今回のGRMはいつもと違っていた・・・。それは、例年なら遠くの山々に雪が見えるぐらいなのだが、今年は目の前が積雪だった。
11月3日朝、外はとても静かである、といこうことは・・・、やはり小雪である。でも路面には雪が無いので予定通り、9時ブリーフィングに9時半出発で2日目のスタート。先頭は菅原社長さんのR1150GS、それに続きガストンさん、ガントルガさん、山田さん、等大御所メンバーが連なり、その後にゼッケン順にスタート。途中大御所メンバーが給油の為、GSに寄る間に、R100GSPDのU田さんがスパート。林道に入ってもがんがん進みます。だんだんペースが離されて来た頃、先頭の内田さんが水溜りで寝転がっています。泥と轍でチュルになっており、リヤが大きく振られたようです。みんなで起してあげ、ツーリング再開。私は、雪で視界が悪い為ペースを少し落とし、枯葉とチュル場で思うように走れません。それでもなんとか前を走るメンバーに食いついていきます。
去年より今年はこの林道コースが延長され、さらに激しさが増しています。砂地でスリップしたF6GD、水の流れたクレバスに嵌ったR100GS、曇ったゴーグルを外した瞬間に目に枝が飛び込み、軽い出血したランツァの方、後から聞いた話では、澤田さんの引率した初心者メンバーのグループでは、書ききれないぐらいのお楽しみがあったらしい。
この後はしばらく舗装路が続き、2本目の林道では、菅原社長の1150GSとオランダBMWディーラーの方の走行シーンの動画にて撮影。この林道では、やはりトラブルがあり、F6GSの方が転倒しフロントフォークのアウターチューブのシャフト付近を砕き、走行不能で、ピックアップ。去年ともあきさんがやった、あれと同じ様です。
林道を抜け舗装路になり1〜2キロ走る内に、路面が少しずつ、アイスバーンになって来ているではないですか!2速ホールドで回転を下げてゆっくり進みますが、たまにリヤが左右にスライド。この時に慌ててはいけないと神経をアクセルに集中しクリアー。そして、右タイトコーナーに差し掛かる所で、F6GDが止まっています。どうやら、フロントタイヤのパンクでした。先ほどの林道でリム打ちしたようです。I毛さんとW部さんと、私の3人で修理作業に入ります。
まずはタイヤを外し、チューブを取り出し、I毛さんの予備チューブを装着します。ところが、タイヤをはめる時に、タイヤレバーでチューブを抉ってしまい、空気が入りません(頼むよ・・・W部さん!)。もう一度外し、修理パッチを貼り再度装着修理完了。で、途中まで、作業を見守っていた山田さんが、エアーポンプで空気を入れるのをやるといいました。私としては、自分の乗っているバイクがパンクをし、人に任せて自分は手を汚さないという事を平気で居るような人だったら、きっと軽蔑していたでしょう。たとえ自分でトラブルに対処出来なくても、(パンク修理ぐらい出来ると思いますが。)出来る事はやろうという気持ちがあってくれた事には嬉しく思いました。(ちょっと生意気な事をいってしまいました。ごめんなさい。)
この先の道はさらにアイスバーンが続くため、後続から来た、女性2名を含む5人は、ここまで来るのにも難儀していたようなので、引き返して舗装路でゴールを目指す事になりました。私は去年も参加し、ゴール地も知っており、また塩尻市には親戚も居る為、地理には詳しく、5人を引率する役に。高速を使い、5時近くに何とか高ボッチ高原のゴール地に着きましたが、雪の為山の下の道の駅で閉会式をする事に変更になります。途中カモシカが4頭道におり、「あの鹿はこんなところに居て、寒く無いんだろうか?」と余計なお世話を考えてしまいました。
道の駅に着いた時には、閉会式も終わり、おのおの帰り始めています。しかし、私がついた時に仲間のみんなが、「おつかれさま!」と声を掛けてくれた事が、今回の中で一番うれしかったです。思わず涙が出そうになっていました。そして、SSERのスタッフの方に預けていた荷物を受け取り、帰りの仕度を終える頃には、私とみやぴーだけになっていました。これからみやぴーと2人で地走り隊結成です。
塩尻峠と富士見峠付近では、雨に降られたけど、甲府辺りでは天気も回復し冷えた体にラーメンをすすり、一路東京を目指します。しかしこれからが大変でした。なんと笹子トンネルより国道20号が延々相模湖インターまで渋滞していたのです。高速でも大月付近で、30キロの渋滞表示。いままで20号でこんな渋滞した事は無かったので、まさかまさかでした。すり抜けをバンバンしたけど、予定より1時間近く掛かってしまいました。
去年のGRMではコマ地図フルコースで、何事も無く楽しく走れたけれど、今回のGRMでは、初めからの大番狂わせで、一時はどうなるかと心配したけど、終わってみると、去年よりずっと楽しい思い出が出来ました。これも、SSER全ての方の努力とそれに順ずる協力していた方の賜物なのでしょうか。本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。