M&Tモンゴルツアーレポート

 2004年8月中旬、仙台のともあきくんから一通のメールが来た。
「9月25日〜10月2日の予定でガントルガの主催するツーリングで
モンゴルに行こうと計画中です。たぶん一人で行くことになるかな。
とりあえず報告まででした。。。。」
 ふ〜ん誰か誘ってるのかな?でも 9月の終わりなんてモンゴルは
もう冬じゃん。そんな時期に行く物好きなんていない、いない。一人
で行ってらっしゃ〜い。と返事した。でもいました物好き。しかもこの
ワタシだったとは。。。。この私とは、普段はR100GS乗りの松田
です。ヨロシク!


 準備編
 今回のツアーを簡単に紹介すると、モンゴル人の代表的なモトクロス選手で国際ラリーストでもあるガントルガ氏(以下ガンちゃん、SSERが主催するラリーレイドモンゴルの常連で優勝者でもある)が立ち上げた現地会社が主催するモンゴルバイクツーリングで、マシンはKTMをレンタルする。ツーリングコースは何種類か設定されていて、希望するコースを案内してくれる。
 ガンちゃんは2年前のガストンライエ・ミーティングにゲスト参加で来日しており、その時のガンちゃんの案内役がともあきくんで、それ以来2人はすっかり仲良しという訳。で、今回ともあきくんはゴビ砂漠、しかもラリーレイドモンゴルのSSが行われた砂漠を走ってみたいというオーダーを出しており、首都ウランバートルを起点とする全日程8日、実走5日間のループコースが組まれていた。
 さて、ともあきくんには一度お断りメールを送ったものの、その後一人でよ〜く考えてみた。以前からモンゴルには機会があれば是非行ってみたいと思っていたし、主催がガンちゃんでマシンがKTMなのでしっかりした本格的なツーリングが期待できそうだ。また、ともあきくんが一緒なので気兼ねない楽しい旅になるだろう。近年の温暖化でモンゴルも今年は結構暖かいらしい。そしてなによりこの時期仕事が一段落していてまとまった休みがとれそうじゃないか(カミさんも行ってこいと言ってるし)。。。。「う〜ん、ともあきくん寂しそうだし、しょーがない一緒にいってあげるかっ!」でもなんだかはめられた気がしないでもない???
 こうして行くと決めたのが8月末。出発日まですでに1ヶ月切っている。ところでここでハードルが。海外バイクツーリングは以前一度行ったことがあるのだが、しょせん旅行会社のパック旅行。今回は現住民?主催のツアーなのでモンゴルへの行き帰り(入出国)その他全て自分でやらなければならないのだ…海外旅行初心者の私としてはかなり不安。(とほほ)。
まずは早速ガンちゃんにメールし、正式に参加を申し込む。ガンちゃんのオフィスには日本語の分かるスタッフもいてローマ字メールで連絡できる。「Gantulga.B Sama. Konotabi KTM Tour ni sannka sitaito omoi mail simasita.」 「Soredeha yorosiku onegai simasu. Matsuda san ni au no wo tanosimi ni site imasu.」
といった怪しいやり取りである。ともあきくんとはTBIでのリタイヤ仲間と伝えておいた。これでバイクの腕前の程は察してくれるだろう。そして大急ぎで飛行機を手配。続いてビザを直接モンゴル大使館に取りに行った。だんだん気分が盛り上がってきたゾ。現地ではUSドルの現ナマが一番とのことであらかじめ両替。また旅費の送金(代理銀行経由でモンゴルに送金…ああっもうよくわからん)などなど。念のため予防接種もしておいた。わからないことばかりの手探りだったが、初心者の僕でもやればできるもので、ちょっと自信がついたかな。これも良い経験でした。

 
9月25日 日本を発つ
 成田空港の一番端っこにあるミアットモンゴル航空の搭乗受付口で待っていると、少し遅れてともあきくんがやって来た。ヤッホー、また仲良くやろうぜ!それにしてもやっとここまで来たよ〜〜〜笑。二人でバカミージャケット(なつかし〜)をはおって気合を入れ直し、ガンちゃんへのお土産、東京名物“ひよこ”を手に意気揚々飛行機に乗り込んだ。(完璧だ) さあ、いざウランバートル(モンゴルの首都)へ!
 のはずなのだが、10日ほど前に急きょ航空会社から「ソウルに寄ることにしたので2時間遅れです。ヨロシク」と連絡が入っており、まずは韓国へ向け出発。直行便だったのにこのいい加減さはホントに国際線?いやこれぞインターナショナルか?でもこの際なのでトランジットではやりの韓流も楽しみ、ちょっとお得な気分になりました。今度は焼肉食べに来よ。
 寄り道ですっかり日が暮れてしまった。真っ暗な空から見下ろすモンゴルの大地も真っ暗だった。結局予定から3時間程遅れた午後8時、僕たちはウランバートルに降り立った。入国審査は…「○×△□」???う〜んと、笑顔でパス。無事モンゴルに入国した。ツイニキタゾ・モンゴリア!空港ロビーに出るとそこには出迎えの人!人!人!!!あの空から見た真っ暗なモンゴルのどこにこんなに人がいるの?という程の人垣のトンネル!ガンちゃん何処だ〜。でもすぐに発見。あの輝くガンちゃんスマイルがしっかり目印。「サンバイノー(こんにちは)」がっちり握手。これから一週間よろしくねん。
 さて、今回のツアーにはもう一人日本からの参加者がいるという。彼は僕たちより一足先に入国を済ませ空港の外でスタッフたちと待っていた。「初めまして、ニーダです。」 きらんとメガネを光らせて大人の挨拶をする彼は、一見してツワモノと感じさせた。聞くと一人であちこちのオフロードツアーに参加している海外ツーリングのベテランらしい。ところがもっと聞くと、彼はこのツアーをインターネットのHPで知っただけで、ガンちゃんのことも何も知らずに予備知識なしの一人で申し込んだ無ぼう者らしい。(マジで!?)さらにガンちゃんのモンゴルは暖かいという情報を鵜呑みにしてきたそうで寒い寒いと言っていた・・・・彼も我々同様おバカな物好きで、楽しい旅のパートナーになれると確信した。
 この日はホテル近くのレストランでスタッフと一緒にチンギス(ハーン)・ビアで乾杯。僕たち3人は明日からの旅の幸運を祈った。 
 
 
 
 
9月26日 ツーリング初日
 いよいよ今日から本格的なツーリングが始まる。今日はウランバートルを南下しドントゴビ県エルデネダライという町まで行く250キロの行程だ。肝心のバイクはガンちゃんのアパートメントのガレージに用意されていて、ホテルまで迎えに来てくれることになっている。
 まだ時間があるのでともあきくんとホテルの周りを散策してみることにした。昨夜は暗くて分からなかったが、ウランバートルの街並みは低くどんよりとした雲が覆っていることもあって、うすら寂しくどこかロシアの街並みのようだ(行った事ないけど)。朝の通勤ラッシュらしくひっきりなしに車が行きかっていたが、これがまた凄い。まず犬がひかれそうになり、続いて人がひかれそうになり罵声が飛ぶ。ひえ〜〜っ。さらによく見ると信号のある交差点も早い者勝ちではないか。これは心してかからねば。
 ライディングウェアに着替えて待っているとガンちゃんたちが迎えに来てくれた。車でガレージに向かう。ところが途中銀行に寄って両替、国営デパートに寄って買い出し、はたまた観光名所のスフバートル広場に寄って記念撮影と、なかなか前に進まない。こんな調子で予定通り走れるの?それともこれがモンゴリアンタイムなのか?ところでこれらの場所に全身オフロードギアで出没した僕たちは、かなり異様だったに違いない。
 やっとガンちゃんのアパートメントに到着。いよいよバイクとご対面だ。今回用意されたのはKTMのLC4。ともあきくんとニーダさんは620CC、僕は400CCをオーダーしていた。やっぱ620にしておけば良かったかななんて思っていたが、実車を見て納得。なんとセル無しの左キックではないか。しかもセンタースタンドのみ。うしし。案の定ともあきくんはビッグシングルの左キックに苦労している。400は。。。バルンッ!思いのほか簡単にかかった。取り回しも軽くて正解、正解。コンディションもグッドだ。「僕オフ初心者」と自己申告していた要領の良いニーダさんには晴れて唯一のセル付が割り当てられた。
 アパートメントの裏の広場でしばらくウォームアップランした後、いよいよツーリングをスタートすることになった。でももう昼前だよー!ホントに今日の予定走り切れるの???
 ここでこのツーリングをサポートしてくれる現地スタッフを紹介しておくと、ガンちゃんの他に、会社スタッフのスキさん(会社のNo2、謎の実力者。男)、ラダナさん(以下ハチローくん、イメージピッタリのあだ名。サポートライダー兼今回の通訳。男)、タイワンさん(専任のプロのシェフ!タイワンでもモンゴリアン。男)、ついでに?ガンちゃんの愛妻(以下ガンちゃん妻。もちろん女性、美人、アツアツ)の総勢5人。スキさんだけは別のツアーのガイドのために途中で一旦お別れする。それでも4人のサポートを受けてのリッチなツーリングだ。バイクは我々を入れて計4台、あとはガンちゃんのロシアンジープ(KTMカラーにデザインされていてかっこイイ)が伴走する。

 

 さあ、出発!ガンちゃんを先頭についにモンゴルの大地、ウランバートル市内に走り出した。 派手なオフロードウエアに身を包んだオレンジのバイク集団が爆音をたてて市街地を突っ切っていく。いやおうなしに視線が向けられ、行きかう車が一瞬ひるんで振り返る。それっ、今がチャーンス!ガンを飛ばして交差点進入!朝予習した「オレが先だ」攻撃を連発しながら何とか市内を無事抜け出した。
 ウランバートルから延びる主要な幹線道路は既に舗装されている。僕たちは所々穴の開いた舗装路を慎重に西にバイクを進めた。ちなみにモンゴルは右側通行だ。 ところで走っていてとっても寒い。気温は既に10℃を切っている。これって日本の冬じゃん。この時期はちょうど冬への季節の変わり目らしくビミョーなのだ。日本を発つ前ガンちゃんは「今モンゴルは20℃位で暖かいダイジョーブ、ダイジョーブ」と言っていたのだが、ガイドブックには最低気温0℃位に下がると書いてあった。どっちがホントなの?ガンちゃんを鵜呑みにしたニーダさんは。。。。やっぱり寒そうだ。
 10キロ程走った所で南に分岐する道に侵入した。ここからダートだ。いや、ずーっとダートらしい。ここでスキさんとお別れ。お互いの旅の無事を祈る。先程までのどんよりとした雲が取れて青空が広がってきた。このまま天気が良くなって暖かくなってくれるといいなぁ。 簡単なティータイムの後、いよいよダートを一路ゴビに向けスタートした。先頭はハチローくん、続いて僕、ともあきくん、ニーダさんの順で続き、後からガンちゃん達がロシアンジープで追いかける(運転はガンちゃん)。4台と1台の砂塵が連なる。ついにモンゴルを走っているんだ、と実感できる瞬間だ。ダートは緩やかなカーブとアップダウンを繰り返しながら南へ延びて行く。スピードはほぼ80キロのクルージング。景色は道の周囲は草原だが小高い丘に囲まれてずっと遠くまで見渡せる程ではない。しばらく行くとオボーが見えてきた。オボーとは峠や山などに石を積み上げて作られた道しるべのようなもので、その土地の神様を祭っている。ここで一休み。青空は見えるものの相変わらず寒い。

 

 ジープから出てきたタイワンさんが何やらカップに注いで皆に配り始めた。しきりに「グイッと飲め」と言う。まっさらに澄んだその飲み物を口に含むと!!ウオッカだ!タイワンさんは「アルヒ!アルヒ!」と言っていて、どうやらアルコールのことでイコールウオッカらしい。寒いのでこれで体を温めろということのようだ。バイクに乗っててウオッカはまずいんじゃないの?と思いつつ薦められるまま飲んでみると、あんなにきつい飲み物が意外にすんなり入ってしまった。しかも不思議なことに体は芯から温まってくるものの一向に酔わないのだ。なるほど、郷に入っては郷に従えというわけで、その土地なりの気候や風土にあった飲み物というわけだ。
 しばらく行くとだんだん丘も遠くなり、モンゴルらしい草原の景色が広がってきた。ガンちゃんたちのロシアンジープが道を外れて小さな岩山の麓に止まった。そしておもむろにジープに積んでいたテーブルを広げ、椅子や食器を出し始めた。「ランチ、ランチ」そういえばまだお昼は食べてなかったナ。時計を見ると既に3時を廻っている。
 さてどうするのかと見ていると、タイワンさんが2口ガスコンロを出して本格的に料理を始めてしまったではないか。それから待つこと30分。暖かいおしぼりが配られ、テーブルにナイフとフォークが並べられた。まず前菜にトマトときゅうりのサラダ、次にマッシュルームと牛のスープ、最後にメインディッシュのハンバーグライスというフルコースの昼食がもてなされた。こんな草原の中でこんなランチにありつけるなんて、食後のコーヒーを飲みながら僕たちは満足するのであった。心の奥でこんなにのんびりしてていいの?と思いつつ。。。。
 気がつけばバイクの影がずいぶん伸びている。今日の目的地までまだ100キロ以上残っているはずだ。日が傾いてきたので寒さも一段と厳しくなってきた。すこし離れたところに遊牧民のゲルが建っていてそこで暖をとりつつ情報収集することになった。
 ゲルとは木とフェルトでできた遊牧民のための円形の移動式住居のことで、モンゴル語で家の意味。ちなみに中国語ではパオという。ここでは4棟ほどのゲルに一族と犬たちが暮らしていた。初めてゲルの中に入ってみる。蒔ストーブを中心に長椅子や衣装棚、食器棚などが整然と並べられている。それらは古く質素なものだが大切にされていることが伺える。天井を見上げるとオニと呼ばれる細い朱色の放射状に広がるのぼり梁が美しく、中央の天窓からは空が見える。突然の来訪者に興味津々で子供たちが入ってきた。「サンバイノー」ともあきくんが話しかけると恥ずかしそうに隅に固まってしまった。ニーダさんがデジカメで写真を撮って見せてあげると恐る恐るのぞいて少し笑顔になった。

 

 遊牧民たちの話によるとこの先にツーリストキャンプ(モンゴルではツーリストのためのゲルが所々に整備されている)があるというのでそこまで行くことになった。彼らに別れを告げ再び走り始める。しかし間もなく、傾き始めた日はあっという間に沈んでしまった。ヘッドライトと月明かりのみの世界が広がった。
 ガンちゃんは僕たちを制するようにジープを止めた。そして真剣な面持ちで言った。「今日の予定は走り切れませんでした。。。。」やっぱりそうかい、というか初めから分かってるじゃん!夜間走行は危険なので本日はここまで。ツーリング初日はこの360度何もない草原のど真ん中の道端でキャンプすることになってしまった。予定のエルデネダライまであと80キロの地点だった。

 
9月27日 さらに南へ
 パリパリに凍ったテントの中で目が覚めた。昨夜は氷点下まで気温が下がったらしい。朝日が照らし始めた周りを見渡すと草原と澄み切った青空しかなく、ホントに何もないところにテントを張ったんだな、としみじみ思う。地平線に目をやると朝日の中に馬の群れがさまよっていた。その中からす〜っと一頭の馬のシルエットが浮かび上がり近づいてきた。長い鞭のようなものを抱えた人が乗っている。遊牧民だ。我々のキャンプ地を興味深そうに観察するとまたす〜っと群れの中に消えていった。

  

 タイワンさんとガンちゃん妻が朝食の用意を始めた。その横でガンちゃんがロシアンジープの前でなにやら奮闘している。実は昨夜のキャンプの明かりはこのジープのヘッドライトだった。しかもエンジンかけずに。「バッテリー上がっちゃうんじゃない?」「ダイジョーブ、ダイジョーブ」とガンちゃんは笑顔で答えていた。なぜならこのロシアンジープ、なんと“手動”でエンジンがかかるらしい(耕運機か?)。なのでバッテリー上がりも問題ないのだ。
ガンちゃんはジープのフロント部にクランプを差し込んでキックよろしく両腕で力任せに振り下ろした。ブ、ブ、ブルッ!何回めかのTryでエンジンが目覚めた。あっぱれロシア製品&モンゴリアン腕力!
 さて僕たちも朝の準備をしなくては。それは朝の“おつとめ”、憧れ?のモンゴルの大草原での野グソ(表現きたなくてスイマセン)。ラリーレイドモンゴルのレポートなどでたびたび紹介されてはいるのだが(ホントか?)、隠れるものが何もない草原でどうするんだろうとちょっぴり疑問だった。でもあたりを少し歩いてみるとすぐ納得できた。モンゴルの地平線は、イメージしていたどこまでもまっ平らな地平線とは違って、案外うねった土地なのだ。それは国全体が丘陵地帯にあるからだろう。なのでちょっと移動してしゃがむと、あら見えない。場所探しは意外に簡単だった。でもしゃがんでいても、振り返ると相変わらず見渡す限り地平線に見え、爽快?そのものなんだけど。。。。
 準備が整い2日目のスタートを切る。今日はさらに南へ進む。ゴビの麓の村バルンバヤンウランに到達するのが目標だ。ガンちゃんのロシアンジープに続く。空は抜けるような青空だ。モンゴルの道の大部分は“ピスト”と呼ばれる“道のようなもの”で、車の轍が道として残ったものだ。交わったり、並行したり、そして放射状に分かれていく。昨日より丘はもっと遠くなり、草原が広がった。
 しばらく行くと、ガイドのハチローくんがピストを外れて草原の中にバイクを乗り入れていった。なんだ、なんだ、僕たちもついていく。そっとバイクを降りて近づいてみると、それはラクダの群れだった。野生の野良ラクダなんて見たことない。ちなみにモンゴルのラクダは2コブで1コブは中東のラクダなのだそうだ。ところで僕たちが野良と思ったこのラクダ、実は誰かの所有物らしい。遊牧民のいるところ野良などありえないのだ。なるほど納得。
 村が見えてきた。ここで小休止。ガソリンスタンドで給油していると、ぞろぞろと住人達が集まってきた。ものめずらしそうに僕たちのバイクを囲んで皆であ〜でもない、こ〜でもないと言っている(何言ってるか分からないけど)。パランパラン、一台の見知らぬバイクが近づいてきた。なんと大の大人が3人も乗っている。それはロシア製の2ストバイクでモンゴルでは一番ポピュラーなバイクだ。70年代っぽいレトロなデザインが妙に新鮮。彼らはガンちゃんと一言二言話した後、ちょっと自慢げに笑って僕たちの前をゆっくり通り過ぎて行った。ところで村の様子はというと、建物らしきものはほんのわずかで、あとはゲルの集落だ。何棟ものゲルが荒野の中に寄り添うように建っている。これらは草原の中で見たゲルとは違って一棟ずつ木の塀で囲まれている。“定住ゲル”といって集落に住みついてしまった遊牧民たちのゲルだ。モンゴルの日常も日々変化しているのだ。

 

さあ、先を急ごう。南下するにつれ、更に草原は広がっていく。時おり馬の群れが現れ、共に走る。遠くに鷲のような大きな鳥が悠然と飛んでいる。相変わらずピストは緩やかに蛇行していて思うようにアクセルが開けられない。立ち上がりでフルスロットル、でもすぐにカーブで減速。その繰り返し。やっぱり80キロが精一杯だ。だんだんジレてきて、ともあきくんと僕はピストを離れてショートカットを試みた。「おー、いいじゃん!」調子に乗って走っていると「わっ!」急ブレーキ!!!あぶないあぶない、枯れ川がクレバスになって行く手を塞いでいた。なるほど、道が曲がっているのにはちゃんと理由があるのだ。
 いくつかの集落を抜けていった。だいぶ南下しているのに一向に気温は上がらない。それどころか少し雲が出てきたら急に寒さが身にしみてきた。気がつくと日も傾いていた。僕たちはトゥグルグという村に着いた。ガンちゃんはこの付近にテントを張るか、どこか宿を探すか聞いてきた。つまりやっぱり今日も予定地まで走りきれなかったというわけだ(予想してたけど)。「でも、ここはモンゴル、いいんじゃない?」皆早くもモンゴリアンモードに染まってきた。
さて昨夜の寒さに結構うんざりしていた僕たちは迷わず宿を希望した。村に交渉に行ったガンちゃんが探してきたのは、子供たちの学校の宿舎だった。それは村の中心部の広場に面して建っていた。遊牧民の子供たちのための学校で、一定の期間親元を離れてここに集まってきた子供たちが、一緒に寝泊りし勉強する。僕たちがバイクで乗りつけると真っ先に校長先生が出迎えてくれた。「何だ、何だ」早速勘の良い数人の子供たちが駆け寄ってきた。と出てくる出てくる、堰を切ったようにあっという間に大勢の子供たちに囲まれてしまった。当惑気味の僕とともあきくんにニーダさんがカメラを向ける。するとますますヒートアップ。「僕もっ」「私もっ」みんなカメラの前を奪い合い。ああもう、収拾つかなくなっちゃった。ふと空を見上げるとさっきまでの雲がとれてきれいな夕焼けが広がっていた。子供たちの無邪気な笑顔を思い浮かべながら、この夜は快適なベッドでぐっすり眠ることができた。明日はゴビだ。
 
  
9月28日 ゴビを走る
 すばらしい青空!ゴビを走るのにふさわしい日だ。しかし、今日も “朝のお勤め”の話題から。へへへっ。この村にはトイレがある。広場にぽつんと2棟の掘っ立て小屋が建っている。これがこの村のトイレだ。最近は方々の村にも建っているらしい。ところでこのトイレ、壁と、跨ぐのにちょうど良い隙間の開いている床があるだけでドアがない。外から丸見えなのだ。さてはてどうしたものか。まずは日本式に入ってそのまま跨いでみた。しかしすぐこれはイカンと感じた。外敵に対してあまりに無防備なのだ。やっぱり入口に向かって座るべきだろう。そしてガンを飛ばすのだ。「おいこら、使用中だ!」ニーハオトイレは必然のスタイルなのだ。そういえば洋式トイレだって入口に向かって座っているではないか。日本式スタイルがグローバルスタンダードではないことを感じた瞬間だった。(それにしてもこのトイレ、何故か残存する“モノ”が少ない。誰かが掃除してるのかな?その疑問は後に明らかになるのだった。)
 さあ、いよいよゴビに向けて出発。麓の村バルンバヤンウランまではまだ100キロ以上の距離がある。ルートはここから緩やかに南下しつつもほぼ西へ進む。ところで “ゴビ”とはモンゴル語で“まばらな短い草が生えている土地”という意味なのだそうだ。僕たちが想像する砂漠だけがゴビではない。その範囲はモンゴルの国土の南側の大部分を占める。そういう意味では僕たちはもう既にゴビにいるのだ。そしてそれは出発してすぐに実感できた。景色が昨日までとは明らかに違って、圧倒的に広くなっているのだ。どこまでも続く緑のじゅうたん、そして地平線に消えていく道。気がつくと360度どこを見渡しても山らしきものが無くなってしまった。

 

 やがて周囲は草原さえも消えて、まるで火星のような荒野になっていった(行ったことないけど)。一直線に貫くピストをフルスロットルで駆ける。長い砂煙を引きながら走る姿はまるでラリーレイドモンゴルのプロモーションビデオのようだ(ワーイ!)。地平線に蜃気楼が浮かぶ。時折低い山脈のようなものが現れてきては、それを越えていく。そしてまた眼下に広がる荒野と貫くピスト。う〜ん、僕たちはすっかりこの風景にやられてしまった。
 古くて低い火山を越えると、先行していたロシアンジープが止まっていた。バイクを降りて近づくとガンちゃんがしきりに前方を指差している。遠くに連なる山脈の麓にうっすらと浮かんで見えるその景色は砂丘だった。ゴビだ!ついについにやってきた!この砂漠は正真正銘ラリーレイドモンゴルのスペシャルステージ(競技区間) が開設された砂漠である。そこに到達するには更に広い枯れ川の川原ようなところを横切って行かなくてはならない。このツアーの言い出しっぺのともあきくんは、よっぽど待ち望んでいたらしく、「ゴビは最高、ゴビは最高」と言いながらどんどん先行していってしまった。意外なことに、ゴビは徐々に砂漠になるのではなく、本当に突然ドンと横たわっていた。目の前のデューンを見上げてさすがにちょっと緊張する。「特にクレバスに注意すること。風下に向かって急に途切れて判り難い。」ガンちゃんは僕たちにこう注意を促した。
 さあ、ゴビへ。轍のないまっさらな砂丘の中にそろりとスタンディングで入っていった。「ブォォォーーー」高めのギアでアクセルを開けてシュプールを描いてみる。「お、結構いける」ゴビでのライディングは思った以上に走り易いものだった。ともあきくんとラインをクロスさせながらデューンを駆け上がる。自称オフ初心者のニーダさんはちょっと遅れて追って来た。ハチローくんは地元?なのにサンドが苦手なのか意外にギクシャクした走りだ。俺たちって結構やるじゃん。

 

 一通りライディングを堪能した後、迂回して先回りしていったガンちゃんのジープを探しにルートを右手にとった。目前にはちょっと大きめのデューンがあり、なだらかな登りになっている。
僕は失速しないよう勢いをつけて真っ直ぐに登って行こうとした。ところがシフトアップできない。どうやらワイヤーが伸びてしまってクラッチが切れないらしい。仕方なく1速のまま両足でジタバタしながら上がっていった。頂点まだかな〜と思ったその瞬間、突然砂丘がばっさり途切れた。「!!!!」ストーーーーップ!!!クレバスがぽっかり口を開けて、高さ3〜4m落ちていた。危ね〜〜〜2速だったら飛んでたな。
 クレバスの手前で凍っていると、続けてハチローくんがヨロヨロと登ってきた。クレバスには全く気づいていない様だ。「ストップ!ストップ!」慌てて制止したがぎりぎり間に合わず、ハチローくんはゆっくりフロントからずり落ちて途中で止まった。「イャー、切れ目が全然見えないネ〜、砂丘は怖いネ〜」実はハチローくんは決してサンドが苦手なのではなく、慎重に走っていたのだ。これがデューンの魔物、本当にクレバスの切れ目が見えないのだ。ハチローくんを助けていると、威勢の良いバイクの音が聞こえた。慌ててクレバスを駆け上がると、今度はともあきくんがさっそうと登ってくるではないか。「だ、だめ!」叫んだが声にならなかった。ブンッ!加速したままデューンの切れ目を飛び越えてしまった。。。。その瞬間、ヘルメットの中のともあきくんは“さわやか”な笑顔だった。
 「わーーー」という悲鳴とともに、ハチローくんの頭上を越えて、飛んで飛んで5M位飛んでフロントから突き刺さった。そしてそのままバイクと絡みながら2転3転していった。そういえば、このツアーはウランバートルから救急ヘリコプターも手配できるって言ってたなぁ。慌ててハチローくんと駆け寄った。「痛たたた」ともあきくんは胸を強打したものの奇跡的に体もバイクも無傷だった。チョーラッキー!!救急ヘリも出番無し!しかし心の傷は深かったらしく、これ以降「ゴビは怖い、ゴビは怖い」が彼の口癖になってしまった。



 こんなことが起きている間、ニーダさんはデューンの手前で埋まっていた。実はニーダさんのバイクは何とノーマルタイヤだったのだ。そんなタイヤで良くここまで来るよ、この自称初心者は。。。。
僕たちがなかなか現れないのでガンちゃんが心配して捜しにやって来た。事の顛末を聞いてちょっと驚いていたが、ともあきくんの無事を確認すると安心したようだ。ロシアンジープのところに行くと、タイワンさんとガンちゃん妻がテーブルを広げてランチの準備を始めていた。ランチができるまでハチローくんとガンちゃんは、少々くたびれてきた僕たちのバイクを丹念に整備してくれた。
 相変わらず空には雲ひとつなく、風は冷たいものの陽だまりは結構暖かい。ジャケットを脱げるほどだ。やっとガンちゃんの面目躍如(笑)。ゴビのデューンの中でのすばらしく贅沢なランチの後、再びゴビの砂丘群に走り出てみた。
 今度はデューンに対して斜めにアプローチして、前方を確かめながら慎重に走る。必要があればバイクを止めて歩いてラインを確認する。少し慣れてきたのでともあきくんやニーダさんと一緒に、更にゴビの奥に足を延ばしてみることにした。進めば進むほどデューンはますます巨大になり、クレバスはめまいがするほど深くなっていった。遠くにラクダが歩いている(あのラクダ達もやっぱり野良じゃないのかな?)。ビルの何階分もの高さがあろう延々と続く砂丘群を、3人でただただ感動しつつ眺めた。
 夕陽がゴビを染め始めたころ、ガンちゃんが迎えにやって来た。この日は麓の村、バルンバヤンウランにあるゲストハウスに宿を取る事にした。夜になると段々風が強くなり、時には宿を揺らす程になった。きっと僕たちが描いたゴビの轍は、朝にはすっかりかき消されてしまうに違いない。

 

 
9月29日 冬将軍
 朝になると昨夜の風は嘘のようにやんでいた。昨日と同じ穏やかな青空だ。早朝一人で出かけていたガンちゃんが戻ってきた。「せっかくゴビに来たんだから」と僕たちが乗るラクダ(!)を探しに行ってくれていたのだ。ところが「昨夜の強風でラクダがみんな逃げてしまった」らしい。何じゃそりゃ(笑)。結局ラクダの乗馬?はあきらめ、このままゴビを後にすることになった。ここからはツアールートのほぼ折り返し、今度は北に進路を取る。
 今日の目標はモンゴルの古都ハラホリン。そこのツーリストキャンプで念願のゲルに泊まる予定。ここからは今までとは違い、行く手にはいくつもの丘のような山があり、それを越えては広い草原をまた走る、といった道が続いた。しばらく行くと渓谷の中をすり抜けていくルートになった。だんだん路面がフカフカになり、いつの間にか枯れ川の中を走っていた。雨季には幅2〜30mはあるだろう川が乾季にはそのまま道になっている、豪快で楽しい道だ。今度は小さな小川を渡った。その後丘を越えてグングン高度を上げ、ひときわ高い山の峠に出た。でもなんだか変。木が一本も生えてないのだ。視界をさえぎるものがなく、360度全てが見渡せる不思議な風景。そういえばこのツーリング中ほとんど木らしい木を見なかったかも。改めてモンゴルの自然の厳しさを垣間見た気がした。
 一方で時にはやさしい風景にも出会えた。初めは遠くに霧がかかっているようだったが、近づくとそれは湖だった。何もない高原の中になぜかぽっかりと浮かぶ湖。その貴重な水辺には野生(じゃないかもしれないけど)の馬や鳥たちがのどを潤しに集まっていた。さながら高原のオアシスのようだ。その幻想的な風景の一コマになりたくて、僕たちもそっと水辺にバイクを進めた。今日は色々な風景と出会うことができる日だ。なんだか南米の高原地帯をツーリングしているみたいだな(行ったことないけど)。

  

 ペルーにツーリング経験のあるニーダさんに尋ねてみると、大きくうなずいて答えてくれた。モンゴルはそんなちょっと得した気分にさせてくれる所でもあるらしい。道端でティータイムを取る事にした。ガンちゃんが近くのゲルから遊牧民と馬を数頭つれて戻って来た。そしてそのうちの一頭に飛び乗るとさっそうと草原の中に駆け出した。おおっかっこいい!するとそれを見ていたガンちゃん妻までが馬に跨りムチ一発、これまた草原の中に駆け出して行くではないか!二人ともかっこ良すぎるぞっ!!モンゴル人は子供の頃から乗馬があたり前とはいえ、超セレブの都会暮らし(?)の彼らにとってもお手のものなのにはちょっと驚いた。その後たずなは僕たちにバトンタッチ。もちろん彼らみたいにはいかないが、遊牧民たちに先導されながら、かわるがわるモンゴルの草原での乗馬を楽しんだ。
 少し風が冷たくなってきたので、今日のランチは遊牧民のゲルを借りる事にした。草原の中にぽつんと3棟まとまって建っているゲルを見つけ、交渉の末真ん中のゲルに案内された。ここでガンちゃんにちょっと聞いてみた。このゲルはどうやって借りるの?すると「時間貸しなんだ」。近年このような遊牧民のゲルは観光客相手に小銭を稼ぐようになったらしい。しかも我々の場合一時間2千円とモンゴルではかなりの高額だ。相手を見てちゃっかり商売してる。遊牧民にも日々資本主義の波が押し寄せているらしい。お腹が一杯になり身も心も?温まったので、ゲルの廻りを散歩してみた。風は少々冷たいけど、日差しは柔らかでじっとしているとぽかぽかしてくる。静かでのどかな時間が流れていた。
 再び北に向かって走り始めた。先頭のロシアンジープを眺めながらふと思った。このダートはいったいどこまで続くのだろうか、そしてずっとこの至福の時が続くといいな…。突然舗装路に出た。はっと目が覚めた気がした。すると急に周囲の空気が入れ替わった。猛烈に冷たい空気に覆われ、横殴りの風が吹き出した。寒さが体の芯を突き刺す。空はどんよりとした鉛の雲に覆われていた。じっと耐えて舗装路を進むと、久々の近代的な街が見えてきた。アルバイヘールだ。たまらず近くのガソリンスタンドに飛び込んだ。なんなんだこれは??? どうやら遅れていた寒気団がついについにやってきたらしい。なんたって今は9月の終わり、モンゴルはもうとっくに冬なのだ。ガソリンスタンドでありったけの防寒具を着込んだ。しかし一度冷え切ってしまった体は元には戻らず震えが止まらない。それでもこんなこともあろうかとそれなりの防寒具を持って来た僕やともあきくんはまだマシ。ウエアがもうないニーダさんとハチローくんはピンチだ。

 

 気を取り直し、再びハラホリンに向けて走り出した。街を抜けまた北に延びるダートに入っていった。そしてしばらく進むと、とうとう山や道が薄っすらと白く色づき始めた。雪だ〜〜〜。道端にロシアンジープが停まった。タイワンさんが降りてきて僕たちに紙コップを配った。そしてあの透明な飲み物をたっぷりと注いだ。「アルヒ!!!」薦めるタイワンさんの目が怖く、事態の深刻さが伝わってくる。僕たちは黙ってそれを流し込んだ。こうしている間にも気温はどんどん下っていき、指先はちぎれそうな程だ。
 そして遂にここでニーダさんリタイヤ。ロシアンジープに乗り込みルートを併走することになった。よくここまで頑張ってきたよ。バイクはというと、フロントタイヤを外しシャフトを通してジープの後ろのバイク用特製ヒッチメンバー(3台まで牽引可能)に固定。そのまま力技で牽引していく。ハチローくんを先頭にともあきくん、僕の順で再スタート。後ろからニーダさんを乗せたロシアンジープが追い駆ける。路面は薄く積雪はあるものの凍っていて案外走りやすい。緩やかなワインディングが続く道に出た時、雲の間から一瞬日が差した。そして舞い落ちる雪をきらきら照らし始め、なんとも幻想的な風景が広がった。こんな美しい景色をモンゴルで見ることができる僕たちはとても幸運なのかも知れない、と思った。 しかーーし、甘かった。雪は本格的に降り始め、進めば進むほど積雪はどんどん増し、いつの間にかあたり一面本当に真っ白になってしまった。更に日もどっぷり暮れてきて事態はますます悪化。ここからは山岳雪中ナイトランという海外ツーリングとしてはありえないシチュエーションに突入してしまった。積雪は10センチを優に超え、気温はマイナス7度。ハラホリンまでまだ40キロもある。
 その後この極寒の中、なんとか耐えていたハチローくんが遂に力尽きたか転倒。雪のわだちにタイヤを取られたらしい。しかも弾みでタンクに穴を開けてしまい修理不能、なんとここで現地ガイドまでもがリタイヤすることに。ありえねーー。残ったのはともあきくんと僕の(懐かしの?)バカミーコンビ。しかしその後も二人共アイスバーンで足元をすくわれ転倒するなど悪戦苦闘。怪我こそ無かったものの、遥か彼方の異国の地での極限状態。命の危機?さえ感じる状況に、全身全霊、今まで培ってきたライディングテクニックの全てを出し切って走った。
 そして夜の10時をまわる頃、やっとやっと街の明かりが見えてきた。ハラホリンに到着した!!!やった〜〜〜!!!ガンちゃん、タイワンさん、ハチローくん、そしてニーダさんとガッチリ握手。ともあきくんと二人で高らかにガッツポーズ。生きてて良かった〜〜〜!!日没後約4時間の雪中行軍だった。

 

 9月30日 ウランバートルへ
 ツーリストキャンプのゲルのまわりは雪に覆われてシンと静まり返っていた。周りを見渡すとまるでスキー場の麓のようで、よくこんなところを走ってきたものだと思う。ここハラホリンは旧モンゴル帝国の古都で、正方形の広大な城壁で囲まれたエルデニ・ゾーという寺院で有名な観光地でもある。ツーリストキャンプはこの城壁の正面入口のまん前にある。(ここでやっぱりトイレネタ。)
 ここには本来トイレがあるのだがシーズンオフのため閉鎖中。こんな観光地の目の前で再び野グソをするはめになってしまった。物陰に隠れてこそこそお尻を出していると、突然犬が現れた。わんわんと興奮している。そしてなんと遠吠えで仲間を呼び始め、あっという間に数匹の犬に囲まれてしまった。「まずいっ」しかし彼らが飛びついたのは僕ではなく、たった今生んだばかりの“モノ”だった(きたなくてスイマセン)。本来犬には食糞という習性があり、その習性がこの自然の大地では“トイレの掃除屋”として大いに役立っていたというわけ。自然のリサイクル、モンゴルでは無駄なものは何もないのだ。
 積雪のため今回のツーリングはここで切り上げることになった。ロシアンジープで残りの行程をウランバートルに向かう。ジープ1台では全てのバイクを運びきれないので、ガンちゃんは町で韓国製トラックと運転手(!)をレンタルしてきた。準備の間、僕たちはエルデニ・ゾーの寺院を見学し古きモンゴルの神秘に触れた。
 出発前ゲルの中で最後のランチをとった。メニューはモンゴルの郷土料理ホゴロックだ。なべの中に骨付き羊肉を入れ、ストーブの中で真っ赤に焼いた石を豪快にその中に放り込む。ゲル中に羊肉の甘い香りの湯気が立ち込めた。彼らの心のこもった料理に舌鼓をうちながら、今回のツーリングの思い出を語り合った。
 ロシアンジープにはガンちゃんとガンちゃん妻と僕たち3人が乗った。ハチローくんとタイワンさんはトラックでウランバートルを目指す。ハラホリンの街を出たところで急にトラックが立ち止まってしまった。パンクだ。でももう急ぐことは無い、今晩中にウランバートルに着けば良いのだ。そういえばまだ最後のミッションが残っていたな。僕は持ってきたクラブのステッカーをロシアンジープに貼り付けた。ミッション完了!笑顔を向けると、ガンちゃんは笑って返してくれた。雲が晴れてまたあのさわやかなモンゴルの青空が広がっていた。

 

  

 
最後に
 この日の夜僕たちは無事ウランバートルに到着、スキさんとも再会した。翌日は彼らのガイドで一日かけて博物館(巨大なチノザウルスの骨がある!)を見学したり、デパートや巨大な郊外市場(偽ブランド品の宝庫、楽しい!)に潜入、更には地元のお店で食事するなど、かなりディープなモンゴルを体験することができた。(お腹もちゅるちゅるディープになったけど…。)
 モンゴルといえば、得てしてその大自然や風景にばかり目がいきがちだが、行ってみて分かったのはその変革のエネルギーのもの凄さだ。ドラマチックに近代化が進む新しいモンゴルと、変われない古いモンゴル。そこには多くの矛盾もある。しかしその中で彼らは強烈なパワーで生き抜いていた。地の果ての遊牧民もガンちゃんたちも。
 最後に、このツアー中、ガンちゃんをはじめスタッフのサポートはとても献身的で、おかげで楽しく安心して旅を続けることができたことを付け加えておきます。本当にありがとう。もしこのレポートを読んで興味を持った人がいたら、是非行ってみて欲しい。ちょっと勇気を振り絞ってウランバートル空港へ降り立てば、きっとあの輝くガンちゃんスマイルが迎えてくれますよ!「サンバイノー!」(おしまい)

   問合せ先:MONGOL MOTO TOUR(http://www.ktmtour.mn/