龍村織物

                                            龍村晋と保倉一郎
龍村晋は、正倉院の古代錦を始め名物裂の復元と多くの美術織物を創作した龍村平蔵の三男で、親の著作権を受け継ぎその研究と復元制作を継承していた。
1966
年に知り合い、龍村氏が製作者で私がアシスタントになり紋図デザインを受け持ち、以来ともに龍村織物の紋意匠を設計制作した。
平蔵の創作柄の復元や龍村晋の着想による創作を含めて31年間に310柄を完成する。私の美術愛好心の構成に、この間に学んだ古代裂や古美術の美的魅力は深く影響を与えてくれた。
古代の織物の技術思考と感覚は高度の智慧と耽美的な要素をもち、その分析に多くの時間をさいて没頭すれば、深く感銘して影響を受けずにはいられない。私の絵にはそれが背景にあると感じる。                   
龍村晋はオノサト・トシノブや牧島要一と共に私の人格構成と美術趣向に強い影響を残した。



古代裂の復元 会場の龍村 晋

・・・・・・・・・名物裂と龍村平蔵 ・・・・・・・・・・・

                   名 物 裂
名物裂と呼ばれる染織品は、金襴・銀襴・緞子・間道・モール・金紗・更紗・ビロードなど総数400点位あり。
茶人に「名物」と呼ばれるのは、足利義政以来、小堀遠州の編纂であったとされる。
大名物・名物・中興名物の3種あり。
大名物=八代将軍足利義政雄が能阿弥・芸阿弥の親子に命じて整理させ父の能阿弥が記録した。東山御物をさす。
名物=桃山時代に千利休・津田宗及・山上宗二らが選定、山上宗二が記した「茶器名物集」に所載された物をさす。
中興名物=小堀遠州が選出したもの。
これらの「名物」は書画・茶器・茶具の類で染織品の選定はされていない。
選定は選者の見識と主観により選定されたらしく、時代も異なり選者も一人ではない。
「名物裂」の名は元禄7年の「万宝全書」に『時代裂』と称されている。これを『名物裂』としたのは、松平不昧が寛政3年に記した「古今名物類聚」名物裂の部2冊である。
この書は約150種の名物裂を木版画の色彩図で示し、これ以後に名物裂をあつかう書はこれに基ずいている。文化元年の『和漢錦繍一覧』には354種ものそれらが収録されている。
昭和初期に明石染人が「名物錦繍簒」の解説に使った「名物裂」の名称は桃山時代にかなり有名になって茶人達に珍重されたとしている。この間に初代龍村平蔵氏により各種「名物裂」の復元が試みられ具体的な考察が成された功績は特出される、茶人に限らず広く賢者に興味をもたらせてきた。
今泉雄作翁がまとめた時代区分もあり次の如くである。
1・
極古渡り(室町初期までに渡来したもの。)
2・
古渡り (室町中期までに渡来したもの。)
3・
中渡り (室町中期〜末期までに渡来したもの。)
4・
後渡り (室町末期〜桃山期までに渡来したもの。)
5・
近渡り (江戸初期頃に渡来したもの  )
6・
新渡り (江戸中期頃までに渡来したもの)
7・
今渡り (江戸中期以降渡に渡来したもの)
   (注)奈良時代から前のものは特別に扱かわれています。
初代の龍村平蔵が「名物裂」を試織りして世に出したのは大正時代であり、具体的な複製を広く人々に参照させると共に、実用品として複製の「名物裂」を販売して多くの人に愛用させ普及したので、その功績が極めて大きい。  
更に、印刷出版された明石染人の「名物錦繍簒」の解説は、それ以前の木版画による「名物裂」の分類発表とは質数においても大きな差のある普及効果をもたらし、一般の人々の認識に貢献していることになる。
まさに、この頃から「名物裂」が知れ渡ったと言えるでしょう。大戦後に出版された龍村謙のカラー印刷による「名物裂」3巻は内容と出版数においてより多くの一般的な普及率を伴った学術的にも高い評価をもつ資料であります。 
   
 参考資料・三彩社−「古美術」(特集名物裂)
     ・東京国立博物館発行「名物裂」・他より    
              織物の手法  
織物の歴史は考古学の時代から有るはずなのに、日本では正倉院の頃の朝廷と寺社の遺物以外は中世も近代も資料に乏しく、特に中世の物は少ない。
制作の方法については詳細な記述は無く、使われた道具装置類も充分に伝えられていないため、中世以前の技術の実際がつかみ難く、どの様な機を使い、如何に操作したかは推理すら難しいのです。
復元に着手しようと思えば、結局は現在の技法を基に構想を練る以外に取りつきようがありません。
歴史の研究と平行すれば古代技法の模索は意味深く、夢と興味は尽きません!
でも、古典の優雅な美観と其を容易に実用として利用したいなら、合理性と能率性に従って精神性と感性の高い作品を復元して普及に努めたいと思います。
現在の織物生産技術は古代の其とは運転の性格も構造も異質のものだろうと思います、作品に求める心は時代を越えて変わることのない普遍性が欲しいものです。
 各産地や各工場では、いろいろの工夫と技法や習慣を持ち合わせていて、作業や道具の呼び名も異なり煩雑な儘にハイテク時代を迎え、学術的な技術用語の統一と仕事や物品の共通な表現を目指して公の技術書や美学的著書の編纂も努力されています。
                       保倉 一郎

龍村 晋 正倉院裂の復元 龍村 晋の帯

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