20周年イベント 参加レポート第2章

 
8年ほど前に入会したクラブ内最高齢で最初心者の合田@緑アフリカです。

 15周年行事に続き20周年記念にも参加でき、思い出がひとつ増えました。
これも土谷会長を始め、下見やらコース・マーシャルを務めた会員各位ご尽
力のお蔭です。今回は3月大地震からの復興がまだまだでもあり、ゲスト参加
者が少なかったのは残念でしたが、クラブ員を中心に総勢約30人の楽しいイ
ベントとなりました。
 しかし残念なことに、ゲストの井原さんが帰着地手前で転倒し右膝打撲傷を
負いました。1箇月経っても腫れは引かないものの快方に向かっており、現在
鋭意リハビリ中の由にて、早い全快をお祈りします。

  コマ図ツーリング開始!

 9月18日は20周年イベント、コマ図ツーリングの日。
大多数の参加者は17日からキャンプ場入りしており、前日夕方からの雨も上がり朝には絶好ツーリング日和を迎えた。しかし、小生は17日に用事があり18日早朝自宅を出発し、午前8時過ぎに伊那谷の樽尾沢キャンプ場に到着。
 入口脇の自立タープ下で受付。アキグラスさんと土谷娘さんがテキパキと事務。松本ミチハル氏の東北支援ステッカーも購入。遠く仙台から駆けつけた「ともあき」さんや、長岡から車で参加の波方さんを始め、懐かしい顔を見つけては挨拶し暫し歓談。癌闘病中の老シェパード、八雲クンは松田さんから聞いていた以上に元気そうな様子でひと安心。
 参加者のグループ分けでは、大多数は完全フル走行のAコースに参加し、難路を通らないBコースには4名参加と決定。コース・マーシャルを務めるクラブ員は先発し、続いてAコース参加者が小グループ毎に順次出発。

  

 小生は7月下見時に半廃道の急坂林道で苦労したため、走り易いBコースに参加。Bの4人は2人ずつ組を作るようにとの土谷会長指示で、小生は神戸からDR800で参加した井原ゲストと2人組を編制。会長スターターの前で一旦停止し、9時半頃に、いざ出発進行!
 土谷会長が手間をかけて作成したコマ図の区間距離は、小生のアフリカツイン・トリップメーターの距離よりも気持ち長く表示されていたが、小さな分岐も表示された精密で解り易いコマ図であり、我々はコマ図に従って快調に進行。チェックポイントを確認しながらズンズン北方向に走ると、狭いダートに突入。荒れた路面やら凸凹うねり路面もあり、変化に富んだ手強い林道と思っていたが、ツーリングマップルで確認すると、これはレッキとした県道422号線。
 樹木に覆われる真志野峠からの下り道は曇天のせいか路面が暗いので、時々エンブレを効かして慎重に下る。中央道を跨ぐ橋を渡った所のコマ図は無かったが、2人で暫く話し合って左折して正解。
 程なく里に下りて、DR800はエネオスGSで給油。同じく給油中のAコース参加者にも追いつく。ここからは国道20号線を東京方面にたどり、宮川板室から板室林道に入る。狭いものの舗装区間が長く、最後にダートに入れば程なく稜線道に出た。林間の快適な舗装道を飛ばし、ここまでは極めて順調に進む。

  道迷いでAコース突入!

 千代田湖を右手樹林の間から垣間見て、積算35.2kmの左分岐に差し掛かる。区間メーターではコマ図表示の0.6km少し手前ながら、距離表示差を勘案して先行していた井原さんに同意し、左に下りる狭いダート林道に突入。結果的に、これが恐ろしくも楽しい今回ツーリングのハイライト区間になるとは、つゆ知らず‐‐‐。
 小石と枯枝が混じる路面は次第に下り傾斜がきつくなり、通常の車両が通過する道とは思えないし、まして初心者用Bコースとは信じられないと言葉を交わす。しかし、上り返すのは尚更厳しいと判断し、ズンズン落下するように下って行く。ついにスキー場上級者コースのような急坂手前の右タイトターンで井原さんが転倒。
 助けようと小生も停車するが、左右傾斜もきつい斜面でサイドスタンドが降ろせず、前方に進み何とか停車しようとして四苦八苦している時に、松田さんと斉藤さんのOHV-GSコンビが下って来る。地獄で仏とは、まさにこのこと。井原さんの怪我もなく、ほっと安心。
 「これはAコース用の○○林道であり、2人はミスコースしている。」と松田さんから言われて納得。上り返すか、そのまま下るか、尋ねたられたが、上れば地獄の深みに落ちるだけと2人して判断し、下ることを決定。後は松田さんに先導してもらい、斉藤さんにシンガリを務めてもらい、さらに途中で2人とも1回ずつ転倒しながらも2人の上級者に助けられて無事下山。
 コマ図どおりならば金沢峠経由で楽にCP1の芝平峠に着く筈が、間違えて100m手前の分岐で左折し地獄の○○林道に入ったということが、里道に下りてからAコースのコマ図を見せてもらい判明。よく見ると両図の分岐路進入角度が微妙に違う。しかし、自分達からは絶対に入り込まない難路を、豪華にも前後エスコート付きで走れたのは幸運というべきか?
 本来のコースに戻るため、我々2人は松田さんの先導でBコースでは走らない筈の舗装化の進んだ金沢林道を駆け上がり、コマ図ツーリングのタイムリミットである正午10分前にCP1芝平峠に到着。ここではコース・マーシャルのクラブ員5〜6人が待ち受けていた。すみません、お手伝いもせず。

  

  会長指示で不整地走行

 次のCP2「南アルプスむら長谷」まではリエゾンであり、そこまで舗装路を経由して行くようにと指示されたので、杖突峠から国道152号線を下るつもりで尾根道を北上していると、金沢峠手前の分岐に立つ篠原コース・マーシャルに会う。彼曰く、土谷会長から我々2人には町道高峰線を通って行くようにとの指示が出ている由。時間的にも肉体的にも楽な道を行きたいと反論したが「私としては会長の支持に従ってください、としか言えない」と跳ね返されて、ままよとばかり、町道高峰線に入る。
 案の定、所々にヌカルミもあって楽ではなく、最高地点の休憩地付近ではススキが両側から道を覆い前方視界が全くないうえ道の真中には深溝ありで、対向車対策にホーンを鳴らしながら下ばかり見ながら走った。最高地点で暫く待ったが後続組は来ず、謀られたようだが仕方ないと観念。
 途中で250ccオフ車グループに出会い、道を聞いて道の駅までの近道である左の谷へ下るか、真っ直ぐトンネル付近まで行くか、2人で協議したがそのまま直進。後から考えると、左に下りていたら、復路でまた途中から同じ道をたどることとなったので、結果的には正解。
 今回の我々2名組は、道迷いやら、会長指示のお蔭で、Bコースというよりも、最後の半廃道林道を除いたAコースを走行出来たのは怪我の功名と言うべきか。しかし、国道152号線に出た所で左折すべきところを小生ミスで右折し諏訪方面に走り10分間タイムロスして、13時半頃にCP2道の駅「南アルプスむら長谷」に到着。食堂では手持ちのサンドイッチを食べようと味噌汁を注文すると30分位待たされて、決して早く出て来なかったカレーライスの井原さんを、さらに待たしてしまう。

  復路スタート

 昼飯を終わらせるのに時間は掛かったが、天気は良し、気を取り直してトリップメーターをリセットし14時半ごろ出発。
 CP2からのコマ図では距離表示がCP2までと違い短めに表示されていたこともあり、林道入口を行き過ぎたりしたが、無事にダートイン。タイトコーナーの連続を登りきると、そこはまたしても町道高峰線。少し前に下っていたので道に馴染んだせいか、少しは走り易かったが、深い溝から赤土斜面を斜め登りして横倒し。高い方に倒れたので、苦労せず起こして再発進したが、やはり上りは下りより難度が高い。
 最高点の休憩地でまったりしていると、コース・マーシャル達に追いつかれ、江川さんから後ろにはもう誰もいないから早く出発してくれ、と催促されて出発。ススキやヌタ場も2度目となると、それ程恐くなく無事に通過して舗装路に出る。コマ図どおり千代田湖から県道490号線を経て、国道152号線の御堂垣外宿付近に出る。
 同国道を少し北上し次の分岐である片倉でも小生判断ミスで道迷いし、松尾峠への道ではなく集落奥に入り込み村人に道を尋ねている時に、上方に見える林道を登るコース・マーシャル連の駆け上がる爆音が聞こえたので、取るべきルートを確信。無事に狭い舗装林道に入ると途中から幅広い高規格道となる。これが日影入林道という林道なのか、狐につままれた感じ。
 次の日向入林道への入口でも少し通り過ぎてから戻り、コマ地図どおり舗装されてはいるが林道らしい林道に入る。井原さんは度重なるルート迷いに焦ったのか、コマ図ではなく自車装着のGPSでキャンプ場に帰りたいと言うので、「ゴールは近いからゆっくり行きましょう、先に行ってください。」と先行してもらう。

  

  転倒事故

 しかし、これが結果的には井原さんの転倒事故につながったのかもしれない。
 舗装林道では数百mしかないダート残存区間を過ぎると間もなく峠に着いたが、其処には先行した井原さんの姿はない。峠からの下りも狭い舗装路で、16時を過ぎたこともあり陽も陰って来たうえに、落葉が道の真中では薄く両側では深く積もっているため、小生は2速エンブレでゆっくり下る。井原さんには追いつけない。
 ところが、とある右コーナーで転倒したDR800脇で膝を抱えて転がる井原さんを発見。膝防具は忘れた由で付けておらず、デニムのジーパンが破れ膝の真皮が剥けて出血もあり、相当に痛そうながら自立歩行できるので骨折ではないとひと安心。二人とも救急用具の持ち合わせなく応急処置が出来ず、携帯電話もつながらないので、小生がキャンプ場に帰り乗用車を呼んでくると言うが、自走で帰れると言うのでゆっくり先行してもらう。
 途中で諏訪方面に走り去る井原さんをホーン鳴らして追っかけたり、ダム付近まで帰り道脇から流れ落ちる流水箇所で井原さんがバイクを止め自ら傷口を洗ったりしながらも、1710分前にはキャンプ場へ無事帰着。同じBコースの熊倉・平山組は正しいルートを経て30分程前に到着した由ながら、Aコース参加の面々は最後の難関、半廃道状態の上り○○林道で苦労されているのか、未だ帰着していない。
 キャンプ場への帰着後は皆さんがご存知のとおり、井原さんは食後20時頃になり、改めて救急車で病院に向かいレントゲン診断を受けるが、骨折ではなく打撲との由。

  

 しかし、翌19日の朝、痛みと腫れから神戸への自走帰宅は無理と自己判断し、自ら電話手配された陸送トラックで下山されました。
帰宅後の精密検査でも、骨折はなく靭帯損傷も無い由ながら、膝の腫れが引かないため、外回り営業のお仕事では苦労されている由。井原さんとしては、医師とも相談のうえ血腫除去手術はせずリハビリしながら日にち薬で直す方針とのことであり、順調に早く快復されますよう、お祈りします。
 小生の報告は本事故のこともあり、これまでとさせていただきます。土谷会長他皆さまには本当にお世話になりました。改めてお礼申し上げます。