スペイン ・ポルトガル・ 4500キロの旅

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フアミリア聖堂(聖家族)    

フアミリア聖堂(聖家族教会)        

ガウディのグエル公園

      

グエル公園の管理人の家   

       

グエル公園からの展望
ピカソ美術館

ピカソが心酔したベラスケスの「官女たち」



バレンシアの市場  

 カメラを向けるとポーズをとってくれた

 クエンカ・宙吊りの家をめざして   

       
クエンカ・宙吊りの家

マドリード・スペイン広場

ドンキホーテとサンチョパンサの像     

 
ドンキホーテが王女と思い込んだ村娘 

     
プラド美術館

女王マルガリータ    

 
  裸のマハ 

着衣のマハ    

 プラド美術館    

 
美術館前のゴヤの像   

 トレド 遠望

     

  

トレドの路地〜カテドラル


   

ラマンチャにて    

ドンキホーテが宿泊したという宿  

 

オリーブの丘の中に放牧された牛    

  赤茶けた土地とオリーブ畠

ローマ橋を隔ててコルドバ市を望む

ローマ橋とカラオーラの塔

  カラオーラの塔     

          花の小路 

              

           

     陽気な学生たち   

グアダルギビル川と古都        

                  

  コルドバ・メスキータ



  メスキータからの展望         


スペインの最初の地バルセロナの街の明かりが眼下に見えたのが、日本を発って飛行15時間後の現地時間21:25分だった。

海岸沿いのプラット空港に着陸態勢をとると、眼下にバルセロナの夜景が広がった。

一夜で飛行の疲れを癒し、朝食でスタミナを付けた。

ホテルの朝食はバイキング形式で、出されていた各種ハムとヨーグルトを一通り賞味し、 野菜不足は果物で補った。

ここバルセロナを州都とするカタルーニャ地方は、スペイン第一の工業地帯としての豊かな経済力と独自 の文化をもち、自主独立の精神に満ち、スペインで最も活気のある都市と言われている。

市内観光後、サクラダ・ファミリア聖堂(聖家族教会)を見学した。
聖堂は、1882年に着工後、予定されている18本の鐘楼のうちガウディが4本完成させ、 現在8本完成し、日本人彫刻家の手で継続されているとのこと。工事現場を見て気の永さに驚嘆した。




同じくガウディの世界遺産グエル公園は、市街を見下ろす山の手にイギリス風の芸術的な住宅街を構想してとりあえず建てられた 2戸の住宅は、子供が喜びそうなお伽の国の家ようで、住宅街は実現しなかったが、1軒は管理人の家、 1軒は博物館になっているのがほほえましい。
































次のピカソ美術館は、画集等でもほとんど見ない作品ばかりで、ピカソの子供時代から青年期・晩年まで、作品を通じて心の動きが 分かる様で、感動した。


ピカソは余りにも早熟で、10代で絵画技術をマスターし、生涯にわたって新たな挑戦を続けたが、 死の直前に、ベラスケスの「官女たち」の構図を基に、何枚もデッサンをした挙句にあの様な絵を残したことは、(写真が撮れなくて 残念でした)師と仰いだベラケスを超える絵は描けないと絶望したのではなかろうか。

昼食のフィデワは、素朴な料理とは言えメインとして皿に豆だけをいっぱい出されて驚いた。

午後はバスでバレンシアに向い、夕食はパエーリャ(バレンシア地方で生まれた炊き込みご飯)は、アムール貝と小エビなどを入れて 炊き込んだ大鍋から皿に盛ってくれた。













2日目、バレンシア市内観光で中央市場を散策した。ブタのももが何十本も吊り下げられているのに驚嘆した。
果物が豊富で、量り売り一個売りもされて親しみを感じた。


昼食は、米のサラダとトマトノスープとトルティーリャ(ジャガイモとタマネギの入った卵料理〜スペイン風オムレツ)だった。








カテドラル(大聖堂)を見学後、ミゲレラの塔に205段登って、市内の展望を楽しんだ。写真は一眼レフで撮ったので、掲載は割愛します。










午後はクエンカの巨大な断崖の上の要塞都市、文化遺産の旧市街と「宙づりの家」を散策。

バスを降りて、ウエカル川沿いに20分ほど異様な絶壁を見上げながら登ると、全身に子供にかえった冒険心の様なものが湧いてきた。

やがて対岸の絶壁の上に「宙吊りの家」〜正確には崖の上に突き出した家か〜が見えて、吊り橋を渡ってカテドラルをめざして マヨール広場に入って散策した。

帰りは「宙吊りの家」の下を紅葉をめでながら下った。

夕食のメインは、はマドリッドの代表的料理コシード・マドリレーニョ(肉と豆、野菜の煮込み)だった。























3日目は、マドリッドの市内観光の中でスペイン広場に立ち寄った。


































その後、待望のプラド美術館でベラスケ、ゴヤ、グレコなどの名作の数々を堪能した。

昼食はタバス料理(つまみ〜魚介の揚げ物)は、オニオンスープのあと、きのこのトルテーリャ、マッシュルームの ニンニクオイル炒め、とり肉のニンニク風味焼き、ローマ風イカのフライ、エビのビネガーソース、 ホウレン草とチョリソのトルティーリャなどだった。

























































午後はこれまた待望の世界遺産「トレド」観光である。

ホタ川を隔てて眺めるトレドの全景は絵画で幾度も観ていたが、現地を観るのは圧巻である。

この古い街では、イスラム教徒とキリスト教とユダヤ人が共に生活していると言う。

詳しい歴史を知りたいものである。

夕食は、米のスープでおかわりをしておいた。豚の丸焼きと言うことだったが、蒸してあんかけにした様で臭くて食べられなかった。 料理を造ってくれた人のことを思って、だされた料理を残したことはなかったが、生涯に初めて手を付けただけで残してしまった。
































マドリッドに連泊して4日目は、コルドバへ向かい、途中ラ・マンチャ地方の風車を見学したが、今は数も減りほとんど使われなく なって観光用に残されているという。










ラ・マンチャはアラビヤ語で「乾燥した土地」という意味とのこと。
























このあたりからポルトガルまでは、午後の3日間、バスで時速80キロ程度で、地平線まで家もほとんどなく、 延々と続く赤茶けた土地とオリ−ブとブドウ畑には驚嘆させられた。

この途方もなく広大な丘を、誰がどの様に管理し、収穫するのか、その人達は今の季節どこにいて何をしているのか想像も出来なかった。

スペインは初めてだったので、まずグローバルに知りたいとこのツアーに決めたのだが、いつ果てるとも分からないオリーブの波に いささか閉口した。


昼食はソパディアホ(ニンニクのスープ)と豚ロース肉の牛乳煮だった。

車窓にオリーブの丘が波打って続く中、時折小高いところに白い街が目に入る。



























ローマ橋を守るために造られた要塞カラオーラの塔など、中世の古都といった感じである。
グアダルキビル川を隔てて眺めるコルドバの街は、メスキータをはじめ、コロンブスが王に謁見した宮殿は、異端審問の宗教裁判所 でもあったという。


























































































コルドバでは、785年に建設がはじめられたモスクは、街の発展に合わせて3回拡張され、2万5000人の信者が祈ることが出来たと言う。



スペイン各地で見られる様に、モスクはを教会に改造して、それぞれの文化をのこしていることは興味深い。

夕食は中華料理だった。
 アルハンブラ宮殿   

 アルハンブラ宮殿〜アラヤネスの中庭    

ライオンの中庭    

               

           庭園の代表作フェネラリフェ    

           宮殿からアルバイシン地区望む



  

        パルタル庭園から宮殿の展望                   白い村ミハス
          セバスチャン通り  

ミハス広場             

ここからボルトガルである   

  ディアナ神殿     



         エヴォラ・カテドラル    

  ベレンの塔                

   発見のモニュメント          

 コロンブスの像             

          

            シントラ王宮                  

王宮前の町並み       

             ロカ岬への道からの展望    

       
ロカ岬



 
 最西端到着証明書


この夜はグラナダに宿泊して、5日目はイスラム芸術の粋を集めた最高傑作世界遺産のアランブラ宮殿(和製語アルハンブラ )と城外のヘネラリフェ庭園を散策した。


グラナダは、ローマ時代に始まり、イスラム教徒のイベリア支配の拠点として繁栄していたが、1492年にイサベル女王の援助を 受けたコロンブスが新大陸に到達した年に、キリスト教徒の女王が征服者となった。

18世紀の王位継承やナポレオン戦争等で荒廃したが、19世紀から修復が進められているということである。















なかでもナスル朝宮殿は、男性36人が斬殺されたというライオンの噴水のある中庭、その2階がハーレム、そして黄金の間、 二姉妹の間など千夜一夜物語の世界を彷彿させる。
























アハンブラ宮殿から眺める白壁の城砦都市アルバイシンは、いつまでも見飽きなすばらしい景観である。

昼食のメインはイカの墨煮で、ソーメンを5センチ程に切てイカ墨をかけたものだた。
イタリアの細目のスパゲティを 炒めてイカ墨をかけた方が、 はるかに旨かった。



































グラナダから次の観光地白い村ミハスまでは、グラナダの南モトリルからジブラルタル海峡までの300Kmの海岸線を、 コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)と言われて、フランス以北のヨーロッパ人の間で最近リゾート地として脚光をあびている。
この海岸線を100Km行くとミハスである。

ミハスは人口3万5000程の地中海を見下ろす名前の通り綺麗な可愛い小さい街である。

夜はセルビアでフラメンコを楽しんだ。









































翌日セビリアからポルトガルに入ったが、国境の表示は特になく、国境の街の名が路側に書かれていて、バスはフリーパスだった。

互いの国を自由に行き来できることは、なんと素晴らしいことか!!



アレンテージョ地方の中心地のエヴォラに立ち寄った。



エヴォラはローマ時代に築かれ、イスラム教徒の時代には商業の中心地といて、 キリスト教徒の手に戻ってからは、学術の中心として栄え、史跡が多く、町全体が博物館のようである。



ディアナ神殿は、2世紀末にローマ人によって造られ、イベリア半島に現存するローマ神殿の中では最も保存状態のよいものである。 14本のコリント式円柱がある。

昼食は子エビと豆などの入った雑炊の様なものがメインだったが、味付けは薄味でなかなか良かった。スープともどもおかわりした。

夜はリスボンのファド(ポルトガルの民謡)でディナーショーだった。タラの料理が出たが、臭みがあった。












リスボン初日の朝、ホテルの部屋から大きな虹が眺められた。
幸先が良いと思ったが、この日は2度ほどにわか雨に遭った。

市内観光につづいて中心部からやや離れたベレン地区にあるテジョ川に佇む世界遺産ベレンの塔を見学。

上部はポルトガルの城をモチーフに、下部はカラベラ船をモチーフにしている。










ここから川上に11Km程のところにある高さ53mの巨大な帆船を象ったモニュメントは、エンリケ航海王子をはしめ、 マゼラン、ヴァスコ・ダ・ガマ、フランシスコ、・ザビエルなどの人物が彫り込まれている。

「テージョ川の貴婦人」といわれていて、ポルトガルの輝かしい大航海時代を象徴する世界文化遺産である。

このすぐ向かいの、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見を記念して建てられた世界遺産のジェロニモス修道院を見学した。

昼食はひよこ豆のスープとタラの料理だったが、薄味で臭みもなく、旨かった。ポルトガルの方が味付け良い様である。




















午後は、イギリスの詩人バイロンが”エデンの園”と賞賛した緑豊かな落ち着いたこじんまりした街シントラにある世界遺産の王宮 を見学した。

日本の天正遺欧少年使節がこの城を訪れたという。

ナポレオン侵略の際には、シントラ協定が結ばれたところでもある。

1910年の共和制宣言まで王家の離宮として使われていて、風変わりな2本の円錐形の煙突はじめ、アスレージョとよばている アラブ風装飾タイル、皇女の27歳の結婚を記念して、27羽の白鳥が天井に描かれた「白鳥の間」などを鑑賞した。













その後今回の旅行の最終地点のユーラシア大陸最西端のロカ岬を訪れた。


「ここに陸尽き、海始まる」 詩人カインモスの言葉が刻まれている。

雨季(10〜4月)が始まっていたせいか驟雨に遭い 肌寒、ながくは留まれなかった。


帰りの飛行機の中で、地元の新聞にベルサユ宮殿に雪が降っている写真が載って、 ヨーロッパに寒波が広がっていることを知ったのだった。

最終日の夕食時に、旅行中に誕生日を迎えた人にということで、思いがけず祝賀と添乗員さんから自筆のメッセージ頂き感激した。

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