐渡の文化
一般的に佐渡は、北陸や西日本の影響を強く受けているといわれる。
古くから流人(貴族)が京からきたことや、西回り航路が開かれてから西日本や北陸の文化が
直接佐渡に運ばれたことによる。
そして佐渡の文化の中には、流人たちがもたらした貴族文化(国仲地方)、金山の発展で、
奉行や役人たちが江戸からもちこんだ武家文化(相川地方)、商人や船乗りたちが運んだ町人文化(小木地方)の
三つの形があるという。これらが混然一体となって、佐渡独特の文化をはぐくみ、
同じ新潟県でも対岸の越後とはまったく異った文化土壌の中にあるとはいえそうだ。
「佐渡は日本の縮図」などといわれるのも、気候・風土とともに、文化の面でもいえることのようだ。
産業
農業は米づくりが中心だが、果樹栽培も盛んで、特産のおけさ柿がトップ。
主に北海道などへ出荷される。また古くから牛の牧畜も行われ、佐渡牛として移出されている。
佐渡は4分の3が森林、しかも寒暖両系の植物分布がみられて森林資源は典暑
『特にナラ原木のシイタケ栽培が盛んで、乾シイタケの生産は年間約4億円で県下一を誇る。
水産業では、大小35の漁港を基地に、漁獲量約2万トン。
ブリ・マグロなど種類は豊富だが養殖も盛んだ。
カキやワカメが代表的だが、加茂潮のカキの水揚げが年間2億5000万円。
真野町にある県下唯一の栽培漁業センターでは養殖技術が日夜研究されている。
農村に工業をと、精密機械工場や縫製工場が各地にできつつあるが、特異な存在に
「佐渡みそ」がある。年間生産量約1万6000トンで、全国生産額の20分の1に当るという。
工芸的なものに、竹細工と窯業がある。とりわけ窯業は「無名異焼」の名で全国に知られ、
窯元も10数軒、日用品から芸術品まで数多く作られている。