ツール・ド・ニッポンを走り終えて 
   
ゼッケン 5 M田 一孝

4月27日

 仕事装備と共通の物が多いので出発前日(4月26日)の準備
完了が24:30になってしまった。始発電車で羽田空港に向かう。
飛行機が離陸した瞬間には記憶がなかった。札幌千歳空港で5
人に滝川駅で6人になり会場へ移動、14:00前ごろ会場へ到着
した。
 セットアップして16:00より車検。車検自体は問題なし、陸自の
車検のステッカーを貼り替えてなかったのをチェックされて貼り替
えて解決。車両保管になった。そして渡されたコマ図を貼っていく、
日暮れまでかかって全部終了させた。最後2日分くらいを貼ってい
るときに地元の人達によるバーベキューが始まった。がまんしてコ
マ図を終わらせてから食べた。そしてバスで宿へ移動した。
21:05 疲れきって沈むように寝た。

4月28日   314.82km 2.00km 芦別〜浜頓別 (北海道〜北海道) 
 
 朝5時に目がさめた。走る装備と預ける装備の入れ替えをする。そこでスペアパーツの中にチェーンジョイント(かしめ型)とフロントスプロケットを発見!車検前に交換しようと思っていた部品だった。10:00に宿のバスで会場に移動、昼までの再車検(前日の車検落ち)の時間が過ぎるまですごす。昼にブリーフィング(発表事項の伝達等の出走前の説明)が始まった。そして会場に北日本自動車工学専門学校の敷地内にあるテストコースでプロローグラン、アスファルトとダートの混合コース、ぼてごけを一回かましてしまった。北海道を一番で味わったかもしれない、、、。いよいよ本当の出発、まずは30km地点のガソリンスタンドでフロントスプロケットとチェーンジョイントを交換(クリップ型からかしめ型へ)した。パスチェックは終了時間の13分前に31番目で通過。地方道を高い速度で移動、宿の1kmほど手前で距離が微妙な位置に、目印になってる体育館が2つあってしばし迷走した。

4月29日  66位スタート  690.67km  59.71km
                  浜頓別〜ニセコ (北海道〜北海道)
 
 朝から快晴、今日は最北端、宗谷岬に向かうためオーバーパンツを着用した。朝のSS、フラットなじゃり道無難にこなす。SS後の道ががけ崩れのためコース変更15km以上多く走った。移動を続け本土最北端の宗谷岬のパスチェック、約80人目くらい。今日は700km、現在走行100km、時刻は10:00。多くのエントラントは観光していたが私は3分でメットも外さず出発。移動中、速度の取り締まりがあったが私はセーフ。しばし地方道を移動、高速にのり180kmほど移動。SS会場に入る前にテール球が切れてて手前のスタンドへ戻って球を交換した。SSは千歳空港すぐ脇にあるふかふかの土のサーキット、ペースは遅かったが面白かった。19:00ごろ宿へ到着、晩ご飯はカレーだった。21:00すぎには寝ていた。

4月30日  45位スタート  265.62km  12.00km
                  ニセコ〜十和田 (北海道〜青森)

 朝、宿を出発。今日は船で本州上陸の日。すぐ雨が降り始めた。まだあいていないスタンドでカッパを着て配線をちょっと修理。
SSは長めの砂利の厚くひいてあるフラットな林道、2台パスしてゴールした。雨の中の移動、時刻が早くガソリンスタンドがあいていなく、ガソリンの足りないエントラントにはきびしい設定、移動中「ただいまの気温 8℃」の表示が。港の40km手前で給油、スタンドの人に聞くと今日は現地の人でも寒いそうだ。港にはチェックの時刻の数分前に到着、時間を合わせて港へ入った。
 船の中でたっぷり寝た。いよいよ青森に上陸。走り始めてすぐに標高がぐんぐん上がっていった。道のわきには北海道より多い雪が。コマ図にのっていた温泉にはエントラントが何台か止まっていたが日が落ちる前にできるだけ移動したいのでパスした。日暮れには十和田湖畔の宿へ到着。オイル交換をした。豪華な夕食に温泉。こんなに贅沢をしていいのだろうか。

5月1日  42位スタート  654.22km  74.44km
                 十和田〜裏磐梯 (青森〜福島)

 雨はあがっていた。湖沿いを移動。峠を越えて高速へ乗り75kmほど移動、岩手県に入った。一般道を移動して山に入り林道へ。ただ移動するだけでも気持ちいい景色が続く。10分ほど開設待ちをしてパスチェックへ入った。さらに2本林道をつなぎSSへ。途中の牧場の分岐、ゲートなどに現地のスタッフがスローダウンの支持やルートへの誘導をしてくれる。SSの入り口でコースディレクターの梅さんと初対面、向こうから声をかけてくれた。SSは4.66kmのほぼフラットの下りの林道、前を走っていたアフリカツインに追いついたが追い抜くチャンスを作れず接近したままゴールへ入った。気持ちよい林道をつなぎ高速へ入り岩手県に別れをつげた。
 高速を150kmほど走って一般道におりた。標高がぐんぐん上がり路肩には雪が残っている。日が落ちたころキャンプ地到着。今夜はバンガローだった。オイル交換をした。暖房等はなにもなし、冷える夜で、寝れない人もたくさんいたそうだ。

5月2日  41位スタート  569.40km  33.59km
                 裏磐梯〜清見 (福島〜岐阜)

 朝のブリーフィングでSSが残雪が深くキャンセルになった。ちょっとしたアクシデントの報告もあった。ずっと舗装路の移動、パスチェックの前に時間があったのでICOの球交換をした、が4つ持ってきたスペアで2こ使用前に切れていた。パスチェックをすぎ残雪の多い山間部を移動、気温は多分一桁。標高が下がって新潟の友人の家のすぐそばを通った。2軒目のバイク屋さんでICOの照明の球を確保。チェックを取って高速で長野に入った。気温の高い国道の移動、朝あんなに冷えていたのに。
 林道の手前でパスチェック、雪と落石があって注意して走行して、との指示があった。指摘とおり荒れていた。ちょっと間違えば谷底へ落下も充分ありゆる道だった。林道後、雪のため峠が超えられずオフィシャルの指示でコース変更、移動中オンコース復帰地点が把握できずしばし迷走。スタンドでコマ図の目印の方向を教えてもらいオンルートへ復帰。ひとりでキャンプ地へ。初めてテント使用。今夜もオイル交換。

5月3日  41位スタート  713.31km  62.92km
                 清見〜高知  (岐阜〜高知)

 今日は四国上陸の日。朝から風が強い。少し高速に乗って、一般国道に降りる。福井県、京都府と移動、給油をしてふたたび高速へ。すべての表示板に「強風注意」「横風注意」の表示がある。そのまんま淡路島経由で徳島へ一気に移動、瀬戸内海の橋は恐怖以外なにものでもなかった。
 ガソリンスタンドで聞いたらこれから絶対雨だそうな。雨対策をして走り始めたらすぐ降り始めた。日暮れぐらいに剣山に突入、深い霧に包まれていた。半分ぐらいの距離で完全に闇、視界が悪く、ときどき歩くような速度で道の方向のヒントを探す。移動にやたら時間がかかった。710km以上走ってSS会場兼キャンプ地に到着。あとで聞いたのだが個人の山で今回特別に提供された場所だそうだ。ただ入り口林道前からSS開始でキャンプ地の様子は見えず。そんなに待たずスタートした。まずちゅるちゅるで微妙な右手を必要とするウッズセクションの上り、そしてつづら折れの下り(ときどき制御不能)、林道くらいの道幅になりスイッチバックなみの切り返しの下り、一回壁にささった。下りきった地点でオフィシャルによる制止、この先上れないのでエスケープを今作っているとのこと。エスケープが出来た時点で選択、オンコースは問題の上りを上がってもその先とてもきつく今も数台はまっている、エスケープはここより上りやすいがペナルティーがつく、エスケープを行くことにした。
 一回停止、ぼてごけ一回で最後の上りへ。アプローチで数台たまっている、2台ほど見てライン確認、ためらったら負け!で一発で成功、ゴールした。時刻は23:00すぎ。ざっとみて20台ちょいがゴールしていた。屋根のある場所に逃げこんだ。雨は激しくなるいっぽう。さて、どうしよう。マップだけは入れ換えて食事を取った。全然食事場の人数が増えてこない、つまりゴールに入ってこない。会場を提供してくれた方から温室を使ってもいいと申し出があり、そこにマットをひいて寝床を確保した。ひと眠りをして3:30くらい、ゴールチェックにいくと全員会場に入ったがまだ数十人がゴールに入っていないとのこと、また寝た。朝4:30出発準備を始めた。ゴールチェックではあと10台くらいコースに残っているとのこと。スタッフは全員寝れない夜となった。ペナルティがあっても食事が取れて睡眠も取れたので結果正解でしょう。

5月4日  39位スタート  342.97km  51.11km
                 高知〜阿蘇  (高知〜熊本)

 ゆうべは寝ていない人が大勢いた。入り口に入ったのが1:30とか、SS内に5時間以上いたとか、ライン上の水溜まりで完全に水没してマシンが死亡したとか、谷にマシンを落としてSS終了後に重機で引きずりあげたとか、激しい夜だった。朝はこのSSを走ってからスタートの予定であったがキャンセルとなった。フェリーの時間の都合があるので予定どおり6:00出発開始。しかし途中で崖崩れ。スタッフの指示待ちで1時間以上その場待機。迂回して移動を続けるが時間が厳しくなった。林道を越え国道に入ってそこで港でのチェックの設定時間をオーバー。せめてフェリーには乗らないとと移動を続けた。チェックの時刻の22分遅れで港へ、フェリーには間に合った。そしていよいよ九州上陸。雨はまだ降っている。国道を離れ山に入りSSへ。前半はアスファルト区間があり、中半はガレ場で表面がよくすべる狭い林道。後半は一般的な林道だった。無難にこなし1台抜いてゴールへ入った。移動をしてると少し明るくなって目の前に牧場の景色が広がった。キャンプ地に近付くにつれて標高が上がりガスの中へ。今日も雨のキャンプとなった。雨の中、リヤタイヤと最後のオイル交換をした。

5月5日  33位スタート  579.33km  63.10km
                 阿蘇〜佐多岬  (熊本〜鹿児島)

 いよいよ最終日。朝はキャンプ地のサーキットステージ。高知の件もあってコースの設定を簡単にすると説明があった。パスチェックの時間も1時間程度延長することを考えていると説明があった。でもSSは連日の雨もあってほぼ平面だが路面は「ぬぷっ」って感じの泥、各所でもがいているのが見える。私もSSに入って3度こけた。今日はパスチェックの設定がきついので移動を始めた。日が出てきた。阿蘇の景色がきれいだった。林道をいくつか越え今日の2本目のSSへ。ここもサーキット。ここも思いっきりちゅるだった。4度こけた。あとで聞いた話だが現地の人がBMWを見て「なんでこんなんで走るのぉ?もっと軽くて小さいのでないと無理よぉ」と言われたそうな。
 ゴールして少し休憩をして走りだした。パスチェック1は1時間延長の範囲内55分遅れで通過、で本当のオンタイムはゼロ、パスチェック2は間に合わず、オンタイムは10人。移動を続けているとまた雨が。パスチェック3は佐多岬入り口、5km手前でタイムオーバー、オンタイムは13人、パスチェック4は有料道路を抜け佐多岬の先端まで歩いて行く設定。ヘルメットもザックもカッパもつけたまま歩き始めた。アップダウンがあってかなりきつい。最後の昇りで上から「みやぴー、早く早く!」と呼ばれた。急いで上がると「早く早く、チェックカード出して」、なんとチェック閉鎖時間ぎりぎりで18:00ちょうどだった。ラストをかざったエントラントになった。そこにいた全員で喜んだ。ここはオンタイム18人だった。歩いてもどり、しばし休憩。今日の2本のSSより心臓を使った。
 あと今日のゴールまで100km以上ある。日が落ちた。雨は激しくなった。がんばって移動を続けていたが一回ミスコース、前後していたDRさんと協力してオンコースへ復帰。21:37に最終ゴールに入った。拍手で出迎えてくれる人達が10人以上いた。けっこううれしかった。(TBIの時は毎日のゴールチェックと一緒でさびしかったし。)20台以内にゴールした。
ホテルに入り、まずは風呂、4日ぶりの風呂。極楽とはまさにこれって感じ。続いて豪華な夕食をとった。
おなかいっぱいで廊下で仲間としゃべっていると、まだまだゴールしてくる人達が見える。一晩中ゴールは続いたみたい。

5月6日  さて順位は?  トータル 4130.34km  356.87km
 朝、食事を取ろうと2階に移動すると、今帰ってきたエントラントがいた。いろいろあったみたい。食事を取りながら夕べの情報交換をしたら、みんな最終日にいろんな出来事を経験してきたみたい。各トラブルの件もかなりあって昨夜もドラマチックだったそうだ。一番みんなが言っていたのが佐多岬を見れなかったことだった。管理の関係で入り口の有料道路が18:00で進入禁止に、中にいても19:00で退去させられる場所だったため、結果的に2本のSSで時間がかかってしまった人は間に合わなくなってしまう設定だった。ただ、できるだけ九州ステージを楽しんでもらおうと、スタッフが一生懸命作ったルートというのは走ってて充分分かったし、SSの設定も考慮してあって、結果岬のチェックを取ったのは18人、岬に入っていても、ぎりぎり18:00を越えてチェックを取れなかった人も数人いる訳で、でも問題なしという訳でもなく判断は微妙だと思う。事実私も紙一重だったし。
 雨の降る中、野外で表彰式が始まった。パリダカールラリーの出場者、今回のエントラントでもある菅原社長の話によると、パリダカールの表彰式の行われるホテルとすごく似た場所だそうだ。山田さんもそれを意識してここに設定したんではないか、とのこと。順位発表がはじまった。各クラスの発表に続いて総合の発表、今回は20位からが対象らしい。昨日のSSは計7回転んでタイムは悪いがチェックを多く取っている訳でそこにチャンスが、と思ったが名前は呼ばれなかった。結果は29位。30位以内なら対象だったんだがしょうがない。結果的に順位を下げた日は無かったし30位以内に入ったので良しとしましょう。

まとめ
 前半はTBI経験者には余裕の設定だった。6〜700km走っても(私は)19:00前後には宿についたし風呂はあったし食事は豪華だし。ただ北海道、東北区間で雨が少なかったのは今回ラッキーだった。今年は雪が思った以上に少なく、もっと北海道で林道を使えたかも、との話もあったがルートを設定する時には予想のつかないのも事実だった。
 四国に入ってから(TBI組には)本来の姿に変わった。アベレージのあがらない道、パスチェックの時間設定、SSの難易度、用意されたような雨。今回初参加の人達はそうとう戸惑ったみたい。私自身は「ぼてごけ」程度でビッグクラッシュも違反もなく、めずらしく左右のミラーが健在のまま終了できた。時間とお金をかけた分は充分回収したと私は思っています。 
 今回の参加にあたり、まず企画運営をしてくださったスタッフのみなさん、各種の協力をしてくれたみなさん、同じ道を走ったエントラントのみなさん、コース上や宿、チェックなどをしてくれた現地スタッフのみなさん、書ききれませんがすべてのみなさんに感謝したいと思います。無事に帰宅のゴールまでたどりつけました。ありがとうございました。


ほんとうのまとめ
 もんごる号(私のXR400)はメーターが45000kmを越えて帰宅しました。出発前よりちょびっと下がったシート高が旅の厳しさを、都合90度くらい回ったパイロットエアスクリューが日本の長さを、静かに語っています・・・・・。
    おわり